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「働く意義を確かめ合い、 仲間の思いや願いに寄り添える実践を考えよう!」  
 かなり長いですが、先日の講演のレジュメに加筆してアップします。
職員や実習生,関係者のみなさんの学びに少しでも役に立てば・・・。

 ご批評、ご意見をよろしくお願いします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょうされん福岡支部実践学習会
「働く意義を確かめ合い、
仲間の思いや願いに寄り添える実践を考えよう!」
2016.6.19 by大脇 

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はじめに
休日に…、疲れやすい梅雨時の休み、のんびりすればいいのに…学ぼうとする姿勢に敬意を表します。

 ・今日は何の日?
  1945年6月19日 博多大空襲 3割焼かれ6万人被災、1000人以上の死傷  者
  6.19沖縄県民大会 元米海兵隊員による暴行殺人 追悼抗議集会
    海兵隊撤去、普天間基地閉鎖・撤去、県内移設反対、日米地位協定の抜本見直し・・・
  2015年9月19日 戦争法強行成立

 
・自己紹介
   10数年のひきこもり、頼まれると断れない弱さ・・・人が頼んでいるのに断った、あいつはなんちゅう奴やって思われたくない、あはは。・・・
1992年 陶友設立 
   13年の施設勤めの中で出会った自閉症のYくんのこと 「お母さん、僕の手を匂ってみて!」 
    障害者雇用するも、本人の願いは?
   陶芸をすることで落ち着いた彼が施設の都合で5年で行く先のあてもなく辞めざるを得なかっ    た。施設と社会の都合の中でしか生きることを許されない・・・。 
在宅になって不安定になり、安定剤飲んで顔もむくんだ彼、しばらくたったある日、近所にできた障害者デイサービスの陶芸に参加したという。バス停に迎えに行ったお母さんに、「僕の手を匂って!粘土のにおいがするやろ!」と、ピョンピョンはねて喜んだと、お母さんから電話が入った。
そうや!だれだって自分が好きな仕事をしたいはずや。
「仲間が主人公!」…小さくても、障害のある人たちが自分の願いを実現し、主人公として参加できる作業所を作ろう!

「本来、人類の発生史からしても、「労働」こそがまさに「人間発達の源泉」でした。労働こそが社会的富を生み出すだけでなく、その主体=人間そのものの発達を保障してきたと言えます。しかし、今日では「労働の産物」から疎外されるだけ出なく、命までも疎外される、労働が人を殺す(過労死)時代になって来ています。
そうした時代にあり、障害を持つ仲間たちの、働き社会参加を目指すなかでのたくましい成長は、人間にとって働くことの意味を改めて問うことになるでしょう。
人間らしく生きて働く(このすこぶる今日的なテーマ!)。
より自由に、より個性的に個々人が全面発達への取り組みを展開するという、ささやかな実践の試みが私たちの目指すところとなるでしょう。」(1992.陶友設立趣意書より)


・皆さんは、何年目?

・TOMO5月号特集「わたしがシゴトを続ける理由ワケ」
  途中でやめる、募集しても人が来ない・・・、人手不足の背景には国の貧困な福祉政策が。
それぞれの想い・・・、「やりがい」「笑顔」「ともに」「あこがれ」「成長」「支えあい」「感動」・・・
いやなこともたくさんある日常…、実は、おれ!
困難な中でも続ける人が必要、その仕事の魅力・価値を伝え、社会的評価と労働条件を変えよう。

・そのためには・・・、
基本的な理論を身に付け具体的創造的に応用する力を。
すみませんが、僕の話には処方箋はありません。
人間は「唯一無二」の存在、二人として同じ人はいない多様な存在であり、課題は具体的で多様に展開している。その「事実」に基づいて考える、話し合う。ゴホンと言えば,龍角散とはいかない。具体的に「処方箋」は作り出す。

・当面の問題解決だけにとどまらない大きな視野を持とう。人間や社会への信頼、希望を培う。

 さて、障害者が働くことを大事にする取り組みはどこから起こったか・・・?
・作業所運動の起源
1977 きょうされん結成 「すべての障害者に働く場を」
    「かわいそうに障害者を働かせて・・・」
     背景 憲法27条 労働の権利
        憲法26条 教育権   1979年 養護学校義務化

       「働く中でたくましく」成長する姿、実践と運動の中で成人期障害者の働く権利が拡充されてきた。
     
ということで、本題に入りたいと思います。

Ⅰ.そもそも「労働」とはどういう活動か。
「人間が人間の肉体的・精神的能力である労働力を使用して外部の自然(対象)に目的意識的に働きかけ、自然(対象)を変化させて使用価値を作り出す活動のこと。労働は人間生活の基本的かつ永久の条件であり、労働なしには社会は存在しえない。」(『哲学辞典』)

◆労働(過程)を成立させる基本的な要素
① 合目的活動である労働そのもの
② 労働の対象
③ 労働の手段

Ⅱ.現代の「労働」の二つの側面

・生存のための労働・・・資本主義社会では労働者にとっては生存の手段としての必要悪・苦痛(?)
・発達のための労働・・・本テーマの中心的意義、そしてそれは障害者のみならず、労働者国民の共通の課題

現代=資本主義社会では、生存のために働かざるを得ない。
「階級社会では、労働は被支配階級が担い、その成果の大部分は支配階級に搾取される。階級社会では、労働は、支配者のための労働、搾取された労働、「疎外」された労働である。そこでは、労働に従事する者は、彼の生存をやっと維持できる程度のものしか与えられず、労働は、彼にとって生存のために必要悪・苦痛でしかない。」(哲学辞典)

Ⅲ.人類の生成史に学ぶ、労働の発達的意義

「人間は、労働によって自然を変え人間の存在を可能にすると同時に、また人間そのものをも変える。労働によって人間の肉体的精神的能力は発展し、そこから文化が発生してくる。サルを人間にかえたのは労働であり、労働手段の使用によって人間は他の動物から区別される。」(『哲学辞典』)

◆「サルがヒトになることに労働はどう関与したか」(エンゲルス:1876年)
      (140年前、「隷属の三つの形態」の序文として書かれた。)

 奴隷制、封建制、資本主義…、この隷属社会を超え搾取がなくなる未来社会において、労働は人間本来の活動となり喜びとなる・・・そういう未来社会への展望を明らかにするために書こうとした論文の序分。

 「労働はあらゆる富の源泉である、と経済学者は言っている」・・・有名なエンゲルスの「サルがヒトになることに労働は、どう関与したか(猿が人間になるについての労働の役割)」の書き出しである。それは次のように続く。

「その通り。ただし、これは自然と並んでということであって、自然が労働に材料を提供し、これを労働が富に変えるのである。しかし、労働はなお限りなくそれ以上のものである。労働は、人間生活全体の第一の基本条件であり、しかも、労働が人間そのものを創造した、とある意味では言わなければならないほどに基本的な条件である。」

平たく言えば、例えば人間特有の「言語」、その起源はどこにあるかという問題。
女を口説くために、言語を獲得したわけではない・・・。

今日、人類の生成と進化についての研究は進んで(NHK「グレートジャーニー」など)おり、当時の研究の到達は不十分な面もあるが・・・。

・(「何十万年か前に」…約200万年前)樹上生活から地上生活へ→直立二足歩行、「自由な手」の器用で柔軟な発展、遺伝的に受け継がれますます発展

・「手は労働の器官であるばかりでなく、労働が作り出した産物」

・労働の発達=共同・協働の発展→コミュニケーションの必要=言語の獲得
→脳と感覚諸器官の発達→感覚・知覚・意志・思考…知的・精神的能力の発達

・群れから社会の形成へ
・採集労働→(道具の制作)→狩猟労働(肉食が脳の発達に栄養学的影響を)
→火の使用と牧畜

・移動生活から定住生活→農耕・牧畜

・住居と衣服を作るなど新しい労働分野の発展、社会のますますの発展

・「動物は、外部の自然を利用するだけである。」人間は、自分の目的のために自然を変化させ、「自然を支配する」「これが人間を人間以外の動物から分ける最後の本質的に重要な区別であって、またしても労働がこの区別を生み出したのである。」

「自然を支配する」ことへの警鐘も・・・、自然破壊、地球温暖化、原発・・・利潤追求が人間存在の自然的基礎を脅かす時代に。

Ⅳ.労働活動の基本的特徴と、その発達的意義について(労働教育的視点)

① 人間労働は、目的意識的活動(何らかの使用価値、社会的に有用なものを作るという目的)である。
 →社会的な関心や自覚、目的意識性、目的を達成するための意志や意欲の発達を促す。

② 人間労働は、あらかじめその結果(成果)を頭(脳)の中で実現させている活動である。
 →成果を実現するための見通しや計画を立てる能力を必要とし、その発達を促す。

③ 人間労働においては、その目的実現のために、脳や手、身体諸器官を緊密に結びつけ運動させる。
 →その過程で、手や道具を使いこなす技術・技能とともにそれをつかさどる脳の発達を促す。

④ 人間労働の過程では、自然(対象)の客観的性質を認識する必要がある。
 →そのことは、自然(対象)への科学的な認識を発達させる。

⑤ 人間労働は、人間同士の交流・結びつきを図る集団的社会的な活動である。
 →それは、集団的意思や協力協同の能力を高め、その手段としての言語や思考の発達を促す。
・・・などなど。

Ⅴ.労働の発達的意義・・・別の二つの視点から

○視点Ⅰ 頭や手を使い集団的に行われる実際の労働現場の過程から
① 計画的、目的意識的に行われるため、見通しや計画性が育つ
② 手や道具を使うことにより脳が活性化される。
③ 集団的活動であることから、集団的意識や規律が育つ。

○視点Ⅱ 労働が、使用価値を生み出すという社会的視点から
   (使用価値=社会的有用な価値、商品としての交換価値)
① やり遂げなければならないことから、持続的意思や忍耐力が育つ。
社会的生産労働は目的に見合った結果が求められる(アソビとの違い)
    結果を出すためには、自分をコントロールし、自分の意思を目的に従属させなければならない。
② 社会的に必要な活動であることから、そこへの参入が人を活性化する。
人や社会のために役立つ活動、人や社会との関係で自己の存在価値を確認することができる活動

★カゴジイの話。
優しくて世話好き、気が利いて間が抜けてる、おしゃべり好き。陶芸はへたくそ。
文字は、自分の名前を書くのがやっとこさ。
陶芸はんの終礼では「カゴジイがうるさくて集中できませんでした」、そんな日常。40年50年…、変わることは無理でしょう。
そこで、「近所のおばちゃんたちと好きなだけおしゃべりして来い!」と、食品班を作りリヤカー行商をしてもらうことにした。・・・!水を得た魚!
 これまで文字は避けて生きてきた彼が自ら、メモ帳とボールペンを持つことになった。新しいお客さんを覚える必要から、標札の名前を写し書きするようになった。売上を上げたいしもっとよく仕事をしたいから。57,8歳のころ。
 年とっても、働くことを通じて自らを成長させる営みが・・・、これこそ真の労働の人間的本質。
 68歳。彼は、「リヤカーを引きながら死にたい」という。
「よかばい、骨壺は俺が作っちゃる!」

Ⅵ.作業所における労働実践を考える。

おさらいですが、要するに、
「人間労働は社会的有用な価値を作り出すために目的意識を持って、自然(対象)を変革する活動である。その過程で、人間は自分自身を変革・創造(発達・成長)する。」
とはいえ・・・、一人一人は単純な動作の繰り返しの日常という現実・・・!?

 労働の発達的意義は明確でも、一人一人にとっては一様には表れない。その発達段階や生活史によってさまざまな様相を持つ。一人一人にとって、実践のポイントは当然違ってくる。

巨視的に見れば、人間の労働は社会的・人類的労働の一部を担う部分労働である。

集団の労働との関連の中で、個人の労働を位置づける視点が大事。

・ICF(国際生活機能分類)の考え方・・・障害を個人レベル・個の属性としてとらえない。「環境」との相互作用の中でとらえる見方。「環境」としての「集団」。

障害のある仲間たちの労働においては、他の集団労働とは比較にならないぐらい集団性の意義が重要になってくる。

・個の発達と集団の発達の連関を見る、集団の力を活用し、自分に不足する力を他人の力でカバーする
・目的意識、意欲、意志も集団に共有され集団の母胎に宿っている。
・集団が持つ「雰囲気」「空気」
そこの応答し揺り起こして行くこと。話し合い、共感関係つくり。

 ・陶友の給食
 ・「お疲れ様でした・・・」(実習生)
 ・初めは遊びのような・・・、「アブラムシ」的存在も・・・
 ・「先輩」であること。

Ⅶ.「人間的発達」と集団(集団以前に個の関係性も)
困難なケース、結果を急がない。ただ仕事をさせればいいのではない。そのスキルが伸びればいいというものでもない。

・「人間的発達」という視点。
「発達」とは、自分らしい価値観や参加の仕方、生活や人生の幅が広がること、その可能性が広がること。
・結果は導けない、可能性の入り口に、ともに立つ。

・「発達」を、あれこれの能力の向上や拡大という視点だけで見ない。「ヨコへの発達」という考え方。
「タテへの発達」=能力の高次化
「ヨコへの発達」=能力を発揮する幅が広がる
「能力のレベルはまだ同じだが、それを使う場面や相手が違っても発揮できるようになってきたという変化があれば、これもまた『発達』とみるべき」(茂木俊夫)

・見えないもの=内面を見る。
一方的に外から与えられやらされる「労働」ではなく、内面に自主性や協同性、発展性がもたらされるものに。連帯・共同の社会的存在であることを基礎に、協同してやっていく中で、自分のしたことが見直され内面化されて(自分のものになって)いく。ああでもない、こうでもないとジグザグに揺れながら充実し、発展していく。その中で、自信(自己信頼)を培っていく。
仲間たちのミーティングでの共有

・人との関係(労働は人と人とを結びつける)
人は誰でも「愛されたい」「認められたい」「誰かの役に立ちたい」・・・集団や他者との関係性の中で自分を発見する。
  ★雪が降ろうが、炎天下だろうがリヤカー販売に出かける仲間

こんな話はキリがありません、事実が無限にリアルに目の前にあるんやから・・・

おわりに 私たちの仕事(福祉労働)について考える。
・福祉労働=コミュニケーション労働
・双方向の人間関係が織りなす人間的営み=人格と人格の格闘技
・人間観が問われ、自らの生き方が問われる。
・実践とは、処方箋に基づいて「こなす」ことではない。基礎的な理論に導かれ、目の前の事実に向き合い、そこから出発して具体的創造的に作り出すこと。
・答えは現実の中にある。常に問題意識を持って「やってみる」、やってみないとわからない。そこから学び修正して発展させる・・・。
・事実を見て、そこから考える。話し合う。事実を既存の考えの枠で解釈して終わらせないで、「ちょっと待てよ」と、多面的に考えてみる。答えを急がない、ゴールを決めない。

俺なんか適当やからやって来たけど、まじめで一生懸命な人が疲れて、壊れたり、辞めたり・・・、「俺みたいになるな」って言うて来たけど・・・。

一人の力じゃなくて、みんなの力で!
・環境=社会を変える。
 きょうされん署名運動や一つ一つの運動とともに・・・
・参院選挙。
 立憲主義と民主主義、個の尊厳・・・、仲間たちと人間の明日に責任を持つ一票。

 ぼちぼちいきましょう。
 人間は、個人としても集団としても不完全、不完全だから発展する。そして、社会も。
「人間は歩くから転ぶのであり、転ぶから上手に歩くようになる」。
失敗を恐れず、転びながら挑戦しましょう。
そして好きな自分を探しましょう。好きな自分の人生を育てましょう。
「にんげん」っていいなあ、と思えるように。
「自分自身を生きる。共に生きる」

(余談)人間らしさについて考える・・・
人間らしさ、その人らしさ、ってなんやろ?
・自己の存在意義・価値=自分らしさ=人間らしさの個性化=人格
・発達を諸能力の総和や量で見ない。人格の発達、その人の内面、その人らしさの形成、人間らしさの形成という視点で見る。

その① 人間らしさの基本は何か?・・・メモ

・「また あった!」
  知的障害のある50代の女性、ずっと在宅でしたが、人生初めて社会に出て作業所で働くことになりました。言葉もない・・・。その彼女が、1カ月以上過ぎたある日、帰り際に「また、あった(また明日!)」とあいさつしたそうです。彼女は初めて人間になった!・・・そんな話を若いころ聞きました。一人ぼっちを抜け出し、簡単な仕事でも(ボルトとナットを組み合わせるぐらいな?)、毎朝おはようと声かけてくれる職員や仲間に出会い、お疲れさん、頑張ってねと言ってくれる人たちと過ごし・・・、
彼女は、人生で初めて心の中に仲間と明日をつかみ取ったのかもしれません。…泣きそうになりました。
それから、人間らしさって何だろう?教育学者や哲学者、心理学者、経済学者…信頼してきた先達の本を読み探しました。
以下、エキスです。

・「進歩の限りない可能性を持つ存在。心の中に未来を先取りできる存在。考える力、知の力、理性の力をそなえた存在。文化によって心も体もプログラムされる存在。」・・・高田求

・「明日がなければ、人間らしく生きることができない。」
「ひとりぽっちでは、人間らしく生きることができない。」・・・田中昌人

・「人間らしさの核心は、希望。希望を育み、希望に向かって学び挑戦する。希望に向かって手をつなぐ。」・・・三上満

・「人間らしさを構成しているのは、目的意識性と集団連帯性」・・・坂元忠芳

・「国民の人格発達の問題点は『精神的・文化的その日暮らし』と『精神的文化的ひとり暮し』」
「人間らしさは、自然(対象)に働きかけ活動する主体=目的意識的存在と、人とつながり交流す  る社会的類的存在の統一の中にある」・・・二宮厚美

・「発達保障がめざす「人間らしさ」の課題は、①目標、希望、展望 ②信頼、共感、連帯 」・・・加藤直樹

その② 「障害者と共に生きた最初の人々」とともに考える。
(これは過去のブログから転載、浪花節的人間論です)

ネアンデルタール人は、今から20万年から2,3万年前に生存した最後の旧人。彼らは、ホモサピエンスではなく、直接現人類の先輩ではありませんが、ここでは大まかに、私たち(人類)の先輩と考えても良いと思います。
障害と労働を、人類の発生史の中で考えるために、もう20年以上前に読んだ本が参考ですが、絶版で、今手元にありません。
当時、大阪教育大学で教壇に立たれていた藤本文明先生(ご本人も重度障害者です)の、論文です。彼は、考古学者ソレッキの著「シャニダール洞窟のなぞ」を紹介しながら、「重い障害者とともに生きた最初の人々」のことについて、語りかけてきました。

イラク北部のシャニダール洞窟からは、いくつかの人骨が発見されています。
「最初に花を愛でた人々」はかなり有名で、ご存知の方も多いと思います。
遺体の周りから、タチアオイをはじめ、8種類ほどの花粉が見つかり、埋葬と、副葬品として花を手向ける習慣が成立していたと言う話です。20万年前に、どんな暮らしをしていたであろうか。死者を、ともに生きた仲間として悼み葬る心と、その気持ちを花に託す感性をすでに持っていたと言う、私たちの先輩です。

もうひとつの人骨が発見されています。
後期ネアンデルタール人(2~3万年前)とみられるこの遺骨は、発掘に当たった学者たちには「ナンディ」という愛称で呼ばれました。さてナンディは、重い障害を持っていたことが分かります。生まれつきの奇形で、右腕は小さな骨が、肩からぶら下がっており、頭蓋骨は陥没し、右目はつぶれている。顎は非常に発達している・・・そんな骨です。
頭蓋骨の損傷は、その後に骨が成長した後があり、それが致命傷ではなく、大怪我の後に一命をとりとめ、その後怪我が治癒したことがうかがえます。たぶんナンディは、先天的な障害で、狩猟(群れでの社会的労働)では一人前の働きも出来ず、外的と戦うにも、役に立たなかったことでしょう。立派な障害者でした。しかも生育の中で大怪我をし、さらに障害は重度化します。

戦前は成年男子の最大の価値は「天皇の兵隊」になること、・・・ナンディなどは、「穀つぶしの非国民」です。働くこともろくに出来ません。こんな奴は、生きていても群れの厄介になるだけす。あえてこうひどい言い方をするのは、前のエントリーに書いた「新自由主義の人間観」を、批判するためです。
群れから放逐されたら、現代のように、ホームレスになって「博多中洲の残飯」でも食って何とか生き延びる、なんてことは不可能な食糧事情の時代です。群れが、1匹のいのししを取逃がし、雨季に入り、あるいは寒さで食料にありつけずに、群れ諸共に死に絶えることは容易に想像できる時代です。
ナンディは、生き抜きました。40歳まで。現代で換算すると優に80歳だそうです。
重い障害を持ちながら、天寿を全うしたのです。このナンディと言う骨が残した事実は以上です。

みなさん、どういうことでしょうか?後は想像です。自由な解釈です。
ナンディが、重い障害を持ちながらも、あの時代に天寿を全うできたとは、どういうことだろうか?彼と生きた人々とは、どういう人々だったのでしょうか?そこに、人間らしさの本質を見ることが出来るのではないだろうか?

私は、若い世代と「障害と人間について」話すとき、グループでこの質問で話し合ってもらいます。決められた答え探しの、現代の受験勉強ではなく、一つ一つが自分らしい正解なのです。それを持ち寄りまたみんなで話し合い、深めます。ナンディがあの3万年前の時代に、重い障害を持ちながら、天寿を全うすることが出来たのはナンディ?

学生たちは、いろいろと面白い答えを披露してくれます。
「彼はシャーマンで、群れにとって重要な役割を持った存在であった」、なるほど。こらは学説でも言われていますね。「ひょっとこ」は、実は障害者の「火男」で、仲間が狩に出かけた時も夜も、火を守り重要な役割を持っていたともよく聞きますね。常識的でまともな理解と言えるでしょう。間違いじゃないでしょうね。
中には「彼はボスの娘の彼氏だった」という、ユニークな答えを見つけた女学生もいました。だから、特別に食料を貰えたと。・・・彼女は、恋愛中で大切な恋人のことが浮かんだのかもしれませんね。それも有り、かも知れません。

でも私の「浪花節的解釈」では、これらの説は物足りません。
「シャーマン」とか「火男」とか、群れにとって功利的に役に立たなかったら生存できなかったということは、認めたくないからです。だったら、現代の新自由主義的なマイナスの人間像でしかあり得ません。そうなれば、ナンディが生きられたのは、偶然でしかあり得なくなります。

私は次の様に考えたくなります。
彼の個人的な力を超えた力が、彼の生存を保障したと言うことではないでしょうか?それは、「群れの力」「集団の力」「社会の力」と言えるのではないでしょうか・私たち(人類)の先輩は、「個の生存競争」を抜け出し「群れ的・社会的共存」により、生存する人間へと進化していたのではないか。・・・と思うのです。つまり、ありきたりの言葉で言えば、弱肉強食の掟から自らを解放し、「相互扶助、共同と連帯」のもとに、ともに生きる存在として、私たちの先輩は、動物の群れから袂を分かち、人間としてこの地上にその1歩を記したのではないか。そこに人間らしさの本質があるのではないかと思うのです。そしてそこにこそ進化の壮大な未来が見えたのではないか?と。

「浪花節」は、次にナンディよりもはるか遠い先輩たちのことを、ネタにしてみます。
もっと昔、先輩たちは樹上生活をいていました。仲間も増え、もっと多様で多くの食料を必要として、木の上から降りてきました。
種を守る動物的本能には変わりありません。しかし、地上には、トラやライオンや、他にも動物学的にははるかに優れた能力を持つ強いものたちが、それぞれの生存をかけて生きていました。
「やべぇ!負けちゃうよ・・・」
そこで先輩たちは、ライオンに勝つために牙をむき、つめを研ぐことをしたでしょうか?チータより早く走る訓練をしたでしょうか?
彼らは、自分たちのそのままの姿を受け入れ、「俺たちは弱いんだ、・・・だからこそ助け合い知恵を磨こう。そしてともに助け合って生きていこう」と考えたのだと思う。そのDNA(遺伝学的意味ではなく、俗に世代から世代に、歴史的文化的に伝わるの意)が、また数十万年も受け継がれながら、ナンディたちに引き継がれたのだ。

ここに、人間が誕生したのだ。人間が!浪花節ではあるが、これは結構正しいと思うのです。

さて、そろそろまとめです。
こうして見てくると、福祉や介護といった仕事は、人間の発生とともに存在し、すこぶる人間的な仕事であって、近代から現代にかけて、人間が「人間らしさを自覚的に発揮する営み」を、改めてその社会の発展段階にふさわしく、社会的に組み立てた制度であり、労働であり、事業だと言うことではないでしょうか。新自由主義が、資本の経済効率と利潤追求を、国家政策として展開する中で、福祉や社会保障が目の敵にされ、破壊されてきています。新自由主義の、非人間的本質のあらわれであると思います。

福祉に働く皆さん、それを必要とする皆さん。読者の皆さん。
福祉の仕事は、目の前の「生きることの困難」を抱えた人々の支援だけで終わるような、そんな狭いものではなく、そのことを通して、人間らしさを取り戻し、その未来を切り開く仕事だと言うことです。
ドンと構えて、国民と手をとり、前に進みましょう。

俺的浪花節のオチ・・・笑。やはりナンディは、仲間たちにとって必要な存在であったのですよ。
俺って田舎っぺで、都会の高校に進学したとき、モテないのは勿論、女の子と話したこともなかったなあ。ある日、友達のうちに遊びに行って、食事をご馳走になった。そのお母さんが、俺の食いっぷりを見て、「友さん、気持ち良いねえ、この食べっぷり。嬉しいわア。作った甲斐があるわあ」ってね。モテる話は関係ないけど、俺も人を喜ばすことが出来るんだって、思って嬉しかったわけよ。
ナンディは、そりゃ彼なりに口と左手を使い、仲間たちと出来ることはがんばったろう。でもナンディは、もっと仲間たちのためになることがあったんだ。

それは、食いっぷり!
彼は、仲間が苦労してとってきた食料を分けてもらうと、本当に嬉しそうに、うまそうに食ったんだと思う。それを見た仲間たちは、嬉しかったんだね。「俺たちが苦労して獲ってきたものを、ナンディの奴、あんなにうまそうに食ってくれる」って。だからみんな、どんなにきつくても、大変でも頑張って狩や猟、採集にいそしむことが出来たんだ。つまり、ナンディは、仲間たちに、労働の尊さ、価値を身をもって教えていたのさ。労働は喜びをもたらし、喜びは連鎖する、と。労働こそが、すべての富の源。人間の活動でもっとも大切なことを、その障害を持った姿を通じて、教えていたのだよ。
それはまた、やさしさを仲間たちの心に呼び起こすことでもあった。そしてみんな気がついたんだ。・・・みんな違ってみんないい。
みんな自分なりの存在の意味を、人々とのつながりの中に持っている!その価値を、見つけあい、探しあい、認め合う。それを、伝え合い、共感する。人間はそこから始まったんじゃないかねって。
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