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Mさん(67)が有料老人ホームに引っ越すことになった。
やっと…の思いです。 大工の棟梁の父親の手伝いをしながら地域で生きてきた彼は、父親の死後、仕事もなく、酒びたりになり、アル中で入院したりしながら、老いた母と暮らしていたが・・・、民生委員に紹介されたと、陶友に通うようになった。 あれから18年。 その後間もなく母親がガンで急死。 兄弟も福祉事務所も、遠く離れた郡部の入所施設への入所の手続きを進めていた。 私も入った4者の話し合いで、「ここに住みたかです!」と、生まれ育ち、顔見知りもいる唐人町に住みたいと彼は一言ぽつりと言った。 「彼の願を大事にしましょう。陶友でできる限り支えますから!」 私は若気の至りで言ってしまった! 仲間の願いに応える…、どんな困難があろうとも、私たちの仕事の原点はそこにある。一人暮らしを始めることになった。 酒は飲む、たばこは吸う、家の片づけはしない、風呂には入りたがらない・・・、母親の上げ膳据え膳でわがままに育った彼に一人暮らしの力があろう筈もなかった。不衛生なゴミ屋敷同然の暮らし。それでも、職人気質よろしく、作業は好きだった。 朝な夕なに、そして休みの日も、職員で手分けして家をのぞき生活を支えてきた。 近年は、老化が進み腰も90度に曲り、暮らしはますますおぼつかなくなってきた。 生活保護を取り、気難しくて生活の中に他人を入れたがらない彼を説得してホームヘルパーもやっと入れてやってきたが、日中活動のみならず、24時間支えるのは作業所としては限界! 「65歳問題」や「生保削減」に翻弄されながら、やっと「要介護3」の認定を受け、老人ホームへの入居という苦渋の選択をして探してきた。幸いにも、生保で入れる有料老人ホームが見つかり、入所にこぎつけたのだ。 これからは、ホームと連携し、週三回は送迎して「仕事好き」の彼の思いも支えながら・・・である。 いろいろ感慨もあるが。 私の「いいカッコしい」の若気の至りで引き受けてから、職員は想定外の困難な仕事を担ってきてくれた。しかし、その困難の中で福祉労働とはなんなのか、利用者仲間にどう向き合うのか・・・、たくさんの貴重な学びがあったに違いない、そう思いたい。 何より、Mさんはこの18年、ベターな人生を送れたと信じている。そしてこれからも・・・。 梅雨明け間近の朝、クマゼミがうるさく泣いている。
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