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被災地ボランティアに行って ~第一弾~ 
 私は7月3日~7月9日まで福島県南相馬市にある障害者施設で、きょうされんを通じて被災障害者の支援活動を行った。急な段取りだったこともあり、出発前は「自分に何ができるだろう?」という不安と、対照的に「出来る限りのことを頑張ろう」という気持ちだった。郡山に着き、そこから車で南相馬市へ向かう道中に、ここは被災地だということを思い知らされた。郡山から南相馬へのルートには原発から20キロ圏内の警戒区域 (強制的に避難させられ、立ち入りも禁止)と20~30キロ圏内の計画的避難区域(すぐに避難できるように準備しておかなければならない区域)があり、警戒区域に入らないように迂回して行かなければならなかった。さらに、南相馬の手前にある飯館村は20キロ圏内ではないものの、警戒区域に指定され全住民が避難しておりゴーストタウンになっていた(車の走行は可)。そこは人影がなく、カーテンが閉まりきった家、見捨てられたヤギなど異様な雰囲気だった。放射線量が高いことは事前に把握していたが、目に見えない恐怖ほど恐ろしいものはないと感じた。
 南相馬に入ると、思ったよりマスクを着けた人が少なく、長袖の人がいないことに驚いた。比較的放射線濃度が高くないためだった。震災前に7万5千人いた人口が、震災後には1万人まで減ったものの現在では5万人にまで回復していた。その理由としては、避難所の生活に耐えられない、一時的に県外などへ避難したが落ち着いてきたので戻った・他に頼る当てがない、震災前の南相馬を取り戻したいなどがあった。お店なども徐々に開いてきており、復興の兆しが見られた。それから支援対象の施設へ行った。
 施設の建物自体は地震の被害がなくきれいだった。中に入ると日曜日の夕方だったため職員も利用者もいなかったが(土日は休み)、前の支援チームの方が2名残っていた。今回の支援チームは福岡と京都から派遣されたチームだった。程なく引き継ぎを行い、簡潔に町の状態、施設の体制、利用者の様子、作業内容などの説明を受けた。その際に、ある事実を知った。
 震災後1万人まで人口が減ったとき、市はとにかく南相馬を離れるように市民に指示を出した。そして、いつでも逃げる準備ができている人のみ南相馬に残っても良いと。なので、残った1万人は当初、生活と交通手段を確保できていると人たちだと思われていた。だが、実際にはまったくの逆で交通手段を確保できた人、自力で避難できる人たちは皆南相馬から出て行っていた。必然的に残された1万人は逃げる術がない人たち、つまり高齢者や障害者、その家族であったのだ。さらに、残された障害者の内7割は施設やヘルパーに登録されていない人たちだった。この震災が起こったことで浮き彫りになった南相馬の実態である。このような大災害が起きないと実態が掴めない、そんな福祉や行政の在り方に疑問と悲しさを感じた瞬間だった。

※警戒区域・計画的避難区域の把握があいまいなので間違えているかもです・・・。
※次回は作業所での支援活動とその中で感じたことを中心に書きたいと思います。
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テーマ:障害者の自立 - ジャンル:福祉・ボランティア

じきょう

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コメント
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推敲された言葉よりも、湧き出てくる言葉。
現地で見たことをリアルに伝える使命があります。
見た人にしか書けない事実を書いてください。
【2011/07/14 22:06】| URL | 名無し #-[ 編集] |
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