職員、実習生は必読ですね。
■社会福祉系学会会長共同声明 (8月10日掲載版) http://www.jaass.jp/archives/831 このたび、「戦後70年目の8月15日によせて」と題して社会福祉系学会会長共同声明を出しました。下記に全文を掲載いたします。 ======================================================== 社会福祉系学会会長共同声明「戦後70年目の8月15日によせて」 日本社会福祉学会会長 岩田正美 日本医療社会福祉学会会長 岡本民夫 社会事業史学会会長 大友昌子 日本ソーシャルワーク学会会長 川廷宗之 日本看護福祉学会会長 岡崎美智子 日本仏教社会福祉学会代表理事 長谷川匡俊 日本福祉教育・ボランティア学習学会会長 松岡広路 貧困研究会代表 布川日佐史 1 戦後70年の節目にあたる本年、自衛隊法、PKO協力法、周辺事態法、船舶検査活動法、特定公共施設利用法、国家安全保障会議設置法、武力攻撃事態法、米軍行動関連措置法、海上輸送規制法、捕虜取扱い法の10の法律改正をその内容とする「平和安全法制整備法案」および新たな「国際平和支援法案」の審議が進められている。これらはすでに昨年の集団的自衛権についての閣議決定に沿ったものであるが、従来の自国防衛から、「存立危機事態」へも対応でき、外国軍の後方支援も可能な「積極的防衛」への経路が、国民の安全や他国からの脅威を理由に広げられつつあるといえる。湾岸戦争時に「カネは出すが血は流さない」と国際社会から非難されたともいわれたが、今回の法案は「血を流す貢献」を可能にする環境を整えるものと考えられよう。だがこうした「積極的貢献」が、ある国をめぐる脅威の抑止力になりえるかどうかは、世界の各地で、今日も続けられてきている戦争の実態から、冷静な判断が必要である。 これらの法案が現行憲法に反し、法治主義をゆがめることについては、憲法学者を中心とした批判がある。ここでは社会福祉学の立場から次のような危惧を表明したい。 1.どのような正義の名の下においても、いったん始められた軍事活動は、それが「後方」支援であろうと、同盟国への支援であろうと、そこに巻き込まれた国々の人びとの命と日常生活を一瞬にして奪い、孤児や傷病・障害者を増やすだけでなく、それらの深い傷跡が、人びとの生活に長い影響を与え、しばしば世代を超えて受け継がれていく実態がある。 2.子ども、障害者・病者など「血を流す貢献」ができない人びとが、こうした事態の中で最も弱い立場に追いやられる。また民族や性別、階層の分断や排除が強められ、テロ等の温床にもなる悪循環が作られていく。 3.これらから生ずる「犠牲者」への援護施策とそのための財政その他の社会的コストは一時的なものではなく長期に要請されることに特に留意したい。戦後70年経ってなお、戦争犠牲者への援護行政が続けられ、またそれを巡ってアジアの諸国との対立が続いていることがその一端を示している。 4.財政再建を理由に社会保障・社会福祉費の削減が続いている今日、もし「積極的貢献」の負担増がこれに優先するようになれば、少子高齢化が深まる日本の社会福祉の未来は、更に暗いものとなろう。 2 他方で、日本社会福祉学会『社会福祉学研究の50年―日本社会福祉学会のあゆみ』(2004)所収の論文「戦後社会福祉の総括」において、著者阿部志郎氏は、戦後社会福祉が「戦時の「万民翼賛体制」のもとでの厚生事業との断絶があり、国家主義の否定の上に、戦後の民主的な社会福祉が到来したと認識しがちである」とし、自らも含めて日本の社会福祉が戦争責任を自覚してこなかったし、「アジアの国々はもちろん、沖縄さえ視野におさめていなかった」ことを深く恥じていると率直に告白されている(p7~8)。その点が、ボランティア運動でさえ「罪責感」を基礎に再出発した戦後ドイツの社会福祉との「決定的相違」だとも強調されている(p8)。私たちは、この阿部氏の告白をあらためて真摯に受け止める必要がある。社会福祉は、一方で一人ひとりの生活に寄り添いながら、同時に「多数の正義」の名の下での支配体制に容易に組み込まれる危険を孕んでいる。このことに社会福祉研究者は常に自覚的でありたい。 3 日本社会福祉関連の各学会は、90年代より国際交流を活発化させ、特に東アジア3カ国ネットワークの実現に向けて努力してきた。また留学生への支援も強化しようとしている。こうした交流の中で、社会福祉の今日的課題の共通性とともに、文化・歴史的背景の違いについての理解も深められている。「戸締まり」に気を配るだけでなく、国を超えた共同研究や実践交流の積み重ねの中で、相互理解を深めていくプロセスをむしろ大事にしたい。残念ながら、最近の政治的「緊張」が、こうした地道な相互理解の努力に水をさすことがある。しかし、回り道のようでも、緊張を回避していく別の回路を模索することが、学会や研究者の役割であり、国際的な社会福祉研究の水準を高める上でも意味があると考える。 戦後70年目の8月15日を迎えるにあたって、社会福祉研究者・実践者として私たちは、「血」ではなく「智」による、「抑止力」ではなく「協力」による未来社会を展望する努力を続けることを誓い合いたい。 スポンサーサイト
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歓迎します!
仲間たちにもわかりやすいように、漢字も少なくして表現の工夫がされています。 2015年8月15日 戦後70回目の終戦記念日にあたって きょうされんは戦争法案に反対します http://www.kyosaren.com/statement/2015/08/70.html?fb_action_ids=862662017147511&fb_action_types=og.likes&fb_source=other_multiline&action_object_map=%5B934794153247336%5D&action_type_map=%5B%22og.likes%22%5D&action_ref_map=%5B%5D 戦後70回目の終戦記念日にあたって きょうされんは戦争法案に反対します 2015年8月15日 きょうされん常任理事会 きょうは終戦から70年目の日です。戦争では、日本とアジアのおおくの人がなくなりました。そして、たくさんの人がからだや心に障害をおい、今なお苦しんでいる人がすくなくありません。わたしたちの先輩は「もう二度と戦争はしない」とかたくちかって日本国憲法をつくり、いままでまもってきました。 しかしいま、国会では戦争法案がはなしあわれています。なまえは「国際平和支援法」「平和安全法制整備法」ですが、なかみは正反対で日本を戦争のできる国にするものです。憲法にくわしい学者のほとんどが、この法案は憲法違反だといっています。「日本をまもるためにこの法律をつくる」というのはまっかなうそなのです。国会のまわりをはじめ日本中で、この法案に反対するあつまりが毎日のようにおこなわれています。 70年前の戦争では、障害のある人は戦争のじゃまになる穀つぶし、非国民といわれました。ドイツではヒトラー政権がたくさんのユダヤ人を虐殺するまえに、障害のある人を予行演習としてたくさん殺していたことがわかってきました。あまりにむごいことですが、戦争でまっさきに命や人としてのほこりをうばわれるのは、障害のある人などの支援を必要とする人なのです。 障害者権利条約も障害のある人のくらしも平和な社会でしかなりたちません。このことは、世界の歴史が証明しています。社会保障制度を充実させ、障害のある人の命とほこりをまもるためにも、戦争法案はぜったいにうけいれられません。はっきりと反対の声をあげたいとおもいます。 きのう発表の内閣総理大臣談話では憲法9条1項にならって「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」とのべられていますが、戦力をもつことと国が戦争をすることをみとめないとする9条2項にはふれませんでした。そして、政府は戦争法が成立したときのことをかんがえて、自衛隊の戦場での行動計画をつくりはじめています。戦争のできる国にしたいという政府のほんとうの気持ちはなにもかわっていないのだとおもいます。 わたしたちは、戦争をしないとちかった憲法9条と、障害者政策や社会保障制度の根っこである25条をまもりぬくために、これからも戦争法案に反対するおおくの市民のみなさんと力をあわせます。
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兵隊になれない「厄介者」ということで疎開政策からとり残された障害児。
一方、大島では、軍の要塞化計画に邪魔だとされ、寒い地方に疎開させられていた…。 ■大戦で唯一、疎開した知的障害者施設 山梨での過酷な生活とは http://www.fukushishimbun.co.jp/topics/10251 (NHKは8月19・20の2日にわたり、ハートネットTV「シリーズ戦後70年」の中で放映) 第二次世界大戦中に、日本国内で唯一疎開した知的障害者施設がある。社会福祉法人藤倉学園(川田仁子理事長)の障害者らは終戦1年前の1944年、軍の要請で東京都大島町から山梨県へと疎開。しかし、環境の変化により10人もの障害者が命を落としたという。そうした過酷な疎開生活を追ったテレビ番組が8月中旬にNHKで放映される。
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学童疎開、それは子供たちを次世代の戦力として温存する「学童の戦闘配置」だった。そうした中、障害児は兵隊になれない「厄介者」ということで疎開政策からとり残された。
■戦闘配置されず~肢体不自由児たちの学童疎開~|ETV特集 2014/08/09 http://www.dailymotion.com/…/x237vj8_%E6%88%A6%E9%97%98%E9%… NHKEテレの「ETV特集」で戦闘配置されず~肢体不自由児たちの学童疎開~が放送されました。戦争末期に国が行った学童疎開。アメリカ軍による空襲の危機が本土に迫る中、大都市の子供たちは安全な地方の農村地帯に移されました。それは子供たちを次世代の戦力として温存する学童の戦闘配置とされました。しかし肢体不自由児たちは学童疎開から取り残されました。そのことは肢体不自由児の学校に残されているフィルムが物語っています。空襲が始まっても子供たちはやむなく避難生活を都内の校舎で送っていたのです。肢体不自由児たちはなぜ学童疎開から取り残されたのでしょうか?
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