陶友通信 NO.149を発行しました。 一面は「戦争」についての特集、仲間たちがどのように感じているのか・・・。 ■「戦争はこわい!(仲間の座談会)」 今、国会では安全保障法制について話し合われています。集団的自衛権の行使を認める、自衛隊の海外任務の範囲を広げるなどの内容です。 日本が「武器を持って戦争が出来る国」に変わってしまうかもしれない…。私たちは今、その分かれ道に立っています。 仲間たちは「戦争」についてどう思っているのでしょう?20代~50代の6人に集まってもらい話を聞きました。 ―まず「戦争」についてどう思っているか、教えてください。 Y: 戦争とは、国同士が武力あるいは軍事力を用いて、領土または主権を奪い合う行為だ。「戦争は発明の母である」コンピュータも初めは軍事用として使われていたのだ。ロケットもそうだ。 A: 美術館にお父さんとお母さんと見に行って。怖くなってお母さんにしがみついた。「はだしのゲン」も見た。お腹が膨れたり、バッタを食べたりしてた。 K: 爆弾を持って、ピストル、機関銃で殺す。 H: 叔父さん2人が戦争で亡くなった。お父さんは戦争に行き爆弾で耳が聞こえなくなった。無人島に行って、蛇を食べていたらしい。帰ってきたら栄養失調だった。そういう姿を見たら、怖いと思った。 E: 戦争はいけないと思う。広島や長崎の資料館を見に行って「原爆が何で落とされなきゃいけなかったのか?」と思った。僕のお父さんも16歳の時戦争に行った。目をやられたと言っていた。 K: 僕のお父さんは鹿児島の知覧に行ってハヤブサに乗っていた。 ―戦時中は、障害者は役に立たないから「穀つぶし」と言われていたそうです。 Y: 「お国のために働けない」ということだ。ナチスドイツでも、障害者は排除されていた。一方、自分たちに従順な人を育てるために、子供を産むことは奨励されていた。 E: 戦争になったら、自分たちも行かなくちゃいけなくなる。行きたくないけど。 H: 戦争になったら怖い。何もかもなくなるし、こういうこと(集まって話をしたり)も出来なくなる。自由が無くなる。それが嫌。 ―陶友に来て働いたりできなくなるでしょうね。遊んだり、お酒を飲んだりも…ねぇ。 A: 戦争したら、子供が犠牲になったりする。やめてほしい。犠牲になったら、家族が別れ別れになってしまったり、(子供が死んだら)お母さんが悲しくなる。 H: 補聴器も買えないと思う。 A: ヘビとか食べないかん。 樋口 そうなったら、しょうがない。食べないかん。人の肉とかも食べないかんらしいよ。 K: これから戦争しないで頑張る方が良いね。 ―最後に。今、国会で日本が戦争をする国になるような話し合いがされています。どう思いますか? Y: 仮に日本が戦争を反対したとしても、戦争で儲けようとする人、「自分たちこそが正義」と戦う人がいる。領土問題や宗教…。(しかし、)戦争は、潰しあいで非生産的だ。できれば平和であってほしいと思う。平和ボケにならず、ありがたく平和を受け止めてこそ価値があるのだ。あの惨劇を忘れない方法を見つけなければいけない。 A: 戦争は、テレビで時々見る。怖くなって、布団にもぐってテレビを消す。戦争はやめた方が良い。 H: 戦争はやめた方が良いです。反対です。 H: 戦争は怖い。自分たちの幸せのため、戦争はしたくない。自分の思ったことが色々できなくなるから。 E: 戦争はいけない。戦争は人を殺す。一人に一つの大切な命。何が起こるかわからないけど、一つしかない命。それを殺しあうのはやめてほしい。戦争をしないように、安倍総理に伝えたい。 (座談会終わり) 戦争は多くの障害者を生みます。爆弾など外傷により身体障害者になることはもちろん。現代では化学兵器や非人道的兵器の使用などにより、先天性障害を持つ子が生まれたりしています。戦争が終わってからも影響はその土地に残り続けます。帰還兵士のPTSDも急増しています。「人間に銃を向け、撃つ」…この恐ろしさは想像に耐えません。 また、戦時中に障害者がどのように扱われたか。「厄介者」「お荷物」と排除され、人として生きることを否定されていました。疎開できなかった児童や、物資が届かず栄養失調で亡くなった人もいます。 戦争中は「一人ひとりの尊厳」などはありません。その価値はいかに「お国のために」兵力になり得るか。 戦争にどんな大義があっても、命と天秤にかけられるものではない! 「障害があっても、一人の人として尊重し、共に生きる」ことを大切にしている私たちが、戦争につながるすべての事に反対し、平和を願うのは当然のこと。 皆さんは、どう考えますか? ■鬼瓦NO.149 「お父さんとお母さんと美術館に行った。怖かった!お母さんにしがみついた。はだしのゲンも見た。お腹がふくれて、バッタも食べた。子どもが死ぬとお母さんが悲しむ。したらいかんね、戦争…」と重い知的障害のAさん★山下清は戦争への恐怖感を人一倍抱いていたそうだ。「僕は今年20歳で来年は21歳になるので もうじき正月で21歳になると兵隊検査がある もし甲種合格だったら兵隊へ行って散々殴られて 戦地へ行って恐い思いをしたり 敵の弾に当たって死ぬのが一番おっかないなと思っていました」と日記に記されている。徴兵される事の恐怖感から放浪の旅に出たとも…★戦争の時代、障害者は「厄介者」「穀つぶし」とされ人間扱いをされなかった。★「安全保障法制」という名の「戦争法案」が衆院で強行された。どこが憲法違反なのか、きちんと議論が必要なことは言うまでもない★しかし、Iさんや清さんの話を聞くと、そんな理論がどうであれ憲法がどうであれ、命を奪い合い障害者を作り出す戦争はコワイ!し、イカン!のだ!★福祉は人間の尊厳を守る営み。戦争は究極の人権侵害であり、戦争は福祉とは両立しないのだ。戦後70年の夏、汗をかきながら声を挙げ続けたい。仲間たちの笑顔を守るために。(友) 二面: 河東俊瑞さんインタビュー 80歳を超えているとは信じられない河東さん、今朝も愛車を駆って陶友に現れます。「今日は一輪挿しを作るかな。小さいのは難しか~」河東さんとは、かつて勤務されていた知的障害者施設で、当時職員だった大脇所長が出会ったというご縁。2年前に前職を退いてから毎日午前中に来られます。「一人で何かするより人とのつきあいが好きでね」と、自分の作品を作りながら仲間とともに作業も分担してくださっています。 「みんな楽しそうにのびのび働いてるよね。何かを生み出す仕事は本来楽しいもののはず」そうおっしゃる河東さんは、20代の頃、障害児施設の中に設置された中学の分校に勤務していました。障害を持つ人に対する目も環境も今とは違い、自宅で軟禁状態に置かれる人も多かった時代に「障害を持っているからと保護されるだけではなく、作業をして社会の一員となれればいいのに」と思っていたそうです。「世の中に不必要な人間はいない。一人ひとりが役に立つ存在だから」言葉の中に、今までのお仕事ぶりや生き方の積み重ねを感じます。「陶友ではみんな楽しそうでこっちまで幸せ。幸せはその人の感じ方次第やもんね」と笑顔。さりげなくあたたかく見守ってくださる河東さん。これからも生きる楽しみをたくさんご一緒させてくださいね。 ~総括研修会の講演から~ 毎年、二日間にわたって行われる年度総括研修会に、今回初めて参加しました。 一日目の基調講演で、主に労働問題、貧困問題、社会保障問題を取り扱っている星野圭弁護士から「生活保護基準の引き下げ問題から考える社会保障全体の改悪」と題してお話しがありました。 その中で、国が聖域とされていた生活保護基準までも引き下げたことについて「社会保障制度の基準となる生活保護を下げるということは、日本の社会全体の基準を下げるということにつながることを意味している。財源を理由に命を軽んじる風潮を許してはいけない!」と熱く語られました。 今後も様々な制度の引き下げにつながっていくことは明らかで、今、全国で引き下げ違憲訴訟が動き出しているとのことでした。 憲法が保障する「人の命こそ最高の価値であり、国家はそれを守るために存在する」ことが揺らぎはじめているのではないでしょうか。これは、大変恐ろしいことです。 また、古賀法人事務局長からも集団的自衛権が国民の多くが反対する中、閣議決定されたことで戦争への道に踏み込んでいる。マイナンバー制度など、国が国民を管理する社会へ向かっているとお話があり、ここで改めて、今の幸せな生活がどのようにしてつくられたか、すべての人が大切にされる社会はどういうことかを振り返り、今まで以上に社会情勢を注視していこうと強く感じました。 ボーナス係り改め、 「今日もがんばるぞ」係り(仮) もうすぐ仲間のボーナス支給日!でも、いつもと様子が違います。 発端は昨年度のボーナス係り反省会での仲間の発言。「ボーナス前だけ頑張ればそれでいいと?」「普通はいつも頑張っているからボーナスが出るとよ。」 ここ4~5年、夏冬のボーナス支給前約1ヶ月を売り上げUPの期間として取り組んできました。短期間ですが仕事へ集中し、姿勢に良い変化が見られます。しかし、ボーナスを支給されると途端に遅刻、欠勤などが増えてしまします。 ボーナス期間に頑張れることは、普段から頑張れるはず。反省会で発言した仲間はそこが引っかかったのです。 その想いを仲間たちに提案し、話し合い、今年度は年間通しての目標、それに対する取り組みをすることになりました。 とは言え、仲間たちが常に目標を意識することは簡単ではないので、ある程度メリハリをつけながら。この取り組みが仲間たちの意欲や働く姿を成長できるように…今日もがんばるぞ! 〈陶芸班〉 ・陶友祭に向けて売れるものをつくる ・出来る限り遅刻、欠勤をしない ・注文の納期を守る(場合によっては残業もする) 〈紙漉き班〉 ・切り絵ハガキのストック200枚 ・遅刻、おしゃべりをしない 〈食品班〉 ・遅刻を0にする ・お客さんを増やす ・ケンカをしない ・笑顔
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Mさん(67)が有料老人ホームに引っ越すことになった。
やっと…の思いです。 大工の棟梁の父親の手伝いをしながら地域で生きてきた彼は、父親の死後、仕事もなく、酒びたりになり、アル中で入院したりしながら、老いた母と暮らしていたが・・・、民生委員に紹介されたと、陶友に通うようになった。 あれから18年。 その後間もなく母親がガンで急死。 兄弟も福祉事務所も、遠く離れた郡部の入所施設への入所の手続きを進めていた。 私も入った4者の話し合いで、「ここに住みたかです!」と、生まれ育ち、顔見知りもいる唐人町に住みたいと彼は一言ぽつりと言った。 「彼の願を大事にしましょう。陶友でできる限り支えますから!」 私は若気の至りで言ってしまった! 仲間の願いに応える…、どんな困難があろうとも、私たちの仕事の原点はそこにある。一人暮らしを始めることになった。 酒は飲む、たばこは吸う、家の片づけはしない、風呂には入りたがらない・・・、母親の上げ膳据え膳でわがままに育った彼に一人暮らしの力があろう筈もなかった。不衛生なゴミ屋敷同然の暮らし。それでも、職人気質よろしく、作業は好きだった。 朝な夕なに、そして休みの日も、職員で手分けして家をのぞき生活を支えてきた。 近年は、老化が進み腰も90度に曲り、暮らしはますますおぼつかなくなってきた。 生活保護を取り、気難しくて生活の中に他人を入れたがらない彼を説得してホームヘルパーもやっと入れてやってきたが、日中活動のみならず、24時間支えるのは作業所としては限界! 「65歳問題」や「生保削減」に翻弄されながら、やっと「要介護3」の認定を受け、老人ホームへの入居という苦渋の選択をして探してきた。幸いにも、生保で入れる有料老人ホームが見つかり、入所にこぎつけたのだ。 これからは、ホームと連携し、週三回は送迎して「仕事好き」の彼の思いも支えながら・・・である。 いろいろ感慨もあるが。 私の「いいカッコしい」の若気の至りで引き受けてから、職員は想定外の困難な仕事を担ってきてくれた。しかし、その困難の中で福祉労働とはなんなのか、利用者仲間にどう向き合うのか・・・、たくさんの貴重な学びがあったに違いない、そう思いたい。 何より、Mさんはこの18年、ベターな人生を送れたと信じている。そしてこれからも・・・。 梅雨明け間近の朝、クマゼミがうるさく泣いている。
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コンサートや野球など、
作業所から30メートルの菰川沿いは、たくさんの人が流れます。 機会を見て、 「障害者や社会的弱者の人権を真っ先に踏みにじって来た戦争政策には反対です」 「戦争法案は廃案に!」 と、訴え続けて行きたいと思います。
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福祉に働く私たちは「戦争法案」に反対します。
戦争は、多くの障害者を作り出してきました。 戦時中、天皇の兵隊になることが人間の価値の中心にされ、 徴兵されなかった障害者は、「厄介者」「穀つぶし」とさげすまれ、社会から排除されました。 戦争は究極の人権侵害です。 戦争は福祉とは両立しません。
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