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仲間たちの労働~きょうされん学習交流会in柳川 
8月20日~21日
きょうされん(旧:共同作業所全国連絡会)の福岡支部の学習交流会が柳川で開催され、陶友からも若手職員の4人が参加してきました。



【分科会】
私は、“仲間にとっての労働”をアートの面から考える分科会に参加しました。

この分科会では、「仲間の労働を考える前に、まず、私たちにとっての労働を考えよう」というテーマから1日目がスタートし、2日目に「仲間にとっての労働」というテーマで学習会が進められました。

「仲間の労働・・・・」と普段、障害者の福祉現場なら少なからず耳にすると思います。
実際、私もよく使います。
しかし、「自分にとって労働ってどんなものですか?」と聞かれると「ん~・・・」と少し考えてしまいます。

今回、まずは私たちの仕事において、自分の持つイメージを箇条書きでどんどん出してみました。
・生活のため
・生きがい
・ストレス、疲労
・通勤
・時間・・・etc
分科会参加者からも、仕事に対するイメージがどんどん出てきました。
たくさん項目が出たところで、それぞれがそれを自分なりに「大切にしたいランキング」にしてみました。


上位には“やりがい”や“人とのつながり”が来て
下位には“疲労やストレス”が来る
という人が多かったように思います。




2日目には、アート分野に取り組んでいる作業所の仲間のケースをもとに仲間にとっての仕事のイメージを1日目同様出し合い、それを私たちの仕事ランキングと見比べてみました。


仲間と私たちの労働は共通点がたくさんあり、仕事の内容や体制は違えど、労働に向かう人の心構えが感じられました。
ストレスや疲労はもちろんあるし、働くのは生活のためでもあります。
時間に追われることもあるし、仕事はやりがいでもあります。
傷害の有無にかかわらず、労働への思いや位置づけは皆似たようなものを抱いているのだな・・・と感じました。


しかし、仲間たちには労働する上において、私たちより確実に足りないものがあります。
それは“社会とのつながり”“人とのつながり”です。


仲間たちの生きる社会は、私たちに比べとても狭く、人間関係を構築することが困難な仲間にとっては本当に困った社会なのです。その中で、仕事につき労働するということは仲間たちにとってはとても大変なことなのです。


私たちの支援は、仲間たちが働き、作り出したものを社会にだし(社会化し)、知ってもらうことで彼らの世界をより広くしていくところにあるのだな・・・と感じました。
そして、より多くの人に仲間の商品を知ってもらい買ってもらい評価されることで、仲間たちの仕事への意識作りややる気も出来てくるのだな・・・と再確認です。



今回の学習会は、ワークショップ形式で、いつもの学習会(本や仲間のケースともとに講師の方が進めていく形式)とは少し違うものになりましたが、自分の労働って?なんだろう。自分の生き方ってなんだろう?と自分を思い返す良い機会になりました。また、さまざまな現場で働く方々の仕事に対する意識や思いを聞ける機会にもなりました(普段別の作業所の方の仕事に対しての思いなんてなかなか聞ける機会ないですもんね!)


私たちはよく、仲間のディーセントワーク(人間らしい生活を継続的に営める人間らしい労働条件。やりがいがあり、労働条件が人間としての尊厳や健康状態を損なうものでないこと)と言います。
では、私たち福祉現場の職員の労働はディーセントワークと呼べるのでしょうか・・・
やりがいはありますが、低い収入、人手不足、みんな忙しく働いています。
これは、国の福祉に対する低い評価が関係していますが、私たちがディーセントワークできていないのに、仲間のディーセントワークを考えられるでしょうか?


仲間たちの労働を考えながら、
私たち職員も、自分の労働をもう一度振り返り、ともにより良い仕事のあり方を作っていかなければいけないな・・・と感じた分科会になりました。








交流会ではいろいろな作業所の方々と意見交換が出来てとても有意義な楽しい時間でした!!
今回、参加された皆さんお疲れ様でした。
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たなか

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「この国で生きるために・・・」を学ぶ法人研修 ① 
 今年度のひかり法人の職員研修では、日本の社会保障や医療について学び、考える。テキストとして『医療・福祉政策のゆくえを読む』(伊藤周平・著)を用いて、この国の社会保障の仕組みや国の方針、そして様々な面での脆弱性を学んでいく。その上で、どうすれば社会的弱者をはじめとする国民が心身豊かに生きれる社会が実現できるのかを考え、その実践力の基礎にしていきたい。第1回目の今回は、第1章の内容(日本における社会保障の機能不全・社会保障政策の課題について)を用いた。


・ヘルパーステーション 男性職員によるレポート「私の生活から見える社会保障」
彼は、ひかりに勤める以前の自身の生活から見た社会保障と、ひかりに勤め福祉を提供する立場から見た社会保障に関してのレポートを発表。ひかりに勤める以前の所謂派遣の仕事に就いていた、生きる事だけで精一杯だった日々の体験と、自分たちを守ってくれる「社会保障」の制度や施策を知る術を知る機会すらなかった現実を明かしていた。
 その後第1ひかりに就職後、同法人のヘルパーステーションの責任者に就任。日々の業務の中で、政府や自治体の社会保障に対する消極性を痛感している。

・あかり作業所 女性支援員によるレポート「子育てをしながら働くわたしの生活を振り返って」
彼女は、労働と子育て、そしてそれを取り巻く社会・制度や職場環境に関してのレポートを発表。母親の立場としての、育児や保育に対する強い不安感、夫の失業時に経験した行政や制度によるサポートの薄さ・不満等を述べていた。

・テキスト解説 社会保障政策の現況
法人理事による『医療・福祉政策のゆくえを読む』の解説は、「国の新自由主義と社会保障の考え方・政策」を中心に進められた。進められる社会保障の改革・破壊は、すべては「財界の利益を優先」させるべく行っていること、社会保障分野の民営化を推し進め企業に参入させたい意図があること等、国の「福祉で利益を得られる世の中にしたい」思惑が見て取れた。

・ルポルタージュ「原発頼みは一炊の夢か―福島県双葉町が陥った財政難―」
福島第1原発がある福島県の自治体の、原発マネーに頼った結果の繁栄と衰退、そして脱却・再生の様子を知ることができる内容。自治体やその住民に、危険なものでも“納得させる”国の汚い策略を知ることができた。


今回の法人研に参加して・・・
 それぞれの職員からのレポート報告は、若年の労働世代、出産子育て世代の各視点を持った経験談であり、働き始めの自分にとっては未だ経験しておらずなかなか実感することもできない。派遣労働者の生活の実態とその思い、子育て世代の身分・生活保障や保育に対する不安の多さ等は、これからの人生の考え方・行動の仕方に非常に参考になった。また、「私たちに関わる制度を活用するには、どう意識を持ち生活していかなければならないのか」、「制度は“自分たちから使おうとしなければ意味のないモノ”」ということを、両職員の話を聞き、強く感じた。
 また、法人理事による「政府・新自由主義と社会保障」の解説は今回第1章部分だけだったが、社会保障分野での国策における数多くの問題点と、その至る部分に見られる財界との癒着を知ることができた。財界の意図を反映した「総合合算制度」の詳しい仕組み、子育て世代(親子)の貧困孤立化などの現実はこの研修に参加するまで知らず、自分の学びに対する好奇心がまだまだ足らないと痛感した。また、これらの国家レベルでの課題も、必ず私たちの生活に直接関係してくる。それを政府に突きつけ改善させるためには、まずはもっと知って深め、それを皆に広げる力にすることが大切だと感じた。
 「原発頼みは一炊の夢か」では、読んでいくにつれて、ここでもあからさまな米国や大企業優先の癒着が見て取れた。中でも、税収の少ない弱い自治体に“税収増・原発設置地の固定資産税や電源交付金”等甘い謳い文句を並べて惑わせるという「国策」は、不完全な技術に自信が持てない裏返しなのだと分かった。「このまま国民ばかりコケに扱われてたまるか!」という憤りが、読んでいる自分にこみ上げてきた。
 
今回の研修を通して、表向きではなくその裏、本質的な部分を見抜く力が、私たちにはまだまだ足りないと思う。この「社会保障と国の思惑」に関する学習を通して、それらを磨いていきたい。

テーマ:考えさせられた事 - ジャンル:福祉・ボランティア

いしばし

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北風と太陽?仕事と仲間の関係 
残暑おみましもうしあげます。
皆様、猛暑の中いかがお過ごしでしょうか?

今日も食品班は
リヤカー販売に出かけています。

その様な中
今日は何故か風邪でもないのに
鼻をスポンジで覆う
大きなマスクをしてリヤカーにでかけたNさん

今の今まで
大きな声で、
がははと笑っていたNさん

リヤカーに出かけようとすると
突然マスクをし始めました。

Nさんは人前で話すのが苦手
でもリヤカーで人と関わる事が大好き

時々苦手
とっても好き

という忙しい精神状態の仲間です。

出かけてしまえば
楽しいのですが
その緊張からいつも始めは逃げ腰。

ほぼ毎朝
なだめすかしてリヤカーに送り出しています。

今日はマスクをしながら
突然の演技

N「げほごほ。ケホケホ。ほこりがすごいからマスクしなさいって」
かく「え?誰に言われたんですか?おいしゃさん?」

と少し意地悪な質問。

すると
N「えーーーっと。私」

かく「言われてないじゃないですか。そういう時は、私がしたい!ですよ~。」

というと
N「わたしがしたいと・・・」

かく「そうそう。自分がしたいですよ。その調子。
   でも、今日はダメ。
お客さんがNさんの顔見れないし、
さっきまでがはがは笑っていたじゃないですか。
今日はほこりもないみたいよ?」

と話すと

・・・

まあいいか、まずは出れた事を評価しよう。

どうせ、楽しくて、暑くて、そのうち自分ではずすだろう
と様子を見る事に。

すると1軒目のお客さんにいきなり
「どうしたと?そのマスク?あつかろーもん?」
と言われ

モジモジし始めるNさん
しかし仕事は頑張ります。

計算が終わって
「280円です」と言った後。

ここだ!と思って
「Nさんお客さんが聞き取りにくいですよ。話すときは、マスクはずさなきゃ!」

と言うと、
すんなりはずし
「280円です!」とはっきり口に出していて。

お客さんもそれをみて笑顔。

心の中で
「よっしゃー!大成功!むふふ。そうだとおもった~。リヤカー販売好きだからな~」

と思っていると、
接客が終わるとまたいそいそとマスクをつけるNさん

そこでもう一度、
「マスクいらないみたいですね~?」
と言ってみましたが
マスクをつけたまま次の常連さんのお宅へ・・・

しかし
お客さんとの関わりは次々と来る為
3軒目には
マスクをポケットにしまいこんでいました。

私は背中を押そうと頑張りますが、
仕事がNさんを導いてくれます。

Nさんは支援員になんと言われても
マスクははずせないのですが、
仕事に必要だから、邪魔だから、集中しているからと
はずれたマスク。

そこに、仲間たちが労働を通して自分がどう動くか、
どう動きたいか
引き出されていくのだと思います。

ちなみに、マスクの意味は、
「私、風邪引いていて、のどが変だからお客さんに声掛けできないの」
と自分を正当化したいがゆえのメッセージ。
言葉にできないけど

しなきゃいけないけど

できないという行動の現われ

それは一見、仕事だから当然や、
やるべきだととらえられるかもしれません。

しかし、Nさんは
声をださなきゃいけないぞ!とわかっていて
それができていない状態。

私は、
仕事をこなすよりも、
まずはわかっている事を評価し
どのようにそれを引き出していくかが
私たち支援員の仕事だとおもっています。

それを引き出すのは
お客さんの笑顔や売上や
私の一押しの声掛けや
ガミガミという小言(笑)
あとはタイミング。

仕事による充実感が
今日はNさんから
あっという間にマスクを取ってしまいました。

勿障害をもっている仲間の行動には
とてもムラがあるので今回はそういう結果になりましたが、
次回また出来るとは限りません。

しかし、
働く充実感が、そのムラを減らしているのは事実です。

これからも、Nさんは仕事を通して
自分のしなければならないと思う気持ちを
少しずつ実行にうつしていくのだろうな。

そうする為にどうすればよいかと考え、
そう考え実行する事が、
結果は様々だけれど、
私の仕事の充実感なのだろうと思う出来事でした。

★★★★★★

ところで話は変わりますが、
今日は、陶芸・紙すき班は
仲間数名と北九州まで納品に出かけています。

仲間は少し遠足気分でワクワク
職員は新商品の反応がどうなのか
ドキドキしながら出かけていたようです。

昨日職員は、仲間が帰った後、
ああでもないこうでもない
こうしたら仲間の作品をうまくプロデュースできるのではないかと
あれこれ楽しそうに準備しておりました。

客観的に、
やらされている仕事ではなく
やりたい仕事をしている同僚にうれしくなりつつ

明日は、きょうされんの学習会。

相変わらず日々楽しくも忙しく充実した陶友の人々なのでした。

かく

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 法人研修 ~医療・福祉政策のゆくえを読む~第1回 
7月23日に法人研修~医療・福祉政策のゆくえを読む~の第1回の勉強会が行われました。

まず、2名の職員のレポート発表が行われ、法人の常任理事の方からの抗議がありました。
“レポート”と言っても、ひかり法人のレポートは少し変わっていて、「自らの生活にスポットを当てたレポートを!」というものでした。
レポーターになったあかりの職員さん、第1ひかりの職員さんの話から主に感じたのは“不安を抱えながらの生活”です。
 

(レポート)
「今の仕事に就く前は、毎日どう生活するか考える日々で、家賃の支払いが明日に迫っている。ということもありました。」と話すのは第1ひかりの職員さんです。「年越し派遣村も他人事ではない。どんなにきつい仕事でも辞められない。仕事があるだけまし」と、以前の生活を語りました。
あかりの職員さんは「夫が体を壊し仕事を辞めたが失業保険もすぐには出ず、私も産休を立っていたので、貯金を崩しながらの生活でした。」「今の仕事もきついみたいだけれど、まえよりはまだいいかも・・・」と苦しかった当時のことを語りました。



レポートを聞いて感じたことは、現在どんなに工賃や労働条件が悪い仕事でも“働ける場があるだけでも幸せ”と言われるような時代なのだということです。余裕のある国民はほんの一握りで、ほとんどの国民は“これからの将来どう生活するか”という漠然とした不安を抱えています。特に低所得者は“明日どう生きるか”です。
2つのレポートからも“儲けとして役に立たないものは社会から必要ない”“役に立たないならせめて国に迷惑はかけるな”“生活に余裕がほしいならもっと働けばいいじゃない”と言われているように感じました。


そして、問題なのは、多くの国民が「自分の生活がきついのは自分のせいだ」と思い、社会の問題としてとらえていないことだと思いました。国は“苦しいなら頑張って仕事につき働けばいいじゃない”というが、そもそも働く場がないのです。働く場がないことは個人の責任ではありません。儲けを出そう、人件費を削ろう、と国がやってきた中で生まれた問題です。しかし、“自己責任”と掲げたこの国では、“きついのは自分のせいだ”と国民も思わざるをえない状況にあるのです。



私は、福祉現場で働く職員は少なからず、上のような問題は「社会の問題」ととらえていると思っています。
福祉現場で働く職員の生活は厳しく・体力的にも大変です。しかも国からは儲けのない仕事ととらえられ、補助も少なく、職員もいっぱいいっぱいの生活をしている状態です。でも、皆自分の仕事の必要性を感じ働いているのです。
志が高い職員と言われれば聞こえはいいですが、私は、“職員も人間であり、自分たちの生活もきちんと保障されなければやりがいもなくなる”と思うのです。又、まず自分たちの生活がままならない状態で、仲間の生活支援を考えるというのもおかしいと思います。私たちは“仲間の生きる道を勝ち取る”と同時に“自分たちの生きる道”も勝ち取らなければなりません。


しかし、戦う相手は“国”です。
「知りたければ自分で調べなさい。」という社会の中で、戦うすべも知らない国民がたくさんいると思います。知らないということは絶対的に不利でそれこそ国の言いなり・思うがままです。(国としてはよけいな情報を知っている国民は少ないほうがいいという考えなのでしょう)
そして、私もそのうちの1人です。社会の仕組みを知ることが戦うすべならば、私は自分を守るすべをまったく持っていません。



 私は、この研修会は“生きるための武器を身に着ける勉強”“そのために必要な勉強の仕方”を学ぶ場所として捉えたいと思いました。

そして、
皆が人間らしく生活していける社会を目指すこと。
自分の生活を守るための勉強をすること。それは仲間の生活を守るものにつながること。
というのを考えながら、少しでも学びを進めていこうと思います。






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たなか

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法人研修レポート ~社会保障について~ 

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じきょう

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お盆のすごし方 
暦の上では、もう秋ですね。
皆さま、残暑お見舞い申し上げますm(__)m

陶友では、仲間たちも夏季休業(お盆休み)に入りました。
お休みに入る前日の11日は仲間たちの作業は午前中のみにして、
お昼ご飯の前に、上半期の反省会を全体で行いました。

仲間たちにこの半年間を振り返ってもらったのですが・・・

「(上半期の打ち上げで)バーベキューに行った。
初めてバーベキューをしたけど、楽しかった~」
(↑ この打ち上げの様子・内容は、後日追ってアップします!;)

「クラブでパンを焼きに行った(“ナン”焼き体験のこと)のが楽しかった!」

「(これからも)絵付けをいっぱいがんばります!」

仕事に、余暇活動に、イベント事に、と
振り返って思うことも多種多様です。
(でも基本的に、楽しかったことの発表が多かったです。
クラブや打ち上げなど、職員としても皆に楽しんでもらえて何よりです!)

反省会後には、お盆休みの予定を話す仲間たちもいました。
連休中に家族と出かける人や
仲間同士で遊ぶ人、
家事をしなければならず、遊べない人など・・・。

皆が皆、“楽しい連休”とは言えず
悲喜こもごもといった雰囲気のなか、
仲間たちは作業と昼食を終え、帰っていきました。


職員も夏季休業に入り、
県外の実家に帰省する者、福岡にとどまり仕事をする者、
これまた様々です。

私はといえば・・・
地元に帰り祖母の墓参りをし、本を読んだり、洗車したり、
班の仕事に少し取りかかったり、寝たり・・・

きっと、たなかさんやじきょうさんは
地元の友達と楽しく過ごしているんだろうな~と思うと、
私は休暇のすごし方が貧困だと痛感・・・
(疲れを取るための休暇でもあるので、もちろん有難いものなのですが^^;)

そんな余暇貧困な私。
お盆休み明け、きっとあちらこちらから
楽しかったお盆休みの会話の嵐に遭う気がします。笑

でも、仲間たちそれぞれからどんなお土産話が聞けるか
とっても楽しみです☆

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いしばし

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「予防医療」実現できてるの・・・?? 
以前にも書いたのですが、
私はⅠ型糖尿病(インスリン依存型糖尿病)という病気に罹っています。
発症したときからいわゆる末期の糖尿病の状態なので、最初から自己注射、
自己血糖測定・管理をし、それを続けて14年ちかく経ちます。
(生活習慣から罹る人はだいたい、初期や急性期から(無投薬)→(経口薬)→
(自己注射)というように、重症化するごとに治療内容が変わっていきます)

とくに自己血糖測定は、食前食後と就寝前にするのが好ましく、
意識が無くなってしまう「低血糖・高血糖」状態を避けるためにも、できるだけ
測って把握し、安心して仕事ができるように心がけています。

最近では、ちょっと血糖値が気になりだした所長の血糖も、何度か測ってます。
(保健師さんみたい?笑)


私の病気は、国により小児慢性疾患に指定されていて
本人がいる世帯の収入に応じて、公費負担により医療費の全額免除か
一部自己負担で、通院(入院)治療を受けられます。(応能負担)

しかし、これが少しネックなんです・・・
“小児”と付いてることもあってか、
公費負担は20歳になる誕生日までで打ち切り

(こうなる以前は、18歳になる誕生日まででした。私が19になる直前、
私の知らない間に20歳までの公費負担の延長が決定・施行されました。)

“18歳まで”の時期は、当時定時制の高校に通いながらバイトをし、
延長決定が決まる約1年間、そのバイト代から病院代を払っていました。
(3割負担)

また、“20歳以降”では、私が専門学校を卒業し就職したのが23歳になった
翌年の4月なので、3年半は奨学金や訪問・ガイドヘルパーのバイト代から、
毎月医療費を捻出。
(3割負担)

そして現在、就職し被扶養者から外れ、健康保険証を新たにもらいました。
(もちろん3割負担)

1か月間、薬に少し余裕を持って体調管理をし
日々過ごすためにかかる私の医療費(診療代・薬代)は、
3割負担で1万5千円/月は確実に超えます。
糖尿病に係る医療費のみです


ただ、この病気は、現在の日本では
すい臓の臓器移植以外は完全治癒はしません・・・
しかも、聞いた話では「すい臓」の移植は拒絶反応が強いらしく・・・

(「すい臓」・・・(少し分かりやすく言うと・・・)
摂取したブドウ糖をエネルギーに変え血糖を下げるホルモンを作る臓器。
ここが侵されてホルモンが出にくくなり、
血糖が下がらず余分な糖が尿に出てくる。
これが「糖尿病」です。)


すなわち、一生付き合わなければいけない病気なのです。


先ほどお話ししたように、
小児期に罹ったこのような疾患は成人期になっても治るはずもなく、
月々確実に1万5千円はかかる医療費を(手術しない限り)一生払い続ける・・・

極端に言えば、「払えなければ死ぬしかない」
ということと同じですよね。
生活保護(医療扶助)もありますが、現役で働ける今の私には現実味がなく・・・


私に限らず皆さんもそうだと思いますが、
医療費がかかれば病院にもなかなか行きづらくなります。
(もちろんその前に、病気にさせるような現代の「会社の働かせ方」にも
問題があるものですよね・・・)
そして、必要最低限の受診しかしなくなり、重症化してから受診する羽目に。
という悪循環の繰り返しです。

また私の場合、治療に使う薬品も、
モノによってはひと月にもらえる数の上限があり、
それ以上もらえば全額負担に・・・
(例えば、自己血糖測定器用の試験紙はひと月に25枚入りを
5つまでしかもらえず、それ以上もらうと1つあたり2400円の全額負担です。
先にも書きましたが、
1日6回は血糖測定をしたいのですが、ひと月保たせるために帳尻を合わせ、
切り詰めています。)


私のような持病がある人たちや体が資本の労働者にとって、
「予防医療」なんて夢のまた夢のような現状です。
もちろん、今の医療制度や健康保険制度では、
労働者だけでなく、子ども、お年寄り、障害のある仲間たちにとっても
「健やかに生きられる国」ではないと思います。


「いまの日本には予防医療を実現する気はないのかな・・・」
「いつか、こんな『健康に生きることもできない世の中』を
何とかできないかなあ・・・」

(「所長の血糖値、下がってほしいなあ・・・」)

と、病気と向きあう日々のなか、つねづね思う石橋でした(;_;)




テーマ:暮らし・生活 - ジャンル:ライフ

いしばし

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その場で教えてほしいのです。 
「声かけ」という指導・援助と知的障害 の続編です。

 あれはあれでいいのですが、大事なことを忘れていました。

 ほんとは、こんな時、そこに居合わせた人が、変な奴,おかしな奴と目をそらさないで、その時に注意してくれたらいいのにといつも思います。

 たとえば、電車やバスに乗る。
自閉症の人は席にこだわりがあって、我先に、あるいは無理に人を押しのけてまで席をとることがあります。ほとんどの人はしぶしぶ譲ったり、苦い顔で見逃してやります。

 相手がどういう人かわからない、注意でもしたら暴れるかもしれない、いや、危害を加えられるかも・・・、よくわからないから関ろうにも関ることができない…実情はそうではないでしょうか。

 是非、その場で一声かけてくださるようお願いします。
「そこはおばあちゃんがかけるところだから駄目ですよ」
「順番、順番ですよ」と。

そうすればその場で学ぶ機会が増え、はるかに身に付くと思うのです。
地域で社会で、そういうまなざしで受け止められたら、彼らもどんなに生きやすくなるでしょう・・・。

 トノノ場合も然り。
我々の実践としては、トノの学習を支援するだけでは片手落ちなのです。
殿をコンビニに連れて行き、頭を下げお詫びしながら、
「そんな時、こういう風に声掛けして教えてください」と、お願いに行かなきゃ。

 ICFを学び「障害は環境との相互作用の中でとらえる」ということを知っても、実践に結びつかなければ学んだことにならないのです。

 トノに働きかけるだけでなく「環境」にこそ働きかけなければ・・・!

テーマ:障害者の自立 - ジャンル:福祉・ボランティア

鬼瓦

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「声かけ」という指導・援助と知的障害 
 一度身についた生活習慣を変えることは難しいものですね。

 トノにまつわる話です。
トイレにすわりズボンを膝下までおろし用を足す。終わってからズボンを上げるのですが、いつどのタイミングで上げるか。

 「近所のコンビニで、ズボンを上げないうちにトイレから出てきていた」と、たまたま出勤時に見かけた職員の報告があった。コンビニにとっては、トイレを使うだけの迷惑な人かもしれないな。そういうふうに見られると本人達にとっては、益々生きづらい世の中になってしまうのである。理解と配慮をお願いしつつも、こちらも変わる可能性に挑戦しなければ、理解は得られないでしょうね。

 この間も、トイレから出てくるたびに声かけはしてきたし、家庭でもよく言い聞かせていると言う。

 陶友ではトイレから出て洗面所、靴置き場と、二区画、約3メートルの距離がある。普通我々が見かけるのは靴置き場の暖簾をくぐって出てくるところである。
 その時、トノはやっとズボンをずり上げてベルトを締めようとするところである。

 しかし、コンビニのトイレは、直で見えるところに出てしまう。

 「声かけ」で変わることが出来れば世話無いのだ。
実践の中で、よく「声かけをする」と言う。私は、「無駄な声かけをするな、相手が混乱するだけだ。状況と結びつけたシンプルでわかりやすい声かけを」といつも言っている。相手の、知的障害の特性をよく知って対応を、と。

 その後よく観察すると陶友でも、トイレからはそのままで出てきて、それからズボンを上げて・・・である。
つまり、本人にとってはどこでもお決まりの習慣でやっているのだ。

 どうしたらいいんだ?
陶友での場合、出てきた後でモゾモゾしている時に言い聞かせても、本人には伝わらないだろう。重い知的な障害がある場合、言語の意味が、そこまで自分の行動を変容させえるほどの力を持っては取りこまれないだろう。しかも、行動パターンの変化を最も嫌う自閉症である。

 ここ三日ほど、彼がトイレに入ったとわかったら、そのドアの前に立つことにしている。
ドアを開けると、
「ヤバイ!オオワキサンだ!」(多分ね、笑)
と、とっさにドアを閉めて身づくろいしてから出てくるようになった。そして今日は、2回ともトイレの中で身づくろいをほぼ終わり出てきた。(私が外にいることは気づかれないようにしている)

 まあ、陶友においてはこのやり方で、一応の改善は見込めるかもしれない。しかし、どこでも、「トイレに入ったらこうする」という一般化は、それだけでは難しいように思える。

 次の手を考えなければ・・・。
「ヤバイ、オオワキサン」だけでなく、他の職員にも立って見てもらう。家庭の便所でも同じようにしてもらう・・・、だんだん「オオワキ!」という要素が意味を持たなくなり、残された「トイレの中で身づくろいする」という行為が一般化していく・・・。

 解るかな?
「トイレの中で身ずくろいする」--「オオワキ」
「トイレの中で身ずくろいする」ーーーじきょう
「トイレの中で身ずくろいする」ーーーたなか
「トイレの中で身ずくろいする」ーーーヒロシさん
「トイレの中で身ずくろいする」ーーー他の仲間
「トイレの中で身ずくろいする」ーーー・・・・

こういう経験をしながら、「オオワキ」とか「じきょう」とか・・・こんな要素は付属的なものになっていき、「トイレの中で身ずくろいする」ということが、トノの中で優位な存在を占める・・・と、思うわけよ。これが「一般化」という意味。

ま、やってみないと解らんな。これが現場の面白さ。答えは、よく観察し考え、見通しを立てた実践の中から探す。ダメなら、また検証し、組み立てなおして実践を発展させる。

 何てこと無い単純な日常のことでも、習慣を変えるというのは結構難しいものである。
障害のあるなしに関わらず、皆さんも心当たりあるでしょう(笑)。


 ★追記:「その場で教えてほしいのです。」 へ続く。

テーマ:障害者作業所 - ジャンル:日記

鬼瓦

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どうやって学ぶか? 
今、学生の実習生が入っています。

実習生は事前のオリエンテーションを受け、それを受け初日に全職員の前で「実習の目標」などを発表してもらいます。そして日々の終礼で一日の総括をする・・・。

何事もやりっぱなしだと成果が確認できず、何を学んだのか自分でもわかりません。言語化して伝え、討論することによって深める・・・。陶友での基本的なスタイルです。

しかし、この総括が、「・・・でした」で終わり、「ああそうですか」で終わりがち。突っ込みどころが無いのです。盛り上がらず学びも深まりません。

そこで、昨日から、「質問をひとり三つ準備すること」にしました。結果、上々でした。
今日は発展させて、「実習生で話し合いみんなで5つの質問を」・・・、この話し合いが大事なのです。


ところで、事前オリエンテーションですが、
これまで私がやってきました。
次から、じきょうくんとたなかさんにもやってもらいます・
「え~~~!」て顔してましたが、他流試合の真剣勝負に挑まないと、勉強しません、身につきません。
「何をどう話すか、俺が聞くからな」と言うと、青ざめて(笑)いますが・・・。

「緊張します!」
「誰が聞こうが同じじゃないか。実習生なら緊張しないなら、彼らに失礼じゃないか」「誰が見ようが、大事なのは自分を曝し自分に向き合うこと。いい機会じゃないか。」
・・・ナンテ、いじめながら・・・。

実習生に、陶友をどう伝えるか、どういう実習を求めるか、それは即ち自分が何をどう見ているのか、どういう職員なのかを問う作業でもあります。

だから、「オレは職員が何をどう考えてるかを見たいんよ。」


後に引けない真剣勝負の他流試合で自分を研く機会だ、と心得よ!というこことですよ。

参考までに以下、紹介しておきます。
私のようになる必要も真似をする必要もありません。
この機会に自分の「体系」つくりに着手してください。

■NO.486 大学で出前道場、「現場実習の心構え」について。(人間・福祉・社会を考える過去ログ三部作をぜひ読んで!)
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-529.html

■NO.1856 「『障害=個性』は一度も口にしたことはない」(乙武洋匡さん) 
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1897.html

■NO.241 障害は個性か?
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■NO.245 障害は構造的。
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テーマ:障害者作業所 - ジャンル:日記

鬼瓦

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歴史の中の障害者 
 先日の終礼で話したことを簡単にまとめておきます。

縄文人と弥生人と障害者
 文字で記録がない有史以前のことは考古学の知見に頼るわけですが、日本でも、大腿骨骨折をしながら生き延びていた縄文人の骨が発見されています。
 ところが弥生人の中には障害者は発見されていないそうです。
(それはたまたまだと言えば考古学は成り立ちません。考古学は出土した遺品を例外としないで、当時の普通のこととして扱うのが基本だそうです。なるほど)

 縄文人は、狩猟と狩りを生業とした原始共同体の中で暮していました。そこでは基本的には「重い障害者とともにに生きた」後期ネアンデルタール人たちと同じような人間関係・・・相互扶助と連帯の関係の中にあったと思われます。

武器とともに障害者が消えた?
 弥生時代の遺跡から発見される鏃(ヤジリ)は、鋭く殺傷用のものだそうです。
農耕が始まり、食料に一定の余剰生産物が出来ると、それは人口の増加に寄与しつつも、一部の者がその富を支配しようとするようになる。部族内でも争いが起こり、他部族への略奪も行われる・・・、戦争が起こるようになっていきます。その武器としてそれまでもっぱら狩猟の道具として使われていた道具が武器に発展していったと考えられます。

 そうして、戦争が始まり武器が出現するとともに障害者は消えたというのです。
社会的な富を一部の者が独占しようとする階級社会は、奴隷制社会、封建制社会と引き継がれ、今日の資本主義社会へと発展してきました。

 障害者の存在と問題も、こうした社会発展の歴史の中でとらえることが重要だと思います。

蛭子は川に捨てた
さて、次は有史の中で障害者の姿を概観してみたいと思います。
ある古文書に「蛭子は川に捨てた」と記されているそうです。蛭子、手足が無いか、或いは奇形でしょうか。そうやって、人為的に淘汰した歴史がうかがえます。

 奈良時代に光明皇后が興福寺に悲田院、薬施院を作り、行き倒れや病人、老人や捨て子、障害者を保護したことは知られていますが、これが記録に残る最初の障害者保護でしょうか?

 江戸時代には、幕府が捨て子禁止令を出したり、五人組で保護体制を作らせたりしたそうです。また、寺子屋には5%のろう児がいたという記録もあるそうです。
 これらは、権利保障には程遠い取り組みですが、お上の温情で慈恵的な「福祉」が芽生えてきていたのでしょう。

 このように、人間の命の一部として生まれてくる障害者には、人類史とともに長い歴史があります。
「めくら蛇におじず」「めくらに提灯」「ばかと鋏は使いよう」などの、障害者を侮蔑した言葉が出来たのも江戸時代だという・・・。
 或いは路上に、あるいは見世物小屋で、また或いは・・・、社会の片隅にひっそりとではあるが確かに存在して来た障害者の歴史です。

「戦争とともに障害者が消えた?」と書きましたが、今日世界の障害者の圧倒的な数は、戦争による障害者です。

 生産力の爆発的な発展を遂げた今日の高度に発達した資本主義の社会。
まとまりなくなりましたが、この国での障害者問題を考える時、歴史は様々な示唆に富んでいると思います。


 はるか有史以前の「人間と障害者」については以下も参照ください。(かなり以前のものですが)
人間・福祉・社会を考える過去ログ三部作
NO.258 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(1)
NO.259 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(2)
NO.260 重い障害者と生きた初めての人々。・・・人間らしさについて考える。(3)

 この3部作は、今日の新自由主義政策の福祉切捨てを概観し、考古学資料の人骨・重い障害を持った後期ネアンデルタール人と対話しながら、新自由主義の人間観を批判し、人間と福祉について考えたものです。
 とはいえ、学術的ではなく「浪花節的」ですが、最も自分らしい記事で、思想的原点ともクロスするものです。


鬼瓦

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