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みんなの力でエネルギー政策の転換を! 

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いしばし

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これから1年間・・・役員会の中で 
先日、陶友仲間の自治会“流れ星”の新しい役員による第1回役員会が開かれました。

昨年度までは職員が積極的に関与していたため、
「これで、本当に仲間たちの発展への支援になるのだろうか・・・?結局、職員におんぶに抱っこ状態じゃないのか・・・?」と職員会議で話し合いがなされた上での今回の自治会。担当職員のたなかも“今年1年、役員会を通して、仲間たちの意識をどう作っていくか、どう成長につなげていくか”が課題になります。




さて、まずは役員会の前に・・・自治会規約、自治会のあり方の説明を。
1番大事なのは“仲間たちの自治会は自分たちで考え、行動する事”。



「今回は役員会の日にちも職員は決めません。役員でそれぞれ自分が空いている日を担当職員に聞いて、全員が揃う日を私に言ってください。」
「職員は、仲間からいってこない限り、何も動きません。」と、仲間には少し難しいかもしれませんが、投げかけてみました。(もちろん初めて会長になったリュウクンとはそのあと段取りを一緒に確認しましたが)





その後、自分たちで日程を決め、たなかも都合の良い日にちだったため役員会が開かれることになりました。


当日、役員会の前にリュウクンと『今日話さなければならないこと』を確認し、会議に臨みました。
会議中職員はできるだけ見守って(これがなかなか難しいのです。仲間だけでの話し合いは、脱線の連続・・・)今日はリュウクンが会長としての司会や役割を少しでも感じられることを目指しました。

さて、どうなることやら・・・






「今から、役員会を始めます。最初は“係り決め”のことです。」

「他にありませんか?・・・では次に進みます。」





初めての会議でリュウクンにとってはわからないことばかりでしたが、少しずつ職員と一緒に確認しながら会議を進める事ができました。




もう一つ、私が今回の会議でよかったと思うことがありました。
それは副会長になったホンチャン。

前自治会では会長でしたが、なかなか会長の仕事を把握することが難しいこともありました。今回の副会長としての仕事はどんなものになるのかな・・・と思っていましたが、なるほど・・・今回は、会長の補佐としての副会長の役割が見える役員会でした。

昨年の役員会のことが分からないリュウクンやハマチャン(書記)のために、昨年の資料を読み上げたり、“手をあげて”発言する規約もきちんと守ったり。
会長が年下のリュウクンだからなのか、ホンチャンの身のおき方もいつもとは少し違って見えました。

しかし、まだまだおしゃべりや脱線は頻繁に起こるもので・・・
そこはビシッとしめていかなければな、と感じるたなかでした・・・。









『1つ1つの物事はすべて“のっぺらぼう”の1面的な見方では、ただこなすものになってしまう。そこに支援はない。物事を通し仲間1人1人の発展にどう繋げていくか。そこに考えることに支援はある。』所長の言葉を心におきながら・・・


今回の役員会で見えた、まだたどたどしいけれど自治会のリーダーとして頑張るリュウクンの姿、そして年下のリュウクンを気遣う副会長のホンチャンの姿。
これから1年、役員会を通して、そんな良い姿を(リュウクン、ホンチャン以外の仲間ももちろん!)たくさん見つけ伸ばしていかなければならないな・・・と感じました。

今年の役員会は初参加の仲間はもちろん、支援する職員たなかにとっても、たくさん考え勉強する年になりそうです!!


              リュウクン

テーマ:障害者作業所 - ジャンル:日記

たなか

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うちの番頭さん 
カゴサンは食品班で働いています。
63歳のカゴサンは一般社会でいうと、もう定年も過ぎで「あとは若手の皆さんに仕事は任せようかな・・・」なんて言ってもおかしくはない歳になります。

しかし、カゴサンは未だ現役バリバリ(現役バリバリの方は一般社会でもいらっしゃいますけれど)「他の若い仲間にオレの仕事を取られてたまるか!!」という勢いです。

どんな場面でも自分が1番!!じゃないと落ち着かず、心が満たされません。
だから自分ではなく他の仲間が物事の中心にいるとイライラ!!これはカゴサンにもどうすることも出来ません。



カゴサンは障害者の作業所に来る前は、一般就労をしていました。
そこでは周りの人がカゴサンに知的障害があることが分からず、(きっと物覚えの遅い)カゴサンは辛い言葉を言われたり、冷たくされたりしたのでしょう。
その中でカゴサンは、仕事の中で1番上に立つ人に憧れを抱きました。「1番上に立つ人が1番偉くて、みんなに指図し、物事の中心にいることが出来る。」
カゴサンにとって“1番上に立つ”ということは誰にも侵されることのない不動の地位として認識されているのでしょう。


職員の私たちから見たら、一所懸命に働いていて、仲間みんなに慕われているカゴサンは十分輝ける場所があると思うのですが・・・
カゴサンの考える“自分の輝ける場所”はみんなの1番上に立てるところにしかないようです。

そんな姿を見るとちょっと切なくなるんです。
陶友は自分を出せる場所だけれど、陶友に来るまでは、自分を出して輝ける場所がなかったんですね・・・
カゴサンにとっては、63歳の“今”が1番輝ける場所なのかも知れません。





今日もカゴサンは自分が1番でなくなると「オレは何もせんけんね!!!」「いっつもオレばっかり!!」とイライラします。
そんな時は、嬉しくなる魔法♪をかけます。
「カゴサーン!!重要任務ですよー!!カゴサンにしかできん仕事なんですが・・・」

くるりっっ
ニコニコ~☆
「はい!何でしょう??あれやね。別にオレじゃなくてもできるばってん、やっぱりオレがいかんとねっっ。」



カゴサンにしかできない重要任務を頼むと途端に笑顔に・・・(笑)


カゴサンにしかできない仕事もたくさんあって、
カゴサンのリヤカーや配達を待っていてくれるお客さんがいて、
「またきてね、番頭さん」と声をかけてくれるお客さんがいて・・・

1番だけが偉いんじゃないんですよ~??
カゴサンにはカゴサンの良さがあるんです。
そういうことを感じるのは、少し難しいかもしれないけれど、働く中で少しでも感じてもらえたら嬉しいな・・・と感じるたなかなのでした。


                    無題-スキャンされたイメージ-03

テーマ:障害者作業所 - ジャンル:日記

たなか

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「マルクスの生き方」と「私の生き方」 
皆さま、ゴールデンウィークは晴天続きでお出かけ日和でしたが、
いかがお過ごしになられたのでしょうか??
私はと言うと・・・
今月2日から6日まで丸々5日間、食中毒で寝込んでしまいました(;_;)
(念のため、最近騒然となっている“あの食べ物”ではありません^^;)
自分なりにやりたかったことを計画していたのですが、それも出来ず。
また、実家で過ごそうとすると「体調不良」を理由に、姉と姪っ子も同居するその実家にも寄せ付けてもらえず、具合が悪い中独りで過ごす日々・・・汗
とんだGWになってしまいました。

私にとってそんなこんななGWでしたが、かくさんじきょうさんがアップされているように、私もマルクスについて学び始めました!
特に自分は、学ぶときは必ずと言っていいほど、いつも「自分」と重ね合わせたり照らし合わせたりして、共通点や相違点を探すことから始めます。(結構独特なのかな??)
その方が学ぶ内容に対してとても主観的に見れるのと、やっぱり「学びを楽しむ」にはそこを基本にしないと理解して応用するのはなかなか難しいのかな?と、思ってるからかもしれません。
今回は、私もまだまだ学び始めではありますが、「マルクスの生き方」と「自分の生き方」を重ね合わせてレポートを書いてみました!
長々と書いていますが、是非お読みいただければと思います☆



「マルクスのかじり方(1)を読んで」
                             
私はこの本を読むまで、マルクスについては名前しか覚えておらず、“何をした人物”かも不確かな状態だった。
そんな中この本を読み、一部分ではあるが改めて彼の人生と生きた時代背景、所業を知り、その生き方と研究内容に深く興味を持つことができた。
「マルクスのかじり方」を読み進めて、私なりに節々に感じたことを、大きく3つに分けて書いてみた。
まず、マルクスの革命家としての生き方について。
わずか17歳の若さで「周りが幸せになる働きをしなければ、自分自身も幸せにはなり得ない」との強い志を既に持ち、青年期には政府の圧力で元の目標を断念しながらも自身で道を切り開き、多くの市民の心を動かす活動に魂を込め続けた姿には、心から感銘を受けた。
また活動へのバイタリティに関しても、国の情勢や時代背景が彼を飛躍的に動かしていたのかもしれないが、しかし自分たちのこの時代も生き辛さを感じているし、マルクスの生きた状況下よりも国による活動の制限も無い。
それなのに私たちは・・・と、とても不甲斐なく感じた。
ただ同時に、私のように(無力でも)「この国を何とかしたい」「私が生きやすい(=みんなが生きやすい)世の中にしたい」と思っている人はあまり多く感じられず、「今さえよければ」「自分さえ幸せなら」と生きる人が、この日本にはまだまだ多いのではないかということにも意識が向いた。
活動するにあたり「どうすればそんな人々の心を突き動かせるのだろうか?」という根本的部分に大きな課題があるため、これからも更にマルクスの活動・取り組みの内容を学び深めて、“多くの国民とこの現状を分かち合い、手を取り合っていく手段”の糸口が見つかればと思う。
次に、いまこんな私にできる事について。
私は生きる困難を持つ者として(いしばしの自己紹介を参照ください!)、「自分が生きやすけりゃみんなも少なからず生きやすいはず」と常に思ってしまう。
(私は10才から「Ⅰ型糖尿病」という、現段階では完治せず、一生注射を打ち続けなければ生きていけない病気に罹っていて、今も治療を続けています。)
そこでふと「他のⅠ型糖尿の人たちは、この世の中で生き難くないのだろうか」と思い、近いうちに、県内のⅠ型糖尿病児と広く繋がりのある知り合いと“生きづらさ調査”(医療費等経済面、生活面、労働面・・・等、糖尿病があるために困る部分を聞き取り)をしようかと企てていた。
そんな矢先、労働者たちの共感をもとに人々を動かすマルクスの姿と力強い活動を見て、「自分にしかできないことでみんなの幸せに繋がるのなら、できるとこまでとことんやってみよう。」とやる気を奮い立たせることができた。
この本を読んでいくうちに“自分にもできる事に取り組み、少しでも世の中を動かす”可能性が、徐々に増してくるように感じる。
病気を抱えて以来ずっと自分の中に持ち続ける“「何とかなるさ」ではなく「何とかしたい」の気持ち”を大切に、マルクスの情熱を胸に持ちながら、自分にもできる(自分にしかできない)ことを見つけ考え行動していきたい。
そして、学ぶ楽しさについて。
元々、「なぜ世の中は資本主義社会が主流になっているんだろう」と学生時代から疑問に思っていたこともあり、資本主義の詳しい仕組み、長所短所等は気になっていた。
そこで今回このマルクスに出会え、一気に「この世の中の仕組みを知りたい!」と思うようになった。
学びから“知りたいという好奇心や知る楽しみができる喜び”というものは、私なりにでも学校時代に経験してきた。
しかし就職して以降このような気持ちが沸いたのは初めてで、「知ることでこの現状をどうにかできるかもしれない!」という気持ちも生まれてきた。
そんな気持ちを、この場ではもちろん、様々な学びを深める意欲に繋げていきたいと思う。
初めて「マルクス」に関する本を読み、“理解する楽しさ”に改めて触れることができ、またこの本を読むことで“私たちでこの世の中を何とかできるかも!?”という期待や自信が徐々に沸いてくるように感じる。
私は、恥ずかしながら学校を卒業してから今まで、こんなに真剣に本を読んだことが無かった。
今後も、本書を含め「芋づる式」に興味をそそった本を集めてゆっくり何度も熟読し、世の中を動かす力の“基礎”を作っていきたいと思う。



以上です☆
何だか、とても大それた事を書いてしまいましたが・・・汗
(こんな世の中、実現したいですね^^)

私は、この仕事を知りこの仕事に就いて、学生時代以上に「世の中のこと」に強い興味・関心を持つようになりました。
そうなれたのは、自分の生き方と仲間の生き方にどこか共通点、共感できる部分があったからなのかも知れません。
“自分にも繋がっている”と実感できて、はじめて私の中に「学ぶ楽しさ」が生まれてくるような気がします。

自分はこれからもこの姿勢で、「学び」を深めていこうと思っています!


(いしばし)
いしばし

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今日は応援団「ゆうゆう」の総会でした! 
本日の陶友は大変にぎやかです

今現在も・・・

今日は、陶友の応援団の『ゆうゆう』の総会でした
今回団長が新しく入れ替わるなどの変化もありました

佐藤さん長い間団長ありがとうございました!

湊さんこれからよろしくお願いします!!!

さて
私も再び三次会へと戻ろうと思います(笑)荳画ャ。莨喟convert_20110514231238


写真は3次会の様子です
3次会なだけあって
人数はかなり減ってもこの人数(^^)

取り急ぎご報告でした。

すみません
写真がかなり小さくなりました
黒い●が頭です(><)
興味がある方は
頑張って数えてみてください

また後日色々試して見やすいサイズをアップしたいと思います。
かく

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「陶器」という道具の文化 

 陶器のマドラーです。

     110512fuji4060.jpg

 フミさんがせっせと作り、ジュンクンが絵付けをする。100円なり。お手軽でもあり、チョコチョコ売れてます。

 お客さんから、「ちょっと当たっただけで折れた」というクレームがありました。。
きっと何かの不都合があったのでしょうが、
これを機に標題の面から陶器について考えてみた。

多少乱暴だが、
結論的にいえば、「陶器は割れるもの」なのです。

割れるものだから大事に使う。
使う人の心を引き出すのが道具なんです。

 お茶の世界の楽焼などは、800度そこそこで焼くからほんとにやわい。
それを、丁寧に心をこめて手にしてお茶をいただく。
亭主が客をもてなし思いやる心、客が感謝し・・・、そういう関係を道具が取り持つのです。

 わざわざ、陶器のマドラーを特注している喫茶店だってある。
プラスチックや金属のスプーンでカシャカシャとやるよりも、
丁寧にゆっくり優しく使う時に、コーヒータイムの和らいだ時が流れる・・・、
そういうものじゃないだろうか。

 道具には、こういう目的でこう使うという法則が組み込まれている。
道具とは人間の生活様式や文化が凝縮されているものなのです。
それを使うことによって、使う人の行動や心持が引き出され、身についていく。
そうやって、人間は生活様式や文化を精神世界に至るまで道具にこめて、それを使うことによって伝承して来たのです。

 陶友のお茶碗を給食に取り入れた保育園の方が、
「陶器の器を使うようになってから、子どもたちお行儀よく大事に食べるようになったんですよ。」
といってくれたのもそういうことだ。


 「使う人の心を引き出すのが道具なんです。」と書いたけど、勿論身体的能力も、です。
子どもの発達と道具の使用行為を見れば明らかでしょう。
例えばお箸。
最初からお箸を上手に使える人なんかいません。

 お箸、たった2本の小さな棒が持つ物理学・力学の法則がその中に刷り込まれている。
それを「挟む」という目的を持って、将に使うことによって、その法則を我が物にしていく過程なのです。勿論、物理学の知論によってではなく、繰り返しの経験によって手・指の巧妙な働きを獲得していくのです。
 箸を使う文化の無い外人さんの大人が、最初は四苦八苦するのを見ても一目瞭然でしょ。

 ノミでもカンナでも、刺身包丁でもそう。こういう道具があるからこそ、大工の職人技も板さんの腕も伝承されてきたんだ。

 つまり、
道具は人間の能力や精神が「対象化」されたものだということ。それを使うことによって、人間は能力や精神を「内化」(自分のものにする)するということ。そういうプロセスを経て人類は歴史的・文化的に発達・進化して来たのです。


★「歴史的・文化的発達論」:人間以外の動物達の発達は遺伝学的・生物学的法則に支配されている(もちろん個体の学習能力は否定しないが)。しかし、人間発達の特徴は、生物学的・動物学的運命、遺伝学的宿命から自由になり、歴史的・文化的に発達するということにある。その発達の源泉としての社会、その一つの形としての道具としてとらえてみると、自分達の仕事とがもっと深くとらえられる?。


鬼瓦

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学習会 
 陶友に来て早2か月…この2か月は台風のように過ぎていきました。
紙漉き班の仕事を覚えること、なかまたちとの関わり、学習会、ゆうゆうとの会議や行事、ご近所応援団、きょうされん関係などなど。当然余裕もなく毎日家に帰って「やり忘れた事はないだろうか?」と心配になる日々…。という具合に一杯いっぱいですがなんとか若さで乗り切ってます!

そんな中、先日鬼瓦所長と若手支援員による学習会がありました。題材は「マルクスのかじり方」という本でした。指定された範囲を読んでレポート提出、そこから各々感じたことや意見をディベートするかたちで行いました。

ちなみに今回の学習会でのテーマを大まかに言うと、「マルクスの生き方について」でした。

ディベートで鬼瓦所長や先輩支援員の考えを聞くことはとても勉強になるし、刺激になりました。
中身の濃い学習会をすることで学ぶ姿勢と高い意識を持つことが出来るのでとても有意義な時間です。
ただ、それ以外の時間でも独習することを習慣づけるようにすることが必要だと感じています。これから第2回、3回と学習会をしていくので、その都度身になる学習をしていきたいと思います。


▲ 「マルクスのかじり方」を読まれていない方は、なんのことを言ってるんだろう?と思うかもしれませんが、自分の書いたレポートを載せたいと思います。何かご意見や感想がありましたらコメントをよろしくお願い致します。


・マルクスのかじり方を読んで

 今回マルクスのかじり方を読んで、自分に足りない部分が見えてきたり、ただただマルクスに圧倒されたりしました。若くして当時の世の中に変革を起こそうとし、政府を批判したりと、その行動力や生き方に驚かされました。そして、生きる道に対する「自信」や「学ぶこと」に終わりがないこと、自己の完成と人々の幸福は重なり合っていることなど、今の自分と同じような年齢でその考えを創っていることの凄味を感じました。マルクスの考え方に触れ自分なりに考えることで、学んでいくことのきっかけ出来ればと思います。
 マルクスは生きる道に対する自信は、①自信を持つためには社会のしくみを知ること、②社会と自分の関わりを考えること、③自分の成長に希望を持つことで構築されると説いています。なにか漠然とした自信ではなく、社会のしくみを知ることで自己の成長を促し、それによって得られる自信を獲得することが大切だと。そして、社会のしくみを知るということはつまり学ぶということです。
マルクスは学習に対して満足することなく生涯学んでいます。大学時代にも自ら進んで積極的に学んでいます。それは楽しく学んでいるからなのと、先に書いたような意志を持っていたからなのだと思います。残念ながら自分はマルクスのような意志を持っていませんでした。この本にも書かれていたように、今になってもっと勉強していれば良かったと思うのと、マルクスに早く出会っていればと思いました。広いバックグラウンドを作って広い視野で社会の表面だけでなく深い部分を勉強しておけばと後悔しました。これは自分に限らず多くの人が感じていることだと思います。これからは内発的な欲求や直感を大切にしながら、学びの主体は自分だということを意識して取り組んでいきたいと思います。日々、陶友のなかまと関わり支援するなかで「自己の完成」を目指し、そのために「人々の幸福」、自分に置き換えて考えるとまず陶友のなかまが幸せに暮らせることを目標にしていくことが出来ると思います。そして、社会の仕組みを勉強し、その中で障害分野との関わりや、障害者の生きづらさを学び変えていけるような知識と行動力を培っていくことが必要だと感じました。すぐに出来ることではありませんが、日々陶友でいろんな経験を積む中でなかまや親、障害者制度を肌で感じながら学びに繋げていこうと思います。そのためにはなかまと関わる時間を無駄にしないように、場面ごとに自分なりに考え行動することが大切になります。そうして実務的にこなすのではなく、常に高い意識のもとで支援を行なっていきたいと思います。まず、日々をより有益にしていくことを大切にしていきたいと思います。
マルクスは大きな制限のある困難な時代に生きていました。今の世の中は当時と比べ物にならないくらい学ぶことや発言に自由があります。これから将来を見据えながら進むべき道を模索し、学び続け、それを陶友や障害を持つ人の生きやすさに反映していけるようにしたいと思います。


最後まで見て頂いてありがとうございました。
皆さんのコメントをドキドキしながらお待ちしています。
じきょう

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マルクスをかじりました。 
先日、陶友内 支援員対象の大脇さんによる勉強会がありました。
テーマは マルクス

・・・堅い。重い。できれば避けたい。
というイメージでとりかかりましたが、

結構楽しめました。
以下が私の書いたレポートです。
(ブログ用に改行しています)

「マルクスのかじり方」石川 康宏著 P12~25・P60~96を読んでの感想

2011.05.12 陶友 食品班 かく

Ⅰ初めに(P12より)
マルクスを読まなくちゃ・・・冒頭での文章で、まずひかれるものがあった。

私もマルクスには小難しそうだという苦手意識があり、
かなり同意できる文章であった。
こういう冒頭の表現は読み手をつかむ上で効果的だと考える。

現在の自分の状況は、伝えたいという気持ちだけが強く、
社会の流れや、経済事情等が苦手で、知らないことが多い。

その後に出てくる「学ぶという事は本質的には楽しい事」
だと書かれていて確かにその通りだと同意できる部分も多い。

また、この本ではなぜ、マルクスを学ばなければならないかという理由として以下の文章がかいてある。
マルクスは、この社会を生き抜く自信を与えてくれる。
今の社会は生きづらい。
「気の持ちよう」や、「から元気」も少しは役に立つが、
もっと中身のあるものが必要で、それには自分の生きる道に対する自信が必要。
それをおしえてくれるのが「マルクス」であり、

そのために
①自分が生きている社会の仕組みを知る事、
②社会とのかかわりを考える事
③これからの自分の成長に希望を持つことが必要。(P16より)

とのことである。耳が痛い。
私自身、今まで、何度となく

「気の持ちよう」「から元気で」系統立てずに、
いわば勢いで乗り越えてきているからだ。

ここ2~3年で、これにかなり限界を感じている。

なぜならば、学ばずに発言すると感覚的であり、説得力にも欠けるからだ。
他人に物事を伝えるためにも、
自分の考えを整理し、まとめるためにも学びは必要だとわかってはいるので、
冒頭からかなり痛いところをつかれた。

そこで、
まずは今後、人に伝える事を趣旨として
本からマルクスについて以下のようにまとめてみた。



Ⅱ-1マルクスは、封建制度から資本主義への移行を始めたころに生まれた。

17歳で「地位の選択にさいしての一青年の考察」を書き、
現代でいえば高校2年生時に
「自己」は人々の幸福の為に働くときにだけ「完成」する

つまり、「私」の幸せを「みんな」の幸せに重ねる生き方が好ましい
という事に気付いている。(P20~22)

22歳、現代の日本で例えると、
4年大学ストレート卒業時に博士号を取得

教師を目指すも当時のドイツでは進歩的過ぎて受け入れられず、

24歳で資本家たちが発行していた新聞の事実上編集長に就任。

しかし、政府により翌年発行禁止となり、
パリに移住。

25歳で「ユダヤ人問題について」等の論文を発表。
ここで、法的な平等である「政治的開放」にとどまってはならないと気づき、
それが実現されても経済的格差がなくならないという事を理論建て、

25歳にして「人間的開放」を提起し、

その後エンゲルスと出会い50前にして「資本論」を書く。

Ⅱ-2マルクスがまとめたものの中で最も重要だと感じたことは、
より多くの人が幸せの為に何が必要かと探究した事の中で、
結論として

個人が幸せであるには、
社会が幸せである事を基本とし、
自分が主体的にその部分を担うことによって相互が幸せになるという事であると読みとった。


Ⅲ感想・まとめ
今回、マルクスのかじり方を読むことで、
元々、私の人生においては「資本論」「マルクス」という
なんとなく難しそうなイメージのカテゴリーは触れる気のないものであったが、

実際触れてみると、
それなりに興味がもて、得るものもあった。
学びは楽しいという事を忘れ、
強い興味がないと楽しそうだと感じ、

とりかかる気すらない事に問題があり、

社会の一員として、
自分も含む、社会を幸せにしていく方法を見つけるうえで、
Ⅰの下線部分にあるように社会の仕組みをしり、
疑問を持つことが必要で、
そのために学ぶことは本質的に楽しいことであるという事を学んだ。
それを通し、冒頭にも述べたように、
その経験を効果的に他人に伝えることがまず私にできる事だと思い自分の中の欲求である。

それを
と自己満足でなく
なぜ伝えたいかという事を
本質的に満たすためにも今後も学ぶことが必要だと考える。

・・・久しぶりに文章書くために頭を使いました。
たまにはいいなあ

と思いつつも大変でした。
かく

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消費税の話 
みなさまGWはいかがお過ごしだったでしょうか?

陶友の仲間たちは、今日も元気一杯で、
明らかにGW中に元気の充電をしていたようです

私はというとGW中、気になった消費税増税について調べてみました。

↓↓↓

震災関連で、消費税増税案がでましたね。

消費税は、今増税されると生活苦が増す人々がでると思うのですが・・・
なんだか、火事場泥棒的にこっそり増税について話されているような・・・

災害復興とは切り分けて
安易に増税を受け入れるべきではないと思い
(納得行く税金が払いたいのです)

とりあえず、一時的でもかまわないので、
増税無しには何とかならないのかと調べて見ました。

・・・が、知識の乏しい私は
またまたベースを大脇塾から引っ張り出すことに・・・

まずは一番気になったの政党助成金について調べてみました。


以下はそれぞれの助成金支給額です。
↓↓↓
2010年の政党交付金支給額
民主党 172億9700万円
自民党 103億7500円
公明党 23億8900万円
社民党 8億6400万円
国民新党 3億9700万円
新党日本 1億3500万円
みんなの党 3億6100万円
改革クラブ 1億2000万円
共産党0円

・・・検討がつかない額です。
以前、カップラーメンがいくつ買えるかなあと
不用意につぶやいてみたところ、
(私が時々買うのは1つ100円以下)

事務員さんに、ここ(陶友の建物)がカップラーメンで埋まってしまうわよ・・・
と言われたのを思い出します。

次に、何に使われているのか・・・と調べて見ました。
そして驚きの
使途について制限がない
とのこと・・・
ん?政党のお小遣いですか?

勿論。必要な事にも使われているのでしょう。
(そう信じたいです)

しかし、こんな高額が用途に制限がないとは・・・

以下ウィキペディア(インターネット上の百科事典)からの抜粋です

政党の政治活動の自由を尊重する観点から、
政党交付金の使途について制限してはならないと定められているため、

その使い道は貸し植木代
タクシー代高級料亭などでの飲み食い、党大会の会場費、自動車税の支払い、テレビCM放映料などにも及んでいる。

高級料亭・・・・
天下のウィキペディアにこう書いてあると悲しい限りです。

勿論ネット上の情報をすべて鵜呑みにするわけではありませんが、
自分もそう思っている事を文字で読むとかなり切ないでした。

今年だけでも高級料亭をいかないで、
地方の小さい居酒屋貸しきって交流してはだめですか?
秘密保持の為なら、プロに盗聴器さがしてもらうとか・・・
いっそのこと沢山ある会議場にテイクアウト惣菜で交流はできないのでしょうか?

話はずれましたが、
この政党助成金。これほど額が高ければ、
それぞれが少しでも削って被災地に回せば
沢山仮設住宅が建てられると思うのです。

(共産党は、そもそもうけとっていないようですね)

いざと言うときに、
いわば身内の自分の党の政党助成金を削減できないような人が
国と言う複雑なシステムを何とかできるのか疑問に思います。


全部返せとは言いませんし、ストレスがたまる仕事なので植物に癒されたいかもしれません。
しかし今年ぐらい。
植木は無くても、高級料亭は無くてもよいのではないでしょうか?



調べれば調べるほど、
そこ、被災地にまわしてよ!!!
と言いたくなることばかり。

私が知識が少なくてそう思うのなら、
ぜひ、私が納得のいく説明をしてから
有効に使っていただきたい。

こんな時は特に
説明できないお金は使わないで欲しい。

ちなみにこの財源
国民1人あたり年間250円で計算されているらしいです。

・・・こんなシステム恥ずかしながら
調べてみるまでまったく知りませんでした。

すでに私は、いくら支払っていて、植木に、料亭になったのかしら・・・?

いやみも言いたくなる内容でした。

もしかしたら有効に使われているのかも知れません。
しかし、何に使われているかわからないのです(少なくとも私は)
できれば使っている方に詳しく教えていただき
250円分の納得がしたいです。

と、調べれば調べるほど『?』の多い政党助成金でした。

これからもう少しこれについては学習が必要なようです・・・
また気になる事があったら報告したいと思います。
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