本日5月29日
仲間たちの自治会『流れ星』の新しい役員を決める選挙が行われました。 役員に立候補した仲間は気が気じゃないし、立候補していない仲間たちもなんだかそわそわ・・・ 立候補者はそれぞれ役員にかける想いを発表しました。 (カゴサン「みんなを引っ張って、明るい自治会にしたいと思います。」 タッチン「初めて立候補したけど、一生懸命するのでよろしくお願いします!!」など) それからいよいよ投票!! 仲間は1人1人自分で、役員として自分たちの自治会を任せるのはどの立候補者がいいか選びました。 なかなか決められない仲間もいたけれど、考えて選びました。 そして、仲間たちの自治会『流れ星』の新しい役員が決まりました。 会長:ホンチャン 副会長:タッチン・カゴサン 書記:ユッコチャン 会計:フミさん (フミさんは、悩んだ末今年は会計に立候補する事に決めました。) 残念ながら役員になれなかった仲間もいましたが、役員だけで自治会を運営していく事は出来ません。 役員の人も、役員でない人も、仲間みんなで自治会を盛り上げていかなければいけません。 みんなで協力して自治会を作り上げていってください!! とは言うものの・・・前年度までは職員が入らないと運営は難しかったという現状があります。 仲間たちだけでどこまでやれるのか、職員はどこまで入っていいのか悩んでいます。 しかし、自分たちで考える。運営していく事が仲間達にとって大事なことなので、職員は出来るだけ遠くから見守る存在として関っていきたいと思います。 これから、ボーナスや旅行と自治会は忙しくなります!! 役員の中からはもうすでに「忙しい。忙しい。」と言っている仲間も・・・(笑) 仲間達が自分たちの力で話し合って、楽しんで運営していける自治会になればと思います。 新しい自治会役員!!頑張ってください!! スポンサーサイト
スポンサーサイト
|
![]() |
昨日、きょうされんの全国請願署名を携えた国会要請行動がありました。署名にご協力いただいた皆さんにお礼を申し上げます。(陶友からは毎年代表を派遣していましたが、今年は行きませんでした。)
午後から、新宿・戸山サンライズにて、きょうされん第33回総会(2010年5月26日 13:00~19:00)が開催されました。 ![]() ここ数日、障害福祉分野をとりまく情勢の大きな変化が起ころうとしています。 障害者自立支援法の一部改正法案の審議がすすみ、地域主権推進一括法案が参議院を通過し衆議院での論議がすすもうとしています。 いずれも、障害者自立支援法を廃止し、総合福祉法を作るとした政府の約束に逆行するものです。 鬼瓦、はらわたが煮えくり返るほど怒っています。(数日は近寄らない方がいいかも・・・笑) きょうされんが、この動きに対して緊急のアピールを採択しました。紹介します。
|
![]() |
Nさんご夫婦は80代後半です。
かつてお二人で陶芸教室に長いこと通っていました。 ![]() Nサンは、現役のころはあるビールメーカーの営業幹部。 九州一円を飛び回っていたそうです。 奥さんは、内助の専業主婦。 夜中にでも訪問する部下達を優しくもてなしてあげたそうです。 この方が、お偉いさんの奥さんには似つかわしくなく(?)、 気さくで素朴で、いい人なんです。 「現役時代に家内に苦労かけたから、退職したら家内と二人で楽しい事を、と思っていた。」 そういう訳で、わが陶友の陶芸教室に通うこととなったのでした。 現場で私の仕事ぶりを見て、 「大変だね、何か応援しなきゃ」ということで、 応援団「ゆうゆう」の立ち上げに参加し、初代応援団長を引き受けて下さったのがNさんでした。 そのうち、体力の衰えとともに、団長を退き、 陶芸教室もやめました。 しかし、折々には、 仲間たちみんなにバレンタインのチョコレートを持ってきて下さったり・・・。 私にはいつも息子のように声をかけてくださり、 奥さんが、 「友さん、元気?がんばってはるねえ・・・」と、 菓子パンを差し入れしてくれたり・・・。 そう、ちいさな子どもにおやつをあげるように。 (だから私は「お母さん」と呼んでいるんですが) ・・・ここしばらくはご無沙汰でしたが、 先日ご夫婦で、頼みごとがあると訪ねてきました。 「家の箪笥を動かすのを手伝って欲しい、小さな箪笥だが・・・」とのこと。 お安い御用だと言うと、 友さんは忙しいから遠慮するとのことで、後日仲間を遣わすことにしました。 当日、 お宅を知っているカゴサンとジュンクンと職員タナカを行かせることにしました。 カゴサンは、リヤカーでの豆腐販売コースで、時々奥さんに会っているのです。 作業は簡単なものですぐに済んだようです。 「ジュンクンがとても喜んでニコニコ、声に出して笑いながら・・・、あんな表情は見たことが無い。」 タナカの報告です。 奥さんから電話が入りました。 「ありがとうね、今お茶を飲んで帰ってもらいました。 御礼もできなくて、少しだけお駄賃を上げました。良かったでしょうか?」 「いや何も要らんやったとに。」 「それは悪いから・・・」 「わかりました、気持ちということで・・・、 また何かあったら、いつでも声をかけてください。 仲間たちも、人助けができて喜んでもらえればそれが一番ですから・・・」 Nさん夫婦は、手伝ってもらったことよりも、 仲間たちに会えて、お茶を楽しんだことが何より嬉しかったようです。 来訪の折、 「もうあっちこっち悪くてね、病院通いが・・・」 と話すNさんに、 「口だけは、変わらない。昔と同じ。威張ってすぐ怒らはる。」 と笑いながら、関西弁で話す奥さんでした。 長生きして、また声をかけて下さい。 ・・・案の定、ちゃんとお土産には菓子パンをどっさり持たせていました。 普通に、人々が助け合いながら生きる地域があり、その中に仲間たちがいる・・・。 そんな風景がたくさん見られればいいなあ。 |
![]() |
公約違反が続く民主党・鳩山政権のやり方の中では多少ともマシな部類に入ると思っていた障害者政策。自立支援法は廃止する。裁判でも「原告の障害者の尊厳を傷つけた」と誤りを認め、「基本合意」に基づき、応益負担をなくし総合福祉法を作ると約束したのだったが・・・。
![]() ナツツバキが咲く季節になりました。 それにしては気温が低い日が続くような・・・。 裏切りに続く裏切り! 沖縄の次は障害者も! 怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒! 何が「いのちを守る政治」か!何が「国民生活が一番」か! 弱者を踏みつけにして恥じない鳩山政権。 障害者支援:つなぎ法案、議員立法で今国会成立へ(毎日新聞 2010年5月26日 2時30分) これでは何かいいことでもするかのような報道だが・・・。 「障がい者総合福祉法ができるまでの間の障害者自立支援法改正案」?法案には「遅くとも平成25年8月までに障害者自立支援法は廃止される」ことも「施行の終期が平成25年8月までである時限立法である」ことも明記されておらず、障害者自立支援法違憲訴訟に基づく基本合意により廃止が決まっている天下の悪法の延命を図るためのものと批判されて当然! 事の真相は2010年5月26日(水)「しんぶん赤旗」が明らかにしている。 自公と結託し、障害者の願いを政争の具にする。許しがたい暴挙だ! 障害者との約束を事実上反故にし、その願いを泥靴で踏みにじる民主党政権の欺瞞的なやり方にはヘドが出る。 「つくる会」と「弁護団」の怒りの緊急抗議声明を転載しておきます。
2010年4月21日、14地裁和解後の基本合意第一回検証会議を終えた訴訟団124名が首相官邸を訪問し鳩山首相と面談した。鳩山総理は、膝をついて、原告一人ひとりと握手しながらお詫びをしたことをもうお忘れになったのか。 障害者自立支援法違憲訴訟和解後の官邸での鳩山首相あいさつ 総理なら、一言、「それは約束と違う。法案は出すな!」と言うべきだろう。 いかほどの抵抗があろうというのか?一つぐらいは自身の言葉を貫いてみて欲しいものだ。 |
![]() |
5月24日(土)
仲間の自治会『流れ星』の総会が行われました。 私は、聴覚障害を持つ仲間のフミさんに、総会で話し合われることを紙に書いて説明をしていました。 総会の最後、次回の役員を決める話になり、役員がしたい仲間は28日までに立候補用紙に自分の名前を書き込むこととなりました。 総会が終わり、いつもは話しかけるときに必ず言葉を使うフミさんが(しゃべるのは上手です。)私に向けて字を書き始めました。 「いつもは言葉を使うのに、何だろう・・・?」と思い、フミさんが書いたメモを見ました。 (フミさん)『私は耳が聞こえないから(役員は)ムリ?』 自分から役員がしたいと言い出したんです! (たなか)「そんなことないですよ!!」 (フミさん)『でも私、会議とかみんなでの話し合いのときは、誰かが紙に書いてくれないと本当に全くわからないから・・・一人一人と話す時は相手が何を話しているかわかるんけど・・・だからやりたいけど、迷惑になるから・・・』 (たなか)「大丈夫!私たちみんないるから!!心配しなくても大丈夫ですよ!!」 私がそう言うと、フミさんはニコっと笑い、 (フミさん)『やってみたい。勉強にもなるし。』 といいました。仲間たちが帰った後、立候補用紙を見ると”副会長”の欄に”フミ”という名前が書かれていました。 以前は自信がなさそうにしていたフミさんが、『役員がやりたい』といったのにびっくりしたと同時に、 今は前に前に進んでいるのだな。人っていくらでも変われるんだな。と思うと嬉しくなりました。 そして、前に進む時に、それを妨げるものがあれば、それを取り除いていくのが私たちの仕事なのだなと改めて感じました。困難を解消して初めてみんなと同じスタートに立てる。それは、フミさんだけでなく、他の仲間にも言えることです。同じスタートに立つことで、障害の有無に関わらず本当にその人が活き活き活動することができる。それがノーマライゼーションなのだなと、フミさんと話して思いました。 さぁ、5月29日はいよいよ仲間による選挙の日です!! フミさんは、当選するのでしょうか(^□^)? たなかもどきどきしています。 |
![]() |
こんばんは。
久しぶりの田中です。 食品班のドナタサン。 日曜日にパン教室に行ってきたようで・・・ 「ねぇねぇ、聞いて!昨日ねぇ、パンつくりに行ってきたとよぉ。陶友の作り方とは全然違ってね。ルーの量とかも全然違うとよ!!でもね、おかもとさん(職員)の作ったパンのほうが美味しかった!!」 と、朝から近くにいる仲間1人1人に伝えます。 ドナタサンいわく研究しているそうです。 食品はこれから、新商品開発に力を入れるので仲間たちからの情報もとっても大事!! ドナタサンの情報もきっと役立てましょう!! ・・・・でも、結局おかもとさんのパンが1番とは・・・・ 恐るべしおかもとパン(笑) |
![]() |
聞くところによると、自民党がマニフェストで「障害者自立支援法改正」を掲げたそうです。(未確認ですが)
「じゃ、自民党が政権に返り咲いたら現政権の自立支援法廃止は反故ということか?!」という話になりました。 ![]() そこで、今回の一連の障害者自立支援法違憲裁判での「和解」の意義について整理してみたいと思います。 国(厚生労働省)は訴訟団と「 基本合意文書」に調印しました。それは、自立支援法が障害者の尊厳を深く傷つけたと国が総括する公文書です。
これは、個人の尊厳保障は今日では日本国憲法の根本規範として理解されており、障害者自立支援法が憲法とりわけ13条に違反する違憲の存在にあることを認めたと評価できるものだそうです。 「国((厚生労働省)は」とあるのは、契約の当事者が厚生労働省という意味ではなく、責任部署が同省であるということ、その責任部署の最高責任者の厚生労働大臣が約束したという表示で、あくまで契約主体は国です。大臣が約束した公文書としての契約書は、裁判所がいちいち確認しなくても成立する約束だということになります。 合意書の確認を記した「和解調書」が持つ意味 今回、14全ての地裁における和解調書で、この基本合意書が確認されました。
裁判では、「和解を調書に記載したときは、その記載は確定判決と同一の効力を有する」そうです。つまり最高裁判決と同じく、裁判所の最終判断と同じ重さがあるということです。そして国を代表して法務大臣が調印しています。(国が被告の場合は、法務大臣が国を代表するのだそうです。) これら「基本合意」と「和解調書」の意義について、全国弁護団の藤岡毅事務局長は以下のように説明しています。 三権分立・・・立法、行政、司法がそれぞれに牽制しあって権力の暴走を防ぎ、市民の権利を守る仕組みに照らして、その和解判決の重みを強調しています。さらに次のように説明しています。 (引用は、『きょうされんTOMO』5月号) この間の自立支援法をめぐるたたかいは、裁判において「違憲判決に匹敵する和解」を勝ち取ったということです。 しかし、法的な解釈はそうだとしても、決して安心などはできません。官僚の激しい巻き返しや、未だに応益負担廃止の予算措置さえ明らかにできない政府・厚労省の体たらくや、自民党の公約などを考えると、この「和解」判決を生かすも殺すも,将に障害者運動と国民のたたかいにかかっていると言わなければならないだろう。 参考: ■NO.1634 「民主党政権に失望」……障害者自立支援法違憲裁判訴訟団 http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1713.html |
![]() |
西日本短期大学で
ふれあいまつりという地域のお祭りに出店してきました。 なんと、班ごとではなく全員を5グループに分けて 陶友の仲間総出の販売となりました。 陶器・はがき・クッキー&野菜、それぞれ張り切って準備したのに 当日の今日は、残念ながら雨・・・・ 体育館での販売となりました。 雨の日は通常より 売り上げが少ないと聞いてはいましたが やはり、出だしは微妙な雰囲気でした。 そんな中でも 仲間たちは 前半は店番をしたり、ステージである演奏等を楽しんだり、 後半は移動販売でがんばりました。 みんな売れると、とてもいい笑顔。 接客も張り切ってがんばっていました。 また、いつもお世話になっている ゆうゆうの方々にボランティアをお願いしたり、 買いに来ていただき、 知っている顔を見ると、仲間たちは よりやる気を出して売っていました。 会場で出会った西日本短期大学の 学生ボランティアさんとの交流もありました。 やはり、単発でのボランティアということで、 お互いうまくかみ合いにくいところもありましたが、 仲間を知ってもらうという意味では よい交流になったと思います。 関係者の皆様 本当にありがとうございました。 ちなみに、自由時間の仲間は、焼きそば食べたり、 竹でできた花瓶(なんと10円!)をうれしそうに買ったりしていました。 |
![]() |
大学を卒業し、知的障害者の通所施設で13年間働きました。
![]() そこで見たのは、国の貧しい施策のなか生きる自由の選択肢を極度に制限され、更には施設の都合の範囲でしか働き方さえも選べなかった仲間たち(利用者)の現実。 「もし、自分がこんなだったら、とてもじゃないがいやだ!」という想いから、労働組合を作ったり様々な取り組みをしたが、職場を変える見通しの限界を感じ、じゃあ、「仲間が主人公」の作業所を自分たちで作ろうと一念発起して18年が過ぎました。 福祉施策・・・施設やサービスは、お国や施設側のご都合のためにあるのではない。仲間たちの願いや要求に学びこれに応えることこそが福祉の本旨だ、と。障害者自立支援法に象徴される国の福祉切捨て政策に抗いながら、みんなで手を取り合って『仲間が主人公』の作業所つくりを目指してやってきたつもりだ。 今、その初心はどこまで到達しただろうか。知的障害の仲間たちは、願いや不満を上手く言葉にできない。日本の福祉現場は、様々な矛盾と困難を抱えている。しかし、自立支援法廃止のたたかいに見られるように、全国的にも、そして様々な現場でも変革のための取り組みは続いています。 国レベルでは、政府が新しい障害者総合福祉法に向けて障害当事者参加の話し合いのテーブルを用意するところまできました。しかし、現場は必ずしも当事者の声に耳をを傾けるようにはなっていない現実もあります。 ぶじこれきにん からのコメントを、言葉にできない仲間たちに変わって告発する声として、自分自身への戒めとして、そして関係者への問いかけとして、更には多くの人に考えていただきたい問題として転載しておきます。
|
![]() |
ご報告が遅くなりましたが、
15日土曜日、 陶友応援団の「ゆうゆう」の弟13回総会がありました。 勿論、仲間達も参加して、 ゆうゆうとの楽しい思い出を発表したり、 今の仕事、担当している内容、 今、困っていて助けて欲しい事を発表しました。 その後は、素敵な催し物があり、 影絵や、 手話ダンスを見せていただきました。 影絵では、普段見る事の少ない 仲間達の姿がありました。 それは小学生のような目をしていたり、 終わったあと口ずさんだり、 みんなの前で紙きりに挑戦して、クワガタを作ったり、 耳が不自由な仲間は、手話ダンスに大変感動して 一生懸命ダンサーの方と筆談などでコミュニケーションをとっていて 仲間にとっても、職員にとってもとてもよい刺激となりました。 仲間が帰ってからは、ゆうゆうのお食事会でした。 みなさん、その場を楽しみつつも、 どうすれば仲間がもっと幸せになれるか、 具体的にはどうすればよいかを話しつつ 一方では 趣味の話などにも花を咲かせて 異業種の人々がお互い刺激をし合って 人としての生き方を考え充実した空間となっていました。 これからもずっとこの関係が続きよりいっそう輪を広げられればなあと思いました。 なぜなら! この場を知らないのは 勿体無い! いい意味でこんな刺激的な場所は無いと思います。 なので みなさん 是非、陶友をそしてゆうゆうを沢山の人に紹介してください!!! よろしくお願いします! あ・・・なんか熱くなっちゃいすぎました>< でも、きっと伝わりましたよね? つ・・・つたわってないですかね・・・・。 伝わってるといいな~~ 以上 ちょっとあつくなりすぎたかくでした。 |
![]() |
5月8日(土)ひかり法人 新入社員研修があり、新人のかく・たなかが参加しました。
研修にあたり、事前に課題として現代社会の貧困・格差・生存について書かれている、雨宮 処凛さんの 『自由への問い 社会保障 セキュリティの構造転換へ』を読み、それについて自分の人生と照らし合わし感想文を書くというものが与えられました。 今、日本では格差が広がっています。 低コストでどれだけ会社の利益を上げるかというのが重要視され、正社員は取らず、会社の経営が悪くなったらすぐ 切れるようにパート社員ばかり増やし、それによって働くところがなく生活の場も失って、路上やネットカフェでその日暮しをしている若者がたくさんいます。実際日本における貧困層は全体の約15%、4人に1人が人間が生活するうえで必要な、最低限の収入以下の収入で暮らしています。 そして、決まった仕事がちゃんとあり安定した収入がある人も、朝から晩まで働かされボロボロになります。それによって体を壊したり、鬱になったりして結局働けなくなる負の連鎖が続いています。 正社員もパート社員も”使い捨て”の時代です。 注意するところは、その現状に私たちが慣れてしまって、見てみぬふりをしているということです。 パート社員の現状、正社員の現状に疑問を感じても、「おかしい!」と声をあげる人は少ないです。貧困が明日はわが身なのです。みんな、生活ができなくなるくらいなら、ボロボロになって働いたほうがまし、と思っているのかもしれません。そんな問題に気づく余裕はないのかもしれません。 それは町での風景にも言えることなのですが、町でホームレスの人を見たり、若い人がネットカフェで何日も生活するのを見ても、それが風景の一部であるかのように不自然に思うことがない人もたくさんいると思います。 私も幼少のころは、町で道端に寝転ぶおじさんを見て違和感を感じました。 しかし、大人になるにつれ、彼らの存在は不自然な存在から、見てはいけない存在に変わり、最後には”いない存在”になりました。そして、陶友に来る前までは、彼らがああしているのは彼ら自身のせいだと思っていました。 だけれど、それは決して彼らのせいではなく、見てみぬふりをしている人たちのせいでもないのです。 日本の作り上げてきた社会のせいなのです。 研修では、この”日本の作り上げてきた社会”について。日本の貧困の歴史を学習しました。 【明治時代】 明治維新、新政府ができるが財源が少なかったため国民に新たな税負担を強いる。江戸に住む貧しい国民達はその税金を払えず、生活もままならない状態、武士でさえも今までの地位からは極端に下がった貧しい生活を強いられた。しかし、政府はそれらの人々を救済する対策はほとんど行わなかった。それどころか、貧しい人々を外国人から隠すように生活させた。 その状況に動き出したのが、実業家である渋沢栄一である。彼は「困った人を助けるのは義務である。」と声をあげ、自らが作った「東京養育院」(貧しい人々に食事や寝る場所を提供し、社会復帰を目指す場)を守り抜いた。 【大正時代】 日本に格差社会が訪れる。日露戦争後、軍需産業などで材を財を得た少数の富裕層と低賃金で働かされる多数の貧困層が現れる。しかし、ここでも政府はこの問題についての対策はとらなかった。 現在でも言われる「貧困の原因は個人の責任である」という考え方が、この時点で出来上がってきたように思う。 草間八十雄は東京社会局で調査活動を行う中で貧困街や浮浪者の声に耳を傾けた。そこには社会の変化のせいで失業などやむをえない理由で貧困になった人々がいた。しかし日本が再び戦争に向かって動き始めると、草間の活動は消されていく。 【昭和~現在】 戦後の高度成長期、日本が反映していく裏で不当な雇用、生活をしていた人々がいた。高度成長期により、農業は衰え、それによって貧しい田舎の農村は収入が減り生活が厳しくなった。そのため、若者達は仕事を求めて都会に移るのである。しかし、都会に出てきたところで正社員の雇用は無く、住むところも無い。彼らは安い宿屋(狭い部屋に詰め込まれるようにして生活)に泊まり毎日日雇いの仕事を探す。東京・山谷にはこうした若者が毎日道端に並びその日の職を探す姿があった。(これは現在も続いている)彼らは決まった住所が無いため生活保護ももらう事が出来なかった。 そして、石油ショックを機に、仕事が激減し彼らの生活はいっそう厳しくなる。日本は生活が豊かになったが、彼らの貧困からは目を背けるようになっていく。 昭和56年 政府は生活保護支給の資格審査を厳しくした。貧困者に自力で、貧困からの脱出をさせようとしたのである。 そのために、生活保護を受けれる人は激減し、中には餓死するものも出てきた。 ここでも貧困は自己責任の考え方が広がっていった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 今回の研修では貧困について学習したのですが、貧困は日本の社会全体の問題なのだということを、再確認しました。 先進国である日本でありますが、財が全ての人にいきわたるシステムがなく富裕層だけの物になってしまっています。明治よりももっと前の時代からそのようなシステムだったと思います。しかし、だんだんと「自己責任」の考え方が広がるにつれて、貧困層の生活はどんどん苦しいものになっています。「自己責任」ということを聞いても疑問に感じないのは、明治時代からあったその考えを知らず知らずのうちに植え付けられていたせいです。 しかし、貧困は決して個人の責任ではありません。経済成長の中で社会に使い捨て同然の雇用を受けた人々がいます。 戦争によって貧困になった人々がいます。そして国はそれを見て見ぬふりをして、そのような人々を隠してきましたきました。国民も見えないものに気付くはずがありません。国の成長だけ、他の国に負けない財を。そのために必要の無いものは排除。だからこの国の福祉レベルはこんなにも低いのだと痛感します。貧困層、高齢者、障害者・・・企業の利益につながらない人々は完全に社会から取り残されるばかりか、逆に「支えてやっているのだから金(施設利用料など)を払え」といいます。「生活保護を申請することは恥」だといい、生活保護を申請にいっても認めてくれません。 そのために、傷つけられ、お金も無くホームレスになる人々がいます。自殺する人がいます。餓死する人がいます。 これからやらなければいけないのは、貧困層から財を奪うのではなく国民全体に財の分配がなされるシステムを作ることだと思いました。 研修はとても勉強になりました。自分の知らなかった現在の日本の現状・改善すべき事・本当にたくさんの問題があることをしりました。貧困問題は、福祉全てに関係している事なのでこれからも勉強します。 |
![]() |
2010.05.08 新人研修
先日8日に、福岡ひかり福祉会の新人職員研修に参加しました。 そこで、簡単にブログにアップしたいと思います。 まずは、近代の様な貧困がいつ始まったかを学習しました。教材は、知る楽というNHKの番組より、4回シリーズを見ました。以下が概略です。(本当に短く省略しています) <第一回 明治の貧困と戦った男> 渋沢 栄一さんについて学びました。渋沢さんは、明治維新時に大久保利通さんに反対をされつつも、国が福祉に力を入れるべきだと活動されましたが、広く影響を与えるにいたらず、当時はやはり富国強兵の為、「人より組織、個人より国家」という時代であったことを学びました。 <第二回 「格差社会」の始まり> 草門 八十雄さんを通して格差社会について学びました。草門さんは、はじめは新聞記者として貧困の人々と関わっていましたが、更に詳しく自分の目でその問題に取り組む為に退社され、独自に出版活動などをされた方です。私は、草門さんの『(貧困は)社会的欠陥によるもので、個人の欠陥は割合に少ないのである』という言葉か強く印象に残りました。その時代は、貧民屈と呼ばれる場所で貧困者は集団で生活し、目に付きやすい状況であった。また、そこでは結核等が蔓延していたという状況であったと学びました。 <第三回 見えなくなった貧困> 第二回の時代に続いて高度成長期に突入し、一億総中流家庭を目指して余暇を楽しむという時代に突入しました。一方では、ドヤ街と呼ばれる場所で、日雇いの仕事をしながら、格安宿泊所でなんとかその日暮らしをする人が現れ、生活保護も受けられず、苦しい思いをしている人が増えたということを学びました。(生活保護は、住所が必要だが、ドヤ街の人々は住所不定の為受給資格がない) <第四回 自己責任論の克服に向けて> 現代は、ぼろは着てても心は錦はない。まずメンタルが弱ってしまう。食料は十分にあるが、分配に問題があるという分配の問題としての貧困、また、『123号通知』と通称されている支給抑制の為、生活保護が受けられる人が激減し『貧困は自分の責任だからしょうがない』という自己責任論が広がった。と大きく近代を4つに分けて時代背景を学びました。 私の感想は、明治維新時代に、富国強兵政策を一番に考えていなければ、日本はどうなっていたのだろうか、戦争に負け、違う道をたどっていたのか、他国にまれに見られる高福祉国家になっていたのかと想像し、また、表向き豊かな経済状況になってもなお、何故貧困は減らなかったのかを深く考えるきっかけとなりました。また、高度成長期に日雇いを求めて労働者が立っていた場所に、今でも多くの人がそこで同じように仕事を求め立ち続けているという事実に驚きました。そして最も深く考えた事が、貧困は自己責任かということです。今まで私は、貧困は今まで自分には直接関係なく、あまり考えたくない部分でしたが、そういった関わらない、見て見ぬふりが今の貧困を招いていると思いました。 と、硬い文章になりましたが、 貧困問題を学習したり、仲間達の現状を通して目の当たりにしたりした事も沢山あります。 そして私が感じた事により、考える事が出来たという事を沢山の人に体験してほしい。 もっと知ってほしいと思いました。 本当に毎日楽しく充実した人生を送っている人たちが、 この様に一ヶ所に集まっている場所はそうそうない!!! しかし、現状は労働に対する様々な問題があり 一つ一つみんなの力で解決をめざさなければならない。 と一日かけて再認識した研修でした。 社会的な問題は山積みですが、 人が人らしく生きていくこと それを常に問題意識としてもち、 みんなで問題解決の道を模索し行動に移す。 それこそが人間らしいと思いました。 |
![]() |
最近、自転車通勤のリュウ君。
ゴールデンウィークあけに久しぶりに話しているときのこと… (たなか心の声)「あれぇ…?リュウ君なんだか顔がシュッとした気がする…でも勘違いかしら…?」と思いながら話を続けていました。 すると、その後リュウ君と話していた職員のかくさんがいいました。 (かく)「リュウ君痩せたと思いません?」 やっぱりー!! 痩せたと思ったのは私だけではなかったのです。 痩せたね、痩せたね、と言われてリュウ君もなんだか嬉しそう… しかし!ダイエットがとてもしたい女性職員(特に、たなか・かく)は悔しい思いでいっぱいです! (たなか)「帰ったら、アイスとかおいしいっちゃないと?」 (リュウ)「いや、アイスないもん」 (たなか)「抜けがけは許さないよ!キー!」 と、大人気ないのですが足を引っ張ります(笑) そんな職員に引き替え、リュウ君は涼しい顔をしています。やっぱり痩せたね、と言われるのは嬉しいのですね。 自転車で遅刻することが多くなるのは、気をつけて貰いたいのですが、健康的体作り方ができて嬉しいのですね。 なかなか痩せることが難しい仲間達もいるので、このように日常生活でダイエットできるようになると体も維持できてよいなぁ…と感じた一瞬でした。これを期に脱メタボを目指してみましょう! |
![]() |
バザー終了!
![]() ![]() ![]() 6時に全て終わり職場に戻りました。 二日目の売り上げも初日に迫りました。 応援いただいた方たちの粘り勝ちです。 延べ12名の方に応援いただきました。 他に仲間が3名。 12日に「打ち上げ反省会」をします。 ボランティアの輪が広がり嬉しいです。 その後、バザー会場で仕入れた焼酎「自立」の試飲をしました。 要するに飲み会です。 この焼酎です。 障害者育てたイモ焼酎「自立」ぐい飲みとセット発売(2010年4月13日 読売新聞) このぐい飲みは、陶友でつくりました。 試飲結果!! 味はそれぞれお好みです。 鹿児島芋焼酎で鍛えた鬼瓦にとっては・・・? 皆さんもどうぞお試しください。 ホントはこれが重要なんですが・・・。 参加者に次の提案をいただいたので、紹介します。 ありがとうございます。 是非参考にさせていただきます。 |
![]() |
今日は、『RKBどんたくチャリティフェス in 警固公園2010』初日。
好天に恵まれ、早朝から終日、延べ8名の方にお手伝いいただき、予想以上の売り上げでした。 ![]() 天神のビルの谷間の警固公園。 ![]() 場所も出入り口に近く良好! ![]() コンテナに、100均、500均、1000均・・・と、漁って選んでもらうようにしました。 ![]() 昼過ぎまでは、売り子は男ばかり。 ![]() 後半から、若い女性が手伝いに入ると、 「いらっしゃいませ~!お土産にいかがですか~」 声が出るとお客さんも足を止め、覗き込み、売り上げも順調に伸びて・・・。 にわかのお面を書いた「どんたく限定マグカップ」は、ほぼ売り切れ。 ![]() ![]() 在庫整理をかねて格安販売したので、 「こんな荷物になるもの買うかね・・・」と思っていたよりも売り上げは伸びていました。 「5万は欲しいが4万あればいいかな」というところが、7万円近く売れ、みんな喜んでくれました。 こちらは全景。 暑くなって、皆さん木陰からステージを見ていました。 ![]() ![]() どんたくの日に街に出たのは、20数年ぶり。 天神・新天町界隈の人の多さ! 博多方面はもっとでしょう。 人、人、人・・・、「一体何しに来とるんや」と思う。 失礼!「祭り」に来てるんよね。 ・・・なじめない世界ですが。 ある人曰く、「その恩恵にあずかってるんだから・・・」 そうでした。 明日も、追加搬入し終日販売。 ゲンキンなもので、初めは「ああ、連休もなしかア」と、気分が乗りませんでしたが、 思ったより売れると、 「売れるときに頑張って、少しでも仲間たちの給料を稼がなきゃ」 と、前向きになる鬼瓦なのでした。 では、・・・。 |
![]() |
4月28日(水) 【職員勉強会】
今回は福祉という世界で、どのような気持ちを持って生きていくのかということについて、 タイトルにある渡辺潤さん(全国公的扶助研究会事務局長)の文章を元に勉強会です。 福祉では基本的なことですが、福祉初心者のたなかにとってはとてもわかりやすく、でもとても考えさせられる勉強でした。 暖かい心と協調性 ―「第一は、何よりも暖かい心の持ち主であること。第二は、他の職員たちと協調して業務ができる人物であることです」 これは福祉の先進国と言われる北欧デンマークをの自治体の福祉担当管理者が言った言葉です。 その言葉を聞いて「冷たい心を持った人は、福祉現場で働くべきではなく、協調性のない人も福祉現場には向かないのだ。」と渡辺さんは改めて思わされました。― また福祉現場は「"自ら創造し業務を決定できる"、"決して画一的、マニュアル的ではなく、創造的・想像的な社会福祉援助が必要"」とも書いてあり、たなかは「確かにそうだなぁ…」と思わされるばかりでした。 "自ら創造し業務を決定する"というのは、とてもやりがいがあるけれど、マニュアルがないため誰も教えてはくれません。責任感重大です。 自らを創造するためには想像力はとても重要なのだな…と思いました。 社会や政治の動向にも目を ―私たちが日常的に行う福祉の仕事は、歴史的に変化していくものです。そして、社会や政治の動向とも深く関連しあっています。また実際の現場では、医療・司法・教育・福祉等の専門職と連携をとることで、業務内外の交友関係を広げることができます。 今日、日本の相対的貧困率は15、7%で6、4人に1人が貧困基準以下の収入で生活しています。― 福祉の原点と言われる貧困問題や生活保護制度にも、目を向けていかなければ、いくら障害者福祉を改善しようとしても基本的な貧困が解決されなければ、限界があるなと感じます。 日本は豊かに見えますが、見えないところでは、こんな貧しい現状のある国です。 そのような社会の現状、それを政治がどう解決していくのか、私たちはどう運動していかなければいけないのか、ということにも目を向けなければならないなと感じます。 また"連携"ということでは、職員のかくさんが「日本の福祉って連携が全くとれていませんよね。」と意見。「例えば、高校を卒業し、作業所で働き始たら、学校と作業所の連絡は途絶えてしまったり」 それぞれの機関が連携できれば、もっと福祉がよくなるのにね、という反面、人手不足という問題も私は感じました。「学校は次々と生徒が入れ替わるから、余裕がない」ということがありますが、先生の数、支援員の数が増えれば連携ももっと取りやすくなるのではと思います。 自分の個性を花開かせて ―福祉の仕事は、マンネリになり、ただ仕事を続けているだけ、という状態になると、自分の成長が止まってしまいます。今の状態に安住することなく、自らの学習目標を立てることで、対象者の方の福祉援助にも応用することができます。 また、福祉と関係がない文化に触れることも、自分の福祉観を広げることに役立ちます。 忙しく大変な職場だからこそ、ユーモアを大切にして明るく生き生きとがんばって、花開かせていただきたと思います― 私が、陶友で働き始めて今一番悩むことは、この"マンネリ"というところでした。 忙しく、毎日時間に追われてしまい、1日を振り返ったとき「今日は1日何をしてたんだろう…何も残せなかったな」と思う方は、私以外にもいると思います。 そうならないために勉強は必要ですし、特に職員同士でのこういった勉強会はいろいろな方面からの意見が聞けて貴重なものだと感じています。 それから、"ユーモアを大切にして"といのも、とても大事だという意見も出ました。 福祉の勉強だけでは、世界が広がっていかないので、様々なところにアンテナを張って、交友関係を広げることは福祉を広げることになります。 福祉職員が想像力やユーモアをもって明るく生きてこそ、仲間達の個性を引き出せるのだと思いました。 今回の勉強会はとても基本的なことですが、忘れてはいけない、とても大事なことでした。 仲間達を暖かく見守るのはもちろん、忙しいからといって福祉に潰されるのではなく、共存できるように、私たち自身も、自分の生き方を考えていかなければいけないな。と感じました。 |
![]() |
| Blog top |
|