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他者と肯定的に共感しあえるセンサーが出来ているのか? 
 なんでやろうな・・・、と最近考える。
響くはずのものが響かない・・・。

        
 知的障害のある仲間たちも、様々である。
みんな作業所に来たからといって、同じように働けるわけではない。
問題は身体的スキルよりも、心。精神的な要素が大きい。

 みんな少しづつ参加しながら、周りに認められ評価され、それを励みに自分の中に取り込み、心の力にして、段々と成長していく。・・・これは法則的で、大体がそうだ。

 しかし、なかなそうならない場合がある。
周りの評価や認めが本人に響いているという感触が見えないのである。

 いじけてぐずぐずぐずぐず・・・。
自分を見てほしい、かまってほしいというのだけは明らかだが。
どういうふうに肯定的に見て伝えても満足しないのだろうか、と思うぐらいに。


 福祉の仕事は職人技のようなところがある。
私の経験では、数ヶ月もすれば大体「ここら辺をこう刺激すればこういうふうにに来るだろう」というものが見えるのだが、・・・なかなか見えない。

 基本は、他者と共感しあえるセンサー(肯定的な共感のセンサー)が心に形成されていないのではないか、と思う。
 中には、ネグレクト(育児放棄)で、他者と心理的に関わる術さえも無いかのように「動物的」にしか関われない人までいる。こういう場合は明らかな「人格障害」だが。
 ある場合は、かかわりの基本は物欲=金に集約される。しょっちゅう金の問題で、トラブり不安定になって問題を起こすのである。問題を起こすことでしか人の関心を引くことが出来ない。

 普通は褒められたりすると、嬉しくてまた褒められたいという動機が行動を支配していくものなのだが。

 そこまで行かないにしても、心理的なかかわりの手ごたえが無い。
幼児期ならやり直しも効くが、20歳も過ぎてその人格の基本は殆ど固まっている。

 「三つ子の魂 百まで」という言葉に逃げ込まず、・・・失われた幼児期の人格形成の課題を、それでも気長に一緒にくぐらなければならない。

 ほんとに、芯から寂しいんだろうなと思う。
それはもはや寂しいという感情を通り越して、自分でも制御不能な得体の知れない化け物を心の中に住まわせてしまったのかもしれない。
 

 幸い、仲間たちは、こういう新しい仲間を否定したり排除したりすることは無い。
「みんな、そのままの姿を受け容れあおう、そこから始めよう」と実践を取り組んできた。
そうやって自らも受け容れられてきた体験が、新しい仲間たちへも向かうのであろうか。


 経済的貧困が、心までも貧困にし、子どもたちが育つ心地よい人間的環境を奪っている。
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テーマ:障害者作業所 - ジャンル:日記

鬼瓦

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