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埼玉より号外!〈その2〉 
20090920104014

「長妻厚生労働相が障害者自立支援法の廃止を明言した」との発表に、一同拍手!!


今後、どのような障害者福祉の制度になるのか(応益負担は廃止されるのか、施設の経営を苦しめていた‘日額払い制度’を月額払いに戻すのか、等)をきちんと見ていかないといけない。


しかし、2900名の全国の仲間たちと諦めずに訴え続けた成果を確かめあえました。
まずはみなさんにご報告いたします!!

(とくい)
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とくい

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埼玉より号外! 
20090920125805
昨日から、埼玉できょうされん(共同作業所全国連絡会。陶友も所属しています。)の全国大会があり、参加しています。

総選挙の結果、政権がかわり、障害者分野の施策も変わる可能性が出てきた。「障害者自立支援法が廃止されるように大きく声を挙げていこう!」と、確認しあっていた、まさにその日、速報が入ってきました。


(携帯電話からの書き込みで字数オーバーのため、その2に続きます。)
とくい

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鬼瓦の”持病” 
 持病が出たというか、こうなるとどうしてもこうなってしまう。

          
 相談を受け、「SOS」を受信したら、「俺と陶友がこの人を幸せにしてやるんだ」と思い込んでしまう。
悪い性分だ。良い所でもある。(つもり・・・)
そして新たな仕事をつくり、職員にも負担をかける・・・。
でも、いいのです。
大体、陶友も職員もそうして、障害を持つ人の悩みや「SOS」に向き合うところから始まり、そして成長してきたのだから。


 「ここに来てよかったです。ほんとにここに来ていいんですか?」
と、Fさんが言う。


 丁度1週間前の土曜日だった。
体重は35キロぐらいだろうか、小柄で心細そうなフミさんが妹さんにつれられて陶友に来たのは。
妹さんが、知人にこういうところ(作業所)があるときいて、下見に覗いてみたら開いていたので・・・、ということで、相談に乗ることになった。

 離島で暮らしていたが、離婚して、妹さんが福岡市内に引き取ったというのだ。
50才ちょっと。この春に中2の一人娘を不慮の事故で亡くしたらしい。唯一の支えであった娘さんを亡くし、責められて離縁されたらしい。
 激しく落ち込み、精神的にも一杯一杯で島にいられなくなって妹さんが引き取ったいう事だ。


 Fさんは、耳が聞こえない。


ここは給料はほんの少しで、仕事が物足りないかもしれないと話すと、
「自分を認めてくれるところが良い。心が休まるところが良い。」という。

 じゃあ1週間実習してみて、気に入ったら、そのとき正式な話は進めよう・・・そういうことで1週間が過ぎたのだ。

 Fさんにあった定番の仕事はなく、封筒のシール貼りや、陶器の値段シール貼りなどをお願いし、コツコツとやってもらった。

 発話はできるが聞き取りができないようだ。手話もわからない。(こちらも手話は駄目)
で、筆談でこちらから話しかける。

(仕事の内容が行き当たりばったりだから、不安?物足りなくて退屈じゃない?元気?)
「大丈夫です。楽しいです。」

(耳が聞こえなくなったのはいくつのとき?)
「小さい頃、高い熱が出て、鼓膜がダメになった。」

(自分の声は聞こえるの?)
「少し」
 多分、脳神経は大丈夫なのだろう。自分の声が骨を伝わって?聞こえるから、幼い時に外からの音を失っても発話はできたのではないだろうか・・・と思う。でも発話にも自信がなさそう。

(話すのは上手にできてるよ。よく聞こえるよ。)
・・・うれしそうに、笑う。

(今は決まった仕事じゃないけど、そのうち仕事を決めて、自分で考えてやっていけるようにしましょう。)
「ここに来ていいですか。うれしいです。」

(今までどんな仕事をしたの。)
「旅館の仕事とか・・・。でもみんなに誤解されて、耳が聞こえないから・・・。言うことをきかないとか、無視するとか・・・、知らんふりされたり。ここはいいですね。みんなそれぞれ明るいし、楽しそうにしている。やさしいし、心が休まります。」

(みんなマイペースだけど、それで良い。少しづつ頑張る。一人ひとり、自分なりに頑張る。力を合わせて助けあって。)
・・・涙ぐんで、うなずく。

(大丈夫だよ。人はみんないろいろ。比べなくていいんだよ。どんな人も大事な一人ひとり。みんな仲間です。助け合って、みんなが幸せになれるように頑張るのが「陶友」だよ。)
ハンカチを目にあてて、うなずく。

(僕が今、ちょっと心配なのは、Fさんが、仕事が物足りなくて退屈じゃないかな?ということ。そのうちやりがいのある仕事を作って、一緒にやろうね。)
「よろしくお願いします。」


 しょっちゅう近くにいて、筆談はできないが、以上、今日の筆談メモの一部から、書き込んでみました。
筆談しながら、Fさんの人生を思い、切なくて涙がにじんで、仕方なかった。



 午後、妹さんが来られて今後のことを話し合う。
Fさんはここに来たいと言う。妹さんも喜んでくれた。
ここには書けないような、切なくてつらい事情のために、手続きはもう少し先にすることにした。

 (でも、それまで毎日来ていいよ。その方がいいでしょう?)
「いいですか。よろしくお願いします。」

 給食費のこととかいろいろ気にしてはいたが、
(いいよ。そんなことはどうにでもなるから。)


 来週の予定を確認して安心したようだった。
帰り際に、Fさんがジュンくんが作ったお地蔵さんを「かわいい」といい、来週から陶芸をしてみたいといっていたことを思い出し、そっと、お地蔵さんのストラップを手提げバッグの紐に結んであげた。
「私にですか。いいですか。うれしいです。お守り・・・」と言う。
この人の笑顔は、申し訳なさそうで遠慮気味で、・・・切ない。


 「みんな幸せになる権利があるんだ!」と、強く思う。


小さな後姿を見送りながら、
「俺と陶友がFさんを必ず幸せにしてやる・・・」
と思うとまた、涙が出てきてしまった。

・・・持病の症状が悪化してしまった。 
「俺が俺が」とでしゃばって、
また沢山の人たちの力を借りなければならない。



テーマ:福祉のお仕事 - ジャンル:福祉・ボランティア

鬼瓦

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火種に酸素をもらって! 
今日、陶友で一ヶ月実習した学生の実習総括でした障害とは・・、労働とは・・、作業所の意味、これからの自分、など多岐にわたって学習してきました。今回の学生さんもなかなかの 「個性」 の持ち主で良く学んでいました


これまで何人の学生が実習に来たか数えきれませんが・・ 毎度の事ながら真摯に若い学生と向き合い、時には酒もいれながら一生懸命学んできました。


職員という立場の私は、指導してやってるという目線ではなく、これからの社会を共に担っていく(若者)同士としての 『学び合い』 という思いで臨んでいます。

それなりの事を語るには、自分自身も改めて原点を振り返り学び、さらに話す技術や知識も必要です。もちろん私も、語れる自分が出来ただけで・・・勉強、復習、勉強、復習です。



最近は、かなり仕事が忙しかったり色々あったりで正直疲れが溜まりまくってました。でもいざ実習生が来ると、何処からともなく向き合い、学ぶ力が出てきます。こんな自分を客観的に見ると、仕事が・・・・とかでなくまだ自分やれるんじゃないかもっと厳しく自分自身に変化をつけようと思える瞬間です。



自分自身を一生懸命生きるんだという情熱・・・・もっと学ぶんだという火種に酸素を新たに吹き込まれた感覚です。


もっと違う自分を!という向上心を出来れば己の力だけで・・・・と思いますが、そこはおいおい色んな人たちに応援してもらいながらと思います。




23時半まで総括・語りあってました。 さぁて、明日のために寝ようと思います

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くりげの

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他者と肯定的に共感しあえるセンサーが出来ているのか? 
 なんでやろうな・・・、と最近考える。
響くはずのものが響かない・・・。

        
 知的障害のある仲間たちも、様々である。
みんな作業所に来たからといって、同じように働けるわけではない。
問題は身体的スキルよりも、心。精神的な要素が大きい。

 みんな少しづつ参加しながら、周りに認められ評価され、それを励みに自分の中に取り込み、心の力にして、段々と成長していく。・・・これは法則的で、大体がそうだ。

 しかし、なかなそうならない場合がある。
周りの評価や認めが本人に響いているという感触が見えないのである。

 いじけてぐずぐずぐずぐず・・・。
自分を見てほしい、かまってほしいというのだけは明らかだが。
どういうふうに肯定的に見て伝えても満足しないのだろうか、と思うぐらいに。


 福祉の仕事は職人技のようなところがある。
私の経験では、数ヶ月もすれば大体「ここら辺をこう刺激すればこういうふうにに来るだろう」というものが見えるのだが、・・・なかなか見えない。

 基本は、他者と共感しあえるセンサー(肯定的な共感のセンサー)が心に形成されていないのではないか、と思う。
 中には、ネグレクト(育児放棄)で、他者と心理的に関わる術さえも無いかのように「動物的」にしか関われない人までいる。こういう場合は明らかな「人格障害」だが。
 ある場合は、かかわりの基本は物欲=金に集約される。しょっちゅう金の問題で、トラブり不安定になって問題を起こすのである。問題を起こすことでしか人の関心を引くことが出来ない。

 普通は褒められたりすると、嬉しくてまた褒められたいという動機が行動を支配していくものなのだが。

 そこまで行かないにしても、心理的なかかわりの手ごたえが無い。
幼児期ならやり直しも効くが、20歳も過ぎてその人格の基本は殆ど固まっている。

 「三つ子の魂 百まで」という言葉に逃げ込まず、・・・失われた幼児期の人格形成の課題を、それでも気長に一緒にくぐらなければならない。

 ほんとに、芯から寂しいんだろうなと思う。
それはもはや寂しいという感情を通り越して、自分でも制御不能な得体の知れない化け物を心の中に住まわせてしまったのかもしれない。
 

 幸い、仲間たちは、こういう新しい仲間を否定したり排除したりすることは無い。
「みんな、そのままの姿を受け容れあおう、そこから始めよう」と実践を取り組んできた。
そうやって自らも受け容れられてきた体験が、新しい仲間たちへも向かうのであろうか。


 経済的貧困が、心までも貧困にし、子どもたちが育つ心地よい人間的環境を奪っている。

テーマ:障害者作業所 - ジャンル:日記

鬼瓦

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