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嬉しかった出来事 
先週、帰省することを前の記事に書きました。

帰省中の話です・・・。



長い休みも横臥し、私が地元から博多に帰ろうとした日の夕方、鹿児島市の友人から電話がありました。

鹿児島市の友人:「電話では話せないから、お前の自宅近くに行くから会って話したいのだけど・・・」

私:「もう博多に帰ろうかとしてるんだけど・・・」 



帰省中にも、この友人は遊びに誘ったのだが、気持ち(精神的)が不安定なのか、逆ギレに近い態度や高飛車な態度でこっちまで嫌な気分にさせられていました・・・

しかし、この友人も大学は出たが、やりたい事が見つからない事、就職問題、鹿児島で心許せる親友が出来ない事、健康的な事、家庭の事、将来への不安など多くのコトを考えてるのは分かっていたので、精神的なモノがあるのでは・・・と考え、1つ1つの言動に対し対立しても・・・と向こうの状態を考慮して私は感情的にならないようにしてぃました。


互いに自分をさらけだしての真面目な話は今までなかったし、今回がさらけだしトークの良い機会じゃ!!!っと意気込んで・・・・・後日博多に帰る事に予定を切り替え、結局会うことに


会うと(しかも向こうは大遅刻)私が正月にその友人の誕生日を祝っていたので、私の誕生日(8月9日)のお祝いをお返しと言うことで・・・現金をくれました。「じゃあ俺はコレで・・」というので・・

私「お前、他にも話したいコトがあって来たんじゃないんか?コレだけじゃねーやろ!」と問いただし色んな悩みやグチを聞き、話し合いました。(星がキレイに見える野原で30の男2人で・・・



一時して雨が降ってきたので、場所をかえる事にしました。



ソコに前の記事にも書いた・・鬱の友人も呼ぼうととっさに考えました。高校からの親友達がここまで、もがいているのに互いの生き方についてハラわって話したことも無い現状!もう我慢ならん!!私も陶友で人間を学び、自分が・・・自分の生き方が変わってきた、そして語りたい自分がある!!今話さず、いつ話すんだ!!という思いで強引に車で迎えに行き、ファミレスで22時半から4時まで3人で共に語り尽くしました。


本当に本当に、たくさん話しました。互いに話しながら涙をこらえていました。


それぞれの環境・悩み、仕事・・・、、社会問題、自己責任論、夢(この3人での)、障害、家庭のこと、変わるという事(生き方や自分自身)、体の事(鬱などの病気・健康問題)、労働とは何ぞや!人間が働くという事はどういった事か、主体的に自分を生きるという事は・・などなど。


私たちは語り尽くしました・・・・・・。




その後の友人からのメールが下です。

友人:「電話に出なくてゴメン。ジョイフルで話した後、色々と考えてしまって落ち込んで体調も悪くなってしまった。」


私:「話した後、色々考えてるんやなかろうかと思いよったよ焦っても仕方ないから、ゆっくり徐々にで良いんやない考える事は必要で大事やけどよ、考えすぎはアカン


友人:「ありがとう。お前の話を聞いてから、今までの自分の人生を振り替えったら涙が出てきたよ。過去のことは何とも出来ないけど、これからはもっと自分に厳しくしないといけない。あと、変な言い方かもしれないけど、お前が人間的にすごい成長してて、嬉しかったしビックリした。(鹿児島市の友人)に言ってる事もスゴイ良い事言ってると思ったし、仕事での経験が生きてると思った。やっぱり人間は苦労しないと成長しないと思った。俺は鬱も確かにあるんだけど自分に甘いからね。ホントにお前の話しを聞けて良かったよ。仕事大変かもしれんけど確実にお前にプラスになってるから頑張ってね。俺も今日、自動車学校試験合格したから、あとは早く鬱を治して頑張るよ」


私:「おう。まあ、お互い自分らしく、人間らしく共に頑張ろう


友人:「そうやね。でもホントに良い話しが聞けて良かったよ。何かあったらまたメールするよ。」




私は、何がなのか良く言えないが・・・嬉しくてブログ書いてる今でも涙をこらえるのが苦しいんです。



いつもとは違った意味で意義ある帰省でした。


3人での長い語らいの途中の親の電話には、車に携帯を忘れていた為に気づかず・・・
4時半に実家に帰って・・・・・30歳になりながらも、母にひどく叱られた私・・・・


私:「母ちゃんよ、人生には今しかないって時があるんやって・・・

(栗毛野 卓)






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くりげの

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誰が望んでる? でも、なくすことは実現可能なこと 
ちょっと過ぎてしまいましたが・・・
仕事を休んで(ちゃんと年休を使ってですよ)、8/4と5に「原水爆禁止2008年世界大会」に広島にいってきました。
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私がこの大会に行くことにきめた理由は・・・
「人を殺すための道具(兵器)なんていらないはず!しかも、核兵器(=原爆や水爆)なんて、本当に、本当に、悲惨な状況を生み出すだけ。それは、ヒロシマやナガサキのことを知れば誰でもわかるはず。」
その想いを伝えたいと、決めました。
でも、勉強していくうちに、
「核兵器はまだ世界に2万6千発もあるんですって!?」
「そんな!なんで核兵器は無くせないの??」
そんな疑問が浮かんできました。


一日目(8/4)は、開会総会(全体会)。広島県立総合体育館に6500人が集まりました。
夜は、「世界青年のつどい」。1500人が集まりました。
二日目は、分科会。私は、「学習のひろば」に参加しました。そこでは、パネルディスカッション・安斎育郎さん(立命館大学国際平和ミュージアム名誉教授)のお話・「若い世代の取り組み」のリレートークがありました。
残念ながら、8/6は「仲間の学習交流会」(作業所の行事)があったため、私は一日早く帰りました。
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二日間で学んだこと、考えたことを、印象深かった言葉を中心に皆さんに報告したいと思います。
(一生懸命書いたら、長くなってしまいました・・・お付き合いください



軍拡競争ではなく、軍縮競争を!
私がこの大会に参加してまず感じたことは、世界の人たちが「核兵器をなくしたい!」と私と同じ気持ちで集まっているのだということ。世界の国々のトップの人たちは色んなことを言うけれど、世界中のたくさんの人が、核兵器を無くすために各地でがんばっているんだということを知りました

原爆は生き残らせてはいけない! 
大会中、被爆者の方の話を聞く機会が何度もありました。原爆の落ちた日のこと、その中をどのように生き抜いたか、奇跡的に家族が全員助かったと思っていたが、翌月、翌年と亡くなっていく家族、自分自身もたくさんの病気を抱えながら生きていること。
「苦しい、ツライ…でも、私は生きる。平和、核廃絶のために」。私たちが想像できないような状況の中で生き抜いてきた方の言葉は大変重い言葉でした。

「私たちは被爆者の言葉が聞ける最後の世代だ」と言われます。でも、どう伝えていったらいいのだろうか。被爆者の言葉は、被爆者だからこそ訴え、伝えることが出来る言葉。そのまま私たちが言ったって、空虚な言葉になってしまう。…では、一体どうすれば

アメリカの国民もだまされている
よく、「被害を最小限に抑えて戦争を終わらせるには原爆を使うしかなかった」と言われます。アメリカ人の多くもそう思っています。でも、今回勉強したところによると、原爆を使わなくても、戦力的には日本が負けるのは目に見えていたそうじゃないですか!
①開発したものは使わなければいけなかった
②戦後、ソ連との関係において優位にたつため に、原爆は投下されたんですって。
そんな理由で、無差別にこんなにも多くの人を殺してしまうなんて許せない!と思うと同時に、アメリカの国民も情報操作によって本当の理由を知らされていないんだったら、アメリカの国民もだまされているっていうことですよね。
どんなときでもそうだけど、主体的に知る努力をしないと、一部の人に都合の良い情報に踊らされてしまう!改めて思いました。

しかし、三度目の原爆投下を許していない! 
今もまだ開発され続けている核兵器。(その威力はヒロシマ・ナガサキの8~40倍もあるんですって。)それが、一度も使われていないのは、核兵器をなくそうという運動の成果と言われました。

まずは日本がやったことを謝罪する
これは、被爆者の方が海外で被爆体験を話すときに感じたことだそうですが、海外で話すときに、まず日本が戦争中にやったことを謝罪の言葉を出すことで、聞いている人の反応が違うそうです。だから、日本の戦争の歴史もきちんと学んでおかないといけないなと思いました。
でも、本当は原爆についてただ「この国がおかしい」と言っているわけではないのに、と思いました。
私は、原爆を使うことを許してしまう状況、人を殺すことが許されてしまう状況を生み出す―「戦争」を無くさないといけないと思います。

核兵器にどれだけ力があるようにみえても、失われた命を取り戻すことはできない。
 この大会の中で、私が一番シビレた言葉はこれでした。これは、東京で大学に通っている学生さんの言葉。
「命は、何もしなくても無くなっていく。それを強制的に奪うのが戦争です。(原爆で)止まった時計は戻らない。核兵器にどれだけ力があるように見えても、失われた命を取り戻すことはできない。人の命を守ることができるのは、人の心と優しさ。そして、これからの命を守ることが出来るのは私たちなんだ!」と。

自分なりの平和への想いをつなげていこう 
これまた先ほどの学生さんが言っていました。それを聞いて、自分が疑問に思っていたことが一つ答えが出たような気がしました。
 そうか‘自分なりの’で良いんだ!!
 「被爆者の方の言葉をそのまま伝えなきゃいけないんじゃないか」なんて思ってたから変な感じがしたんだ。
被爆者の方の話を聞いて、その想いを‘私’という一人の人間がどう感じて、どう伝えていこうかと思ったかが重要なんだ!私なりの経験や、今まで見聞きしてきたことも合わせた‘私’。それで良いんだ!
上手くは言い表せませんが…だから、自分なりに平和の想いを伝えていけばいいんだと思いました。



被爆者の方は、誰も報復なんて望んでいませんでした。
皆さん「他の誰にも自分と同じ思いをしてほしくない」と。
みんなで、こんな悲しいことになる状況(=戦争)をなくしていきましょう。
世界中の誰もが平和になるように・・・


ノーモア ヒロシマ
ノーモア ナガサキ
ノーモア ヒバクシャ

                                (とくい)

テーマ:平和 - ジャンル:ライフ

とくい

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お盆・・・久しぶりの帰省を決意!! 
あくしゅさん、ネコちゃんさん、この間は四万十からわざわざお超し頂きありがとうございました
楽しい時間を過ごさせて頂きました。新たな人と人の繋がり・・良いなぁ~~と改めて思いました。もっとゆっくり・・・ゆっくりと長く話して、勉強したかったです


そうそうネコちゃんさん、本当に恥ずかしながら、 あれから『例のヤツ』の持ち方をひそかに練習してました所、出来るようになってきました。トクイからもO・Kが出ました。

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今度は四万十に仲間と共に・・となるのか・・? 遊びに行きたいと思います。あくしゅさん、ネコちゃんさん、その時は可愛がって下さいませ それまでには、少し成長した自分であるようこれからも頑張ります






 さて、今年のお盆は(6年ぶり?)に鹿児島(出水)に帰省する事にしました。理由は3つほど。

先月のいろり塾での話を聞いてると、両親はいつまで生きてるだろうか・・・子供には迷惑かけられん!!と、病気でも隠してそうやな~とか、人間は一人では生きていけない!今という時間は2度と帰ってこない時間なのだから、今を一生懸命に生きなさいという父の言葉を思い出したり・・・・などなど考え、正月にしか帰省してなかったから今年は盆にも帰ろうかなと思ったのが1つ。


2つ目は、高校時代の友人が東京から地元に引っ越し、帰ってくるという事がありました。この友人は鬱を患っていて、よくメールや電話がつながらない事が前からあります。
「変にハイテンションだったり、反応が鈍かったり・・とそういう時は調子が悪い時だから・・・」と事前に調子のいい時、その友人から連絡があったりしてました。東京に来たが、やりたい事が見つからない事、親友が出来ない事、将来への不安を話した事もありました。そんな彼が8年ぶりに帰ってきて、東京よりは環境的に落ち着く地元で鬱を治していこう、生きることに向き合い、やり直そうと決意したとの事でした。

ここはダチとして大いに互いをさらけ出して語り、遊び、飲み自分が生きることに向き合っていっしょに応援し合いたいと思ったからです。




鬱は、もはや社会的現代病と言えるほど多いと思います。そこには、社会的背景が大きな影響を及ぼし、暗い影を落としていると考えます。決して個人的な自己責任論のみで片付けられるモノではありません。まだまだ理解が少ないのが現状だと思います。障害者福祉ともつながるモノを感じます。

人が生きる上で、誰もが人間らしく生きていける環境を皆で社会的に創造することが大切だと思いました。




3つ目は、母方の祖父母(79歳と76歳共に農業現役)と父方の祖母(88歳)も汗水たらして体をいたわりながらも、日焼けして台風を気にしながら農作物を育て・・・・・後期高齢者医療制度や少ない年金にも、めげず負けず頑張りながら・・・孫の帰りを待っている・・・はずだ!! きっと!! いや、絶対 まあそんな事で今回は帰省だとなった訳です。


ノンエアコンの陶友でも汗をかき、帰省しても農業で汗をかき日焼けして・・・・・・ちょっとだけ楽しみかな
くりげの

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めでたい還暦祝いと、ちょっとその裏側。 
昨日は、仲間の還暦祝い
ただいま、その記事をHPにアップするため、作業をしていました。

たくさん撮りためた写真を見ていると・・・カゴサンの、良い笑顔!!
私の一番好きな表情はHPには載せていませんが、どれも良い表情でしょ?

それを見ていると、思わず涙が出そうになりました。
その理由は・・・




食事会の前に仲間からのプレゼントのTシャツと短パン、サンダルに着がえたカゴサン。
しかし、還暦祝い会が終わり、帰る準備をして出てきた姿は、朝来た時とほぼ同じ姿。
サンダルは「陶友で履く用にするから・・・」と脱ぎ、短パンも脱ぎいつものズボン、もらったTシャツの上からいつもの黄色いシャツを着ていました。
「なんで着がえたの~?」と聞くと、「なんか恥ずかしいから・・・」と答えて、たくさんの方からいただいたたくさんのプレゼントを持って帰っていきました。



その日の夕方の終礼で。「あのまま帰ったら、(あまりに若々しすぎる格好に)『みっともない』とかってお母さんに言われるのかな」と言うと、
「今日の嬉しい気持ちをそのまま家に持って帰れない。共感しあえない温度差がカゴサンと家族との間であるのだろう。」 だから、どんなに楽しい時間を過ごしても、家に帰るまでの間にスイッチを切り換えなければならない瞬間がある・・・・・




それを思うと、この写真に収められているカゴサンの笑顔があまりに素敵すぎて、嬉しいと同時に切なくなりました。

                        (とくい)
とくい

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再度電車ネタから 
以前、私がくだらない(笑)事を考えながらも地下鉄で席をお年寄りに譲ったという記事を書きました。

続きじゃないけど今日は茶髪の兄ちゃんがデェ~んと腰かけてました

私と一緒に博多駅から乗ったお年寄りにその若者が・・・『どうぞ!』と席を譲ってました
思わずこっちまでオォっと、良い気持ちになりました
最近はモラルを問いたくなるような事が多い中・・・
『若者もなかなかやるやないか・・蟹工船(若者にヒットしてる?)じゃないが捨てたもんじゃない』と、なぜか偉そうに思ってしまいました(笑)。

今日はなかなか良い朝でした。

帰りは花火帰りの人々が多くて、やや
くりげの

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