新年度に入り、陶友では現在
職員朝礼の際、支援員4人の輪番で 『3分間スピーチ』をしています。 内容は、各々が関心を持った最近の世の中の動き(情勢など)を 発表するもの。 それぞれがそれぞれの視点で持ち寄るニュースは、 「なるほど・・・」と感じてしまうものばかりです。 私は、ニュースのネタについて気になる部分は調べないと気がすまず、 発表前には手帳にその情報を書き込みながら、 臨んだりしています。 そして、発表時間になると 「わかりやすく。そして端的に情報を伝えなければ・・・」 と徐々に思うようになり、いい緊張感も出ます。 調べるのが段々面白くもなり、 世の中の動きにもこれまで以上に関心が持ててきました。 たった3分間ですが、 その3分にむけて気合いが入る 朝の取り組みです。 スポンサーサイト
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今年、食品班2年目になるあっくん。
あっくんは一昨年に高卒後、陶友にやってきたまだ10代の若き男子。 陶友に来た当初から、ある先輩仲間との折り合いが良くなく、 それが引き金で通所開始1か月程から連日、大幅な遅刻が目立ち始め ました。 そんな中、2年目に入ったある日、 ――「2年目になったんだから、今までのようじゃいかんばい! がんばれ!!」 そう所長と石橋に叱咤激励され、励ましのハイタッチを交わした 翌日のこと・・・ 私が出勤すると「おはようございまーーす!」 いつもより威勢のいいあっくんが、8時半には出勤していました。 その日は1日、やる気満々! (午後には徐々に疲れも見えてきますが^^;) しかも、今日までのほぼ一カ月間、遅刻なしという快挙! 自分の事のように嬉しい彼の努力です。 帰り際には、所長や職員に「明日も頑張るよ!」のハイタッチ☆ もう一方で、彼は自身の頑張りを知ってもらいたい思いから、 毎朝家を出た時やバスに乗る前、降りた時などに、私に電話を かけてきます。 (一時期は必要以上に電話をかけてきていたので、通話料の問題もあり、 バスが着いたときや陶友の前にいる時などはかけないでいい、と注意を したこともありました。) 「遅刻も減ったし、この思いをうまいこと使って・・・」 そう判断し、彼に 「朝、家出た時とバスに乗る前なら、電話いつでもかけてOKだよ!」 そう伝えた翌日から、毎朝元気な声で、自主的に、 2~3回の電話をかけ続けてくれます。 時折、私の方からも元気いっぱい?の励ましの電話を入れながら・・・ 「あなたのことを、しっかり見守っているよ!」 そう彼にとって分かりやすく伝わるやり方をもって 彼の自信に繋げていく。 これからも着実に自信をつけているあっくんを、 あたたかく見守っていこうと思います。 |
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(郭さん・治京さんも書かれている内容と被る部分もありますが、ご了承ください^^;
また私のほうもかなり長くなっており見辛いと思いますが、これもご了承ください) 去る2月9・10日(土・日)、例年開催されるきょうされん九州ブロック学習交流会が、今年は長崎市にて行われ、参加してまいりました。今回はそのレポートを報告します。 (きょうされん九州ブロックは九州内の各県支部の集合組織として活動していて、この学習交流会は毎年各県の持ち回りで開催されています。今大会には九州8県内の各事業所、700名近くの仲間や職員が参加しました。) 会場はJR長崎駅にも程近く、「長崎ランタンフェスティバル」の会期中だったこともあり、街中が人で賑わっていました。 ・開会全大会:基調報告(現在の社会情勢・障害者福祉の情勢)、 特別講演:平和な社会の実現に向けて~高校生1万人署名活動の取組み~(高校生平和大使) 基調報告では、自立支援法が施行されてから現在までの国内の情勢、出来事について語られました。 旧政権が残した自立支援法違憲訴訟の「基本合意」違反、現政権に引き継がれた自立支援法や総合支援法の今後の行方についてへの不安感、多くの犠牲者を出した東日本大震災と多くの被曝者を生みだしている福島原発事故について触れられました。 特に原発被害に関しては『想定しなければならないことが起こった』として、被爆地・長崎や当事者が歩んできた険しく辛い歴史も交えて語られ、子どもや孫の世代まで未来永劫にわたる生活や環境への懸念から、原発運営に関しては国民全体の課題として認識すべきだと改めて感じました。 その後の特別講演では、被爆地長崎で生まれ育った高校生が、国連をはじめ国際的に活躍する「高校生平和大使」の活動を、その平和大使である3名の現役高校生より熱く語られました。 「後世に戦争や被爆の体験を伝え、平和の尊さを発信していこう」と始まったこの活動。 特に、13年間若者の力によって繋げられてきた「高校生1万人署名活動」や、世の中から戦争をなくすため“ミサイルよりも鉛筆を”(軍事や武力よりも教育を重視して!)とのスローガンで取り組んできた「高校生1万本鉛筆運動」など、市民の共感を繋げてきた彼らの地道な活動の報告から、平和やこれからの未来に対する強い想いをひしひしと感じました。 そしてそれらは、私たち福祉分野で働く者の心情にもリンクするものがあり、また若いながらこの国や世界の平和な未来を考える彼らを、周囲の大人である私たちが強く支えなければならないと、心の底から感じました。 ・分科会:第4分科会・ホームづくり、ホームでの実践・援助 私が参加した分科会は、グループ・ケアホームの創設やホームでの日々の実践に関しての内容で、理由は現在グループホーム(以下、GH)から陶友に通う仲間への支援に携わる中、日頃知る機会の少ない他事業所(ホームや作業所間における)の取り組みを知り活かせればと思ったことからでした。 ~内容~ (1日目)2事業所の方からのレポート報告→質疑応答 (2日目)①我がGHにおける日々の実践・取り組みについての意見、 ②ホームの運営や仲間に対して大切にすべき事・変えていかねばならない事についてのグループ討議 1日目は2事業所の職員さんからGHに関する取り組みのレポート報告でした。 そのうち、鹿児島県薩摩川内市・麦の芽福祉会のぽかぽかハウスは、全国的にも珍しい、施設併設型ではない単独の建物で運営するショートステイです。 一人暮らしやGHに入る前に生活体験を重ねたいという仲間自身のニーズに加え、運営側においても今後必要になってくるGH・ケアホームでの実践や運営にも活かせる部分は多いとして、設立されました。 定員は最大4名、生活動作の様々を適材適所で役割を決め、1泊2日を過ごします。 前例のない取組みに試行錯誤も多くあったようですが、3年目に入り、仲間やご家族、地域内にもとても定着してきたとのことです。 そしてこの取り組みが県にも認められ、事業指定や単独型ショートステイの報酬加算の追加に繋がり、より仲間たちの生活サポートを安定的に行えるようになったということです。 実践と運動が実を結んだ事例でした。 2日目のグループ討議では6グループ程に分かれ、それぞれで3度ほど議論をするのですが、[1度目はもとのグループで話し合い→2度目は構成員がバラバラに他所のグループに行き、更に話し合い→3度目はそれぞれまたもとのグループに戻り、収穫した意見等を出し合って自グループの結論をまとめる]という、体も動かしながらのちょっと面白いグループワークを行いました。 私たちのグループでは、 ①日々の実践において:仲間を「時間・空間・人間関係の主人公」であると捉えた上で、【私たちの物差しではなく、彼らそれぞれの物差しがあることを忘れない事】【一人の大人として、失敗することも視野に経験を積んでもらう事】【何より、ホームは自宅同様。暮らしによって身も心も豊かになれば、労働意欲や効率もアップする】という視点を持つべきだ。 ②ホームを営む上で大切にすべきは:基本中の基本であるかもしれないが、日頃の近所付き合いを大事にすること。もしもの時・大変な時に、お互いの助け合いが利くかどうかは、重要ではないか。 「ホームで暮らす=地域で暮らす」ということを、常に忘れずにいたい。 という結論を出しました。 参加者は皆さん私よりも年上の方がほとんどで、役職も立場も様々な中、それらを越えそれぞれのグループがとても和気あいあいに、そして熱くディスカッションを重ねていました。 「仲間それぞれの明るく希望に満ちた将来のために」と、本当に一丸となって地域生活を深く考えられる、そんな雰囲気の分科会でした。 ・また補足として、参加はしていませんが特別分科会「原爆と原発~障害者も安心して暮らせる社会を目指して~」(パネリストは福島・南相馬市さぽーとセンターぴあ理事長 青田由幸さん、長崎県被爆二世教職員の会会長 平野伸人さん)も開かれ、長崎の過去の歴史や経験を活かした分科会も設定されていました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 2日目、大会の最後には、次回の開催地「大分」の発表と大分支部へのバトンタッチの後、今大会のアピールが現地の仲間より述べられました。 ・きょうされん九州ブロック学習交流会長崎大会アピール わたしたちは、2013年2月9日から2日間にわたり、第17回九州ブロック学習交流会を、春を間近に控えたこのよき日に長崎で開催しました。平和を呼びかけた今大会には、九州各地から600名を超える人たちが集まりました。大会を支えていただいた100名のボランティアの皆さんや、行政、市民の方々の大会運営へのたくさんのご協力に、こころより感謝申し上げます。 今大会では、地元長崎でご活躍されている高校生平和大使をメインサポーターとして、更に特別分科会に被災地である福島県の第一線でご活躍なさっている福島県の事業所のかたをお招きし、原子力の怖さを再認識するとともに命の大切さを学びました。また、長崎らしい大会が開催され、なかま自身が多く関わり、なかまもただの参加者ではなく、主催者として関わることができました。 私たちの暮らしは、この1年、残念ながら大きく変わることはありませんでした。たくさんの運動の結果、勝ち取った「総合支援法」も現在の「自立支援法」の名前が変わるだけで思い描いてたようなものにはなっていません。まだまだ、たくさんの課題はあります。くわえて、消費税増税や生活保護費の削減など、より暮らしにくい社会になりかねない状況です。さらに、平和憲法にも暗雲が漂っています。しかし、私たちは、今日、こんなにも多くの人が集い、同じ思いを胸に学習し合うことができました。高校影平和大使の皆さんや。福島県の事業所の方もこれまで、ぶれずに、こびずに、諦めずに活動なさってきたことと思います。私たちは今回学習したことを、ぶれることなく、誰にもこびることなく、あきらめることなく、夢の実現に向けて運動を続けなくてはなりません。「微力だけど無力じゃない!」高校生の皆さんの思いに私たちも大きな力と勇気をいただきました。この出会いを大切に、今後、それぞれの場所で同じ思いを胸に、手を取り合って活動を続けていきましょう。私たちは新たな歩みを続けます。 2013年2月10日 きょうされん九州ブロック学習交流会長崎大会参加者一同 ・まとめ 今回の学習交流会は、長崎の歴史と、前向きに平和な世の中にしようという強い姿勢を、大会全体で感じることができる、そんな雰囲気で催されていたように思います。 何より、「平和の実現・それぞれの幸福感や生きる喜びの実現・全ての人が生きやすい社会の実現」はそれぞれが強く関係している。 講演や全体会に参加し、今の福祉や社会保障全般が置かれている状況を学びながら、そう感じました。 「長崎」の世界に誇れる良い部分を最大限に感じさせてくれた、そんな今大会でした。 また分科会では、一歩先を見据えた取り組みが行政を動かし新しく制度化につながった鹿児島・麦の芽福祉会の「単独型短期入所事業」は、とても印象的で魅力的に思いました。 「一人暮らし体験ができるショートステイ」として、親御さんを日頃の心身の疲れから解放することはもちろん、仲間たちの目線で見ても“いつか来る一人暮らしのために、少しずつ一人で出来ることを伸ばそう”という自立心をバックアップする。 一石二鳥にもそれ以上にもメリットがありそうな、全国的にも先駆けた取り組みを知り学ぶことができました。 GH政策がなかなか大きく前進しない福岡市ですが、仲間たち自身とそのご家族の明るく楽しい人生の実現のためにも、安心して地域生活が送れる制度を充実させるよう私たちも運動し、いつかこのようなホームを作ってみたい。 分科会で参加者皆さんと話し、そう明るく希望の持てた学習会でした。 |
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今朝、私が食品班の店内で調理作業をしていると、
開店直後に2人の男性がお店に。 「あのー、すみません。」 「背の高い、リュックと帽子を被った男性ってこちらの方ですか!?」 とちょっと困った様子な感じで尋ねてきました。 ちょうどトノと仲間1人が同時に出勤してきたので、「誰だ?どっちだ?」と考えましたが、「背が高い」と聞き、多分トノかな?!と推測。 しかしその後、男性の1人が「200円を急に差し出されて・・・」と 手に握っていたのは50円玉4枚・・・ その瞬間、その場にいた私と仲間たちは 「あっ、トノだ・・・笑」 と察しました。 (具体的には、陶友近隣の駐車場の敷地で作業中、トノがその敷地にふらっと立ち入り、その際男性がトノを駐車場利用者と思い違って「車出されますか?」と尋ねたそうです。 すると、トノからいきなり50円玉4枚を差し出され受け取ってしまった、ということです。) 自閉症でもあるトノは、細かい小銭を財布に保持しておくのが、どうも心理的にもイヤなようで。 (私たちにも、そういう時ありますよね?) 通勤途中のコンビニの店員さんや職員によく、 「1000円!」 と言って100円玉10枚を持って両替を求めたり、貯まった10円に関しては両替をせずに、何気なくそのまま人に渡したり。 (陶友の中では、一先ずは預かっていますが^^;) たまたまトノの通勤道中で関わった男性2人は、 なぜ受け取ることになったか分からない200円の小額を すぐに立ち去ったトノの後姿を追っかけ届けてきてくれたのです。 私からも「本当にありがとうございます!」とお礼を伝えました。 トノの、色んな人に分け隔てなく関わっていく姿を想像し、 (相手方も、きっとたじろいだだろうと安易に思い浮かべながら・・・) でもそれ以上に、地域にいる人が関わり(今回で言えば、お金を通した「繋がり」)を持ってくれたことに嬉しみを覚えました。 ひょんなことですが「持ちつ持たれつ」を感じ、 朗らかな気持ちになった、朝の出来事でした。 |
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「なんだか、だんだんワクワクしてくる!」
きのう日曜、西日本短大二丈キャンパスでの販売会に向かう 道中の車内での、フミさんの一言です。 ここ3週間ほど週末に立て続けのバザー出店。 毎週連続は忙しいですが、これも「陶友とそこに働く仲間」の姿を 知ってもらう絶好の機会です。 その3週すべてのバザーを担当した一人、フミさん。 耳が不自由な彼女は耳からの情報が捉えづらいために、 「どう思われてるのか」「何か言われてはいないか」・・・ と深く思い込み、悩みをどんどん深めてしまう面があり、 これが彼女の生き辛さの一因となっています。 そんな彼女にとって、週末の「働きを知ってもらう、交流の場」は、 作業所や家庭の外という普段と違う環境であり、彼女を心機一転する イベントの一つ。 先週には、近隣の障害者就労支援施設のお祭りへの出店にも参加し、 ひっきりなしに訪れるお客さんにも疲れを見せず、笑顔と明るい 声色でしっかりと接客に励んでいました。 終わると「ほんとに楽しかったー!」とニコニコしコメント。 先々週には、売れ残りそうな食品班の商品を、 張り切って行商してまわる姿も。 昨日も午後からあいにくの天気でも訪れるお客さんはたくさん。 「(箸置き)かわいいー」「おいしそー」という反応一つ一つをしっかり 受取り、お客さんへ丁寧に返していました。 目の前で自分たちが作った作品が売れていくのもそうでしょう。 でも、フミさんは作品を通してお客さんとの関わり・交流を、 心から楽しんでいる。 3週とも販売会で彼女と共に仕事をし、自分はそう捉えました。 彼女にとって・仲間にとって、作品を生み出すのと同じくらい、 販売の仕事は心を満たし誇りを持てる仕事なんです。 食品班での日々のリヤカー販売とはまた一味違った 「販売の醍醐味」を、フミさんを通して感じました。 |
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今日は校区の中学校のバザー。
陶友(食品班)は外部の業者として、出店させていただきました。 この中学校では毎年一回、同校のPTAの方々主催で部活別の親御さん等が主に店を出し、子どもたちに食べ物販売をしていたのですが、 昨年よりお知り合いからの紹介で、このバザーに出店させていただくことになりました。 今年はその2回目。 もちろん、仲間は販売の要員です。 出す商品は、おからコロッケ・ガトーショコラ・お好み焼き串。 この日のために2週間かけ、みなでこしらえ準備しました。 そして12:00、バザー開始。 開始と同時に、学生さん、先生や保護者、地域の方々がゾワゾワっと 一斉にお店へ! 仲間は大丈夫か!?対応できているか!? と見回してみると。 カゴさん、ユコさん、エイジさん、ひろみさん、りゅうくん・・・ 呼び込み、商品渡し、お金の収受の各係にしっかり分担して、 大勢のお客さんをものともせず、 一致団結してやっているではありませんか!! 仲間の実力を期待していない・・・わけでは全くないのですが、 普段、陶友内ではおのおのの我の強さから ほぼ毎日揉めているみなの姿と比べると すごく新鮮であり、かっこよく、 そして嬉しい気持ちでいっぱいになる そんな光景でした。 ただ、販売がひと段落したその後、 予約受注していたお客さんの商品を違うお客さんへ 「売ってしまった」「売ってない」の押し問答を、仲間同士で起こしていましたが^^; (仕事中にこのようないざこざが起こってしまうのは、 職員側の支援への課題でもあります・・・) でも正直今日の自分には、それ以上に、 みなが声掛けあって力を合わせて販売・接客に励み頑張った その姿が、印象深かったのです。 彼らの「今日は気合入れて頑張ろう!」という みなの一つの思いが具現化した ちょっぴり涙したシーンでした。 |
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(ともくんについて、かくさんとかぶってしまいましたが・・・汗)
今日の午後。 「仕事中関係ない話はせず、マジメに仕事に取り組む」ことについて 食品班終礼で仲間同士、激しく意見交換をしていた時のこと。 参加していた実習中の女子学生さんが 「私たちが来たことで、 (学生が来ることが嬉しく、仲間たちが浮足立ってしまい) だから仕事に集中できないんだ・・・」 と思い詰め、泣いてしまいました。 (そもそも、自分が投げかけた厳しめの意見がもとで泣いてしまったようですが;_;) その後、職員終礼が始まった時、 ロッカーに着替えに行く途中 振り向いたともくんがその学生さんに、 「○○さん、泣かないでください!」 「○○さん、ぼくは明日、演奏会(きっとヘルマンハープの)に 行ってきます!」・・・ 傍から聞くと何気の無い、何だか脈絡のない言葉。 学生さんは皆の目の前でそう言われ、ちょっと恥ずかしそうでしたが。 でもそれは、限りある語彙力を使い 言葉を一生懸命に紡ぎだそうとする彼の、 精いっぱい慰め、励まそうとする言葉だったんだと思います。 ともくんの育ってきたお家をはじめ 関わってきた人々の愛情や、それらを取り巻く環境が いかに豊かで温かかったか・・・ それを表現したともくんの「ヒトを想う姿」でした。 そしてこちらまで 「ともくんって、ステキやなあ」と思ってしまいました。 (自分だったら、泣いてる女性目の前にしてだと なかなか言えなさそうだけど。笑) 仲間たちみんなを取り巻いている「環境」がともくんのようであったら、 みんなにとってどれだけ幸せな世の中になるか。 ひょんなことですが、いろいろな事を考えさせられる出来事でした。 |
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ある日の朝、男子ロッカーのドアが勢いよく「バンッ!!」
食品班の成人なりたて・ダウン症のトモくんの怒りでした。 普段穏やかなのに・・・何かあったのか?! そう感じつつ他の職員に聞くと、 「えいじさんがトモくんに注意してましたよ」 「ともくんに『あと5分早く来ないと遅刻だよ』って。 えいじさんもトモくんと変わらん位に来たのにね」 自分「それはちょっと理不尽だ」と、 作業の合間に少し時間を作り、両者に話を聞くことに。 実は普段から、トモくんとひかりのベテラン・えいじさん(36歳)は 小さなイザコザをよく起こします。 それは、トモくんはえいじさんを「小言をよく言うから、怖い」と思い (実は結構気がきいて優しいんだけどなあ)、 えいじさんはトモくんを「言うことを聞かないからイヤだ」と思う (言い方が厳しめだから、トモくんには言った内容よりも、怖い印象しか残ってないからなんだけどなあ) という、なかなか相容れない、すれ違いによるもの。 いざ両者に話を聞くと、案の定それが所以でした。 怒った内容についてえいじさんが「確かに自分が悪かったです」 とトモくんに謝り、トモくんもすっきり。 一件落着、と思いきや・・・さらに話し続けるえいじさん。 内容は、毎週来てくれるボラさんと先週のリヤカー中に起こした いさかいについて。 ・・・「仕事で挫いて足が痛いんです」 「そのくらい、えいじくんならまだ大丈夫でしょう?」・・・ ほんの些細な内容にも見られますが、 「ボラさんに何が分かるの?なんでそこまで言われなきゃいけないのか納得がいかない!」というもの。 彼の話しっぷりから、どうやらこちらのほうが本題 (不満で伝えたかった事)らしいのです。 「来週お互いの思いを伝えて、誤解を解きましょう」と彼を説得し、 その場の興奮をおさえました。 トモくんはさっきのわだかまりが解けて満面の笑顔でしたが・・・^^; 人はみないろんな人との関わりの中で成長していきますが、 陶友では仲間同士や職員にはもちろん、 ボラさんとの関わりの中にも成長できる種があると考えています。 なので、意見のぶつかり合い(=自己をさらけ出す)があれば、 調整しながらもお互いが分かりあい認め合えるように促しています。 えいじさんにとってはいい刺激となる出来事だったんですが、 トモくんにとっては・・・ 「トモくん、とんだとばっちりやんーー;」 と私自身も嘆きつつ。 次回からのえいじさんとボラさんの心と心の関わり合いに、 しっかり注目していきたいと思います。 |
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先週土曜日、陶友で月1行っているクラブ活動(余暇支援)がありました。
―――作業(労働)には自分なりの存在価値や生きがいは得られても、なかなか作業以外の時間や休日の過ごし方には、自分なりの幅が持てない仲間(障害者)が多くいます。 (休日に仲間たちが気兼ねせず使える社会資源がまだまだ乏しかったり、そんな現状の障害者を理解し受け入れるべき私たち社会側の認知や意識不足も、大きな要因です) そんな仲間たちに、もっと人生を楽しむ幅を持ってもらおう!ここで学んだ楽しさをぜひ休日に取り入れてもらいたい!と、1日を使って取り組んでいます。――― 私たちの班は、当初市内の海釣り公園に行く予定が、悪天のため諦めてすぐ近くのボウリング場でプレイゲーム! 私が普段担当してる食品班のHさんは、別班で、これまた悪天のためマリノアシティ福岡でウィンドウショッピングに変更になりました。 (Hさんは家庭を離れグループホームで共同生活しながら、独立自活を目標に、日々仕事に自身の生活管理に励む36歳。 その生活管理の中でもより高度な知能を要する、先の見通しを持った「金銭管理」。 彼にはなかなかこれがうまくいかず、現在私も協力しながらの管理を行っています。) そのクラブ前日「マリノアでおしゃれ用の靴と、リュックが欲しい」と相談(要望?)が。 彼が買い物分に提示した予算額は1万円弱。 今月あれにも使うしこれにも使うし・・・「うーーん・・・こんなに出して大丈夫か?・・・」 といろいろ考えながらも、本人の靴をおしゃれに履きこなしたいという思いと日頃使うカバンがボロボロになりかけている点も酌んで、当日の朝出金し手渡しました。 朝みなで出発し、そして午後3時。 Hさんたちの班もクラブから帰着。 「石橋さーん、靴とカバン買いましたー」と開口一番穏やかで嬉しそうな口ぶりです。 見せてと言うと、せっせとハイカットのスニーカーとスポーツメーカーの大きめなデイバッグを自慢げにお披露目してくれました。 どちらもおしゃれに使えそうな色とデザイン。 陶友が終わって帰る間際まで、表情もほころび嬉しそうでした。 その表情が、その日の私には、何だかとても印象に残りました。 日々一緒に金銭管理に取り組む中で、 本人の今の要望・収入の残高・将来の目標・現実の生活の感覚・・・ いろんな面から彼のお金の使い方を考えながら、私自身の一人暮らし経験や外からの知識も取り入れつつ、毎回「一番いい使い道」を見つけるため二人で奮闘しています。 そんな中、管理という面では、私は少し彼のお金の出し入れを抑えがちな面があります。 でもそれは一心に「彼がいつか一人暮らしを不自由なくできるように・・・」と思いやってきてのこと。 でも彼にはそれが窮屈でうっとうしく感じる時もあり、よく二人で衝突もします。 しかし今回、仲間や職員数名と一緒に、なかなか機会のないウィンドウショッピング。 気兼ねない仲間と一緒に、品物選びを楽しんだようです。 私自身も、そんな時間とお金の使い方だったら・・・と考えれば、きっとHさんと同じくウキウキになるはず。 Hさんの心満たされた表情や言葉から「こうゆう使い方も大事だな」と改めて感じさせてくれました。 これからも彼の目標のために、衝突もいっぱいすると思うけど、 もっと柔軟に、本当に心豊かで幸せな「お金の使い方」を二人で追求していこうと思います。 |
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7月3日から昨日7月13日までの約2週間、市内の特別支援学校から高等部3年の男の子が実習に来ていました。
事前見学にやって来た時から「食品班がいい!」と希望してたようで、 それを受け入れ、自分にとっては陶友に勤めだして初の実習生フル担当^^; 障害は知的障害で、難しい漢字とかを除き識字もでき、軽くもなく重くもなくと感じる障害程度でした。 いざ実習が始まると、先輩たちの後をつけながらその場その場の動き方を覚えたり、積極的に“何をしたらいいか”と仕事を探し取り組んだり。 何よりも、先輩それぞれのいい面を取り入れて自分なりに 頑張ろうとしてる姿が印象的な学生さんです。 毎日のリヤカー行商でも、元気よくハキハキと宣伝呼び込み・接客。 食品班みんなが「今までの学生さんの中でも、すごい良い」と評価するほどの働きっぷりです。 もちろん、わずかながらに所々仲間と意見のぶつかり合いも起こったりしましたが、それも自然な流れの中での出来事で、特に問題視するような部分もなく。 実習最終日。作業が終わり、陶友みんなから「おつかれさま~!」を贈られ嬉しそう。 そしてその後、本人とお母さん、担任の先生を交えての反省会。 その席でお母さんは「個性の強さ」や「協調性」を案じられていましたが、そんなそれぞれの個性をどのように仕事に活かすか、 その道筋を立ててバックアップしていくのが私たちの役目だし、 協調性に関しても、2週間で感じとった本人の可能性を見てみれば、きっとこれから多くの人と接し揉まれていくことでもっと培われていくはず。 そうお答えすると、お母さんも少し安心されたようでした。 そして話は、卒業後の進路に・・・ 先生もお母さんも、“卒業後「就労移行支援」を2年受けなければ陶友のような作業所には通えない” (=卒業後、陶友のような作業所に直では通えず、必ず就労移行を噛まないといけない) ことを懸念されていました。 就労移行は「一般就労」を視野に入れた支援を行うところ。 もちろん障害に応じた支援は行われるはずですが、 やはり一般企業で使えるかどうかを判定するため、それに即した訓練が基本。 2年間それに取り組み「一般就労難しい」と烙印を押した上で、その下に位置する「就労継続A型」や陶友のような「就労継続B型」という作業所に送り出す、という “制度での「仲間の就労」の一連の流れ”。 その卒業後の2年間、私たちの作業所で働いたとして、どれだけの成長を促せるかは分かりません。 でも、少なくとも彼らを後ろ向きに・崖から突き落とすようなことは決してしません。 私たちでもこんなややこしい流れに沿って仕事を見つけないし、何より、自分に合った仕事を選ぶ自由がある。 それなのに・・・! 冷静に話を伺いながら、国のそんな疎ましい仕組みに怒りがこみ上げていました。 その後、所長からの今後卒業から就労に向けてのアドバイス。 所長が、本人とお母さん、先生の背中をポンと押しつつ、反省会は終わりました。 仲間たちにとって、やりたい仕事・行きたい職場を選ぶ自由が保障される。 今の「障壁だらけ」な障害者政策を見る限り、そんな当たり前の国を目指す道のりは、ちょっと果てしなく感じます。 仲間たちの「働く」について、こんな現状をぜひたくさんの皆さんに知っていただければと思います。 テーマ:障害者の人権・福祉施策 - ジャンル:福祉・ボランティア |
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去る 5月10日11:00より、
私たち陶友や同法人施設の第1ひかり作業所、 第2ひかり共同作業所、あかり作業所、かしはらホームの 法人内障害者施設5か所の仲間・職員計25名が集まり、 西新プラリバ前周辺で街頭署名募金活動を行いました。 去年同時期の西新街頭署名に比べると、 人通りは7割ほど・・・ ちょっとの寂しさと先行きの不安を感じながら、 早速署名活動を開始。 仲間たちは、募金箱にメガホン、 そして「障害者自立支援法」の下での辛い生活の中で 各々に国に・社会に訴えたいこと、 「あんしんしてはたらきたい」 (「働く場=福祉サービス(益)の利用」と捉える 同法の応益負担があるから、好きな作業場でも通えない・ 働けない・・・との思いより) 「障害者も健常者も、同じ人間。 差別しないでほしい。」 (健常者ならトイレにも家事にもモノの視聴にも お金なんてかからないのに、障害者は障害ゆえに それらを援助する活動を使うだけでお金を取られる。 それはおかしい!との思いより) 等々、それぞれ自身で書いたプラカードを持ち 陶友みなでひと際目立つ黄色一色の“陶友元気”Tシャツを着て、 街ゆく人々に署名・募金活動への理解と協力を求めました。 「私たちは、障害者作業所で働く者です。 現在の政権によって、この国の社会保障や福祉は 大きく改悪されようとしています。 高齢者分野や保育分野も、その例外ではありません。 この国の福祉を今よりももっと悪くしないために、 この国の福祉を守り全ての皆が 生きやすい社会を早く実現するためにも、 今回私たちが取り組んでいるこの署名には 大きな意味があります。 皆さまぜひ、日本の福祉を守る今回のこの署名に ご協力をよろしくお願いします。」 (きょうされんが取り組むこれまでの署名の内容や本旨とは 異なる部分があるかもしれませんが・・・) 街ゆく人々に分かりやすく、障害分野はもとより 決して関係なくはない高齢分野や保育分野も含む 福祉分野全体が置かれている現状・動向を伝え、 理解や共感を得てもらうには・・・ そう思いながら考えた、私の言葉です。 各所仲間・職員で拡声器を使いながら それぞれの思いを訴えていき、 その成果もあって12時を過ぎると 署名・募金に協力してくれる方も徐々に増えていき・・・ 12:30活動終了時の結果 署名:45筆 募金:約11,500円 でした♪ 署名・募金の数の多さももちろん重要ですが、 いかに周りの人々に・社会に訴え知ってもらい 共感と連帯を広めていけるか。こちらもとても大事です。 多くの人がそれぞれに生きにくさを感じ出しているここ最近、 より多くの人々に共感をしてもらえたのではないか、と、 わずか1時間半ほどの活動でしたが 確かな手ごたえを感じています。 「仲間たちが生きやすい社会は、 私たちにとっても生きやすい社会」を目指して、 これからもこのような機会はもちろん、 この場にいる皆さんとのつながりや出会いのきっかけを通して 共感と連帯を強める運動に尽力したいと思います。 テーマ:障害者の人権・福祉施策 - ジャンル:福祉・ボランティア |
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食品班で働く今年アラフォーに突入するHさんは、
現在グループホームで共同生活をしながら自立を目指しています。 しかし、余暇の過ごし方になかなか広がりが見られず、 休みはホーム内で過ごしたり、自転車や市内のバスで一人、 レンタルショップや親しい友達宅へ出かける等、 毎回同じようにす日がほとんど。 そんな中、昨年末から「温泉に行きましょうよ~」と本人から 度々のプッシュがあり、私自身の都合もつき、 本人の人生の充実も図るためについ先日、 プチ日帰り温泉旅行へ! 朝倉にある原鶴温泉へ行ってきました。 道中、「実は(こんな風に誰かと)温泉には行ったことないんです」 と明かすHさん。 自分より長い人生の中で、そこそこ活動の自由がきくHさんも まだまだ未到な経験がたくさんあるんだな、と感じ、 もっとたくさん楽しいこと知ってもらいたいなと思った瞬間でした。 他には仕事の悩みや今後の目標などを大いに語り、 いざ現地に着くと早速温泉へ。 男同士の裸の付き合い、「メタボですね~」などと笑いあいながら、 ゆっくり1時間過ごしました。 その後、旅館にて3500円分のお土産を携え(汗)、 昼食を食べに道の駅へ。 約6時間の浮羽紀行でしたが、お互いに楽しめた1日に。 今後もこんな時間を大切にしながら、仲間達の「人生」を充実させる 支援の必要性を考える、良いきっかけになりました。 |
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皆さまにご協力いただいた、第35次きょうされん国会請願署名。
本日これを携えて、工房まるの吉田所長、ottoの岡本所長に同行し、 市内の民主・稲富修二議員と自民・松山政司議員の事務所へ「国会請願の紹介議員のお願い」に行ってまいりました。 (国会請願は、その請願内容に賛同した国会議員により、国会に提出されます。この議員さんを紹介議員といいます。) まず一か所目の稲富修二議員事務所。 中に通され、若い秘書の方が話を聞きます。こちらからは、障害福祉の現状や自立支援法・今回の一部改正法案について意見し、1000筆分の署名や申し入れ文書、各種資料を手渡して終わるかと思いきや・・・ 別の秘書の方が今回の署名の趣旨を聞き、 「毎年されてる請願の署名ですか? 申し訳ありませんが、党の方針でこのような請願署名は受け取れないことになってまして・・・」 最後の最後で唖然と愕然です。 いま自立支援法関係の情勢から? いずれにせよ、 国民の権利である請願権 が党の方針で拒絶されては、 政治に何を頼ればいいんでしょうか。 (基本合意を反故にされ、「何を信じれば・・・」と似た境遇です) 三者、呆れと憤りを感じつつ、次の松山議員事務所に。 二か所目の松山政司議員事務所では、終始”話を聞き、署名を受け取ります”の姿勢でこちらの意見を聞いていただきました。 ・・・民主党さん。 だいたい、誰のための政治なんですか? しっかりしてください!!! テーマ:障害者の人権・福祉施策 - ジャンル:福祉・ボランティア |
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先ほど、きょうされん第35次国会請願署名
福岡支部内での集計作業から帰ってきました^^; ちなみに陶友ですが・・・ 目標6,000筆→現在(2・28)到達5,700筆、 募金は目標30万円→到達19万4,820円! 年頭から本格的にスタートし、2か月でこんなに! これも、心より応援くださった皆さまのおかげです! 本当にありがとうございます!! そして本題の支部内での集計ですが、 現在到達(ざっと概算)が『約25,000筆』とのこと。 (県下の加盟事業所から、支部事務所に送られてきた署名の集計結果です) また正確な数字は後日・・・ 署名用紙の、名前や都道府県の記載の状態をチェック後、 地元選出の国会議員がいる各選挙区ごとに 1,000人分の署名の束をつくりました。 これを持って、3月の国会に間に合うように 地元選出の国会議員へ請願を行っていきます!! この国の福祉を変えねば!!! テーマ:障害者の人権・福祉施策 - ジャンル:福祉・ボランティア |
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みなさん、明けましておめでとうございます☆
昨年は、陶友に勤めはじめ初めて経験することばかりで、 所々でつまずきながらも、多くの方々の叱咤激励のおかげで 一年無事に終えることができました。 今年は公私ともに一歩飛躍の年に!! 陶友仲間職員一同、よろしくお願いいたします!m(__)m 年明けいきなりではありますが・・・ 今年も、第35次きょうされん国会請願署名を行います!! 陶友も加盟する「きょうされん」 (旧・共同作業所全国連絡会)という組織では、 毎年、障害分野での国の施策やサポートの更なる充実を求めて 「国会請願署名・募金」に取り組んでいます! その名の通り”国会に願いを伝え届ける署名”なのですが、 この署名ではこれまで、 最近ではだいぶ増えてきた 障害者のグループホーム制度の創設や 小規模の通所作業所制度の創設 を実現してきた実績があります。 そして今回は・・・ 自立支援法廃止後の新法「障害者総合福祉法」を、 障害がある人々の「当たり前の暮らし・人権を守る」法律として 充実させるための請願署名です! ![]() 今回は(ちょっと読みづらいかも知れませんが) このチラシの内容のように、ポイントを整理して 取り組んでいます。 障害者制度を国際基準にも適応するよう、 いま国は新たに法制度を作り変えようとしています。 しかしそこに「財源がな~い・・・」と、 それに乗り気でない厚労省の方も多数。 そんな、ちょっと勢いが足らないところに、 これまでの実績があるこの請願署名を、 ドーン!と勢い強く届けたいのです☆ そのためにも、皆さん一人ひとりの一筆が とても大きな力を持っています! この法律をよりよいものにすることは、 この国の福祉全般をよりよくしていくことに繋がる!と確信しています。 そんな今回の国会請願署名、 皆さまのご協力をぜひよろしくお願いします!! ちなみに下のURLが署名用紙です! お手数ですが、印刷して集めていただければ幸いです。 http://www.kyosaren.or.jp/35petition/dl.htm また、何筆分でも構いません☆ もし「集まりました!」という方がいらっしゃいましたら、 ぜひぜひ、陶友までご連絡ください^^ またご郵送でも、お待ちしております。 (切手代がかかってしまいますが、 よろしければカンパとしてご協力いただければ幸いです。) 住所は・・・ 〒810-0064 福岡市中央区地行1-15-18 工房陶友 行 です。 皆さまのご理解と温かいご協力を よろしくお願いします!! テーマ:障害者の人権・福祉施策 - ジャンル:福祉・ボランティア |
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12月17日土曜日の朝。
寒空の中、陶友のお隣であり、プレハブ時代以前からずっとお世話になっ ている、伝照寺さん主催・冬恒例餅つき大会に今年も参加しました! 若住職さんがこの餅つき大会を担うようになって、今年で3回目とのことです。 (でも、3年ほど前から陶友にボランティアで通っていた私は、まるまる参加は実は初めてです) この餅つき大会では、伝照寺さんをはじめフリースペースおーぷん、地行地区のみなさん、宅老所よりあい、陶友などなど、それぞれにつながりのある方々も誘っていて、参加者は私たちも含め30名近く☆ (ちなみに陶友は、陶芸班と紙すき班の仲間6名+職員2名で参加!) そんな“ご近所交流”を通して、よりお互いを知り絆を深めることもできます。 まずは、9時半よりお寺の本堂にて「おつとめ」がありました。 ここでは、人間として“生きる”ことについて、 子ども達にもわかりやすい「アンパンマンのうた」のフレーズを使ってのお話。 「♪何のために生まれて・何のために生きるのか・分からないまま終わる・そんなのはイヤだ」 本当は自分は何のために生きているのか・・・ 大人たちでさえ見失いそうになるこの世の中。 アンパンマンは自分の顔を分けてまで、周りの人の命や幸せを守ろうとする。 そんな「繋がりあって支え合って幸せを共有する」ことこそ人間が人間である本当の意味であり、それを基に持って力強く生きていってほしい! そんな気持ちのこもったお話でした。 そのあと、お経を皆さんで読んだ後、陶友横の境内にセッティングしている餅つき会場へ☆ ![]() 火の番をされていた奥様方によって、もち米が蒸し上がっていました。 (そして、ふと隙をついて、蒸し上がり確認用に取っていたもち米を狙っていたトノがパクっ!満足して陶友に帰っていきました・・・笑) これを濡らしていた臼にあけ、杵で手早くしっかり捏ねます。 ![]() まとまってきたら、餅つき開始! ![]() まずは大人から・・・仲間もしっかり参加☆ 冷めすぎないうちに手早くついて、米粒をなくしていきます。 つぎに子どもたち。 「やりたい!やりたい!」と元気いっぱい。でもいざつき始めると、緊張しちゃう子も^^ そして、まとまりをつけて仕上げです。 私とじきょうさんも餅つき。 私は持久力の無さがたたって全く役に立たず・・・:_: 一方のじきょうさんは体力十分! ![]() 「イチ!ニ!イチ!ニ!」 よりあいの職員さんと共に連続で何合分もこなす彼に、子ども達や奥様方、そして陶友の仲間たちからも声援が上がります☆ ちなみに途中より、我が陶友の所長も参戦! それぞれにつき方・捏ね方を指導していただき、また私たち職員2人の時よりも一気に活気づきました^^; 出来あがったお餅は、テーブルに片栗粉を敷き待機している奥様方のもとへ。 素早くまるめ、白餅・あんこ餅・きなこ餅・大根おろし餅などなどに仕上げて、振る舞われました☆ ![]() そしてその横では、伝照寺さん手作りのちゃんこも! 鶏肉やレバー、大根、にんじん、キャベツなど、こちらも寒い冬にスタミナが付きそうな一品です。 皆さん、それぞれの受け持つ作業をこなしながら、しっかり食べているよう♪ 最後の餅つきは、若住職さん、坊守さん、若坊守さんで☆ ![]() ![]() 坊守さん、さすがです・・・とても手慣れた動きでした! 寒空の下、賑わいと熱気に包まれながら、12時半になり餅つき大会は閉会へ・・・ 今回の餅つき大会、私は初めて参加したのですが、何だかとても久しぶりに体を動かすことの楽しさを感じました。 餅つきに関しては、小学校高学年以来の15年近くぶりの餅つき・・・久々すぎて、新鮮さも感じました。 そして何より、陶友としてこれまでお世話になっている方々への感謝の気持ちを込めて、微力ながらお手伝いさせていただきました。 陶友がプレハブ時代よりももっと前から作ってきた我が所長と伝照寺さん、地域の方々との“強く深い絆”を感じつつ、 今度は私たちの世代で、皆さんとの繋がりを深め、また新たな繋がりを作り広げていく・・・ この地域で働く上で、その楽しさと大切さを強く知ることができた餅つきでした。 以上、2日経った今、筋肉痛がピークのいしばしでした!;_; テーマ:誰もが住みよい街つくりv( ^-^ )v - ジャンル:福祉・ボランティア |
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本日11月13日、10時から
福岡市中央区の舞鶴公園にて 「さよなら原発!福岡1万人集会」 が行われ、私たち陶友の職員も参加してまいりました! 集会の主な内容は・・・ 10時から13時まではオープニングとして、 沖縄エイサーのステージや 福大や九大などの教授の方々を招いてのシンポジウム、 そして、13時からは集会本番として 今回の集会の呼びかけ人挨拶や集会宣言などが行われ、 14時からは、3コースに分かれ約3時間かけて 舞鶴公園から天神までをデモ行進。 私たちは、13時の集会の開会式から参加しました。 ![]() 集会中には、政党として“原発反対”を掲げる 日本共産党の志位委員長と社民党の福島党首からのメッセージも発表され その応援の言葉に、会場の参加者たちの士気も高まります。 そして、この集会の実行委員会事務局長による集会宣言・・・ の前に、本日の集会参加者数の発表が。 正直、「1万人も集まるかなあ・・・」と 現地に到着するまでとても不安だった私。 事務局長より、 ![]() 「集会参加者は1万5000人を超えました!!」 この一言で、会場は大きな拍手に包まれました! 私も拍手をあげながら、 想像以上の参加者の多さについつい 「おおーー!」感嘆してしまいました^^; そして、プログラムは「集会宣言」へ。 (ブログの最後に載せています。 ちょっと長いですが、ぜひ読んでいただければと思います。) 皆静かに宣言に耳を傾けるこの間、 私もその言葉の節々に鳥肌を立たせるほど 強く共感しながら、聞いていました。 そして集会は閉会し、原発反対への強い思いを持ちながら そのままデモパレードへ。 昭和通り、明治通り、国体道路の各コースに分かれ、 天神に向かって練り歩きます。 私たちは明治通りコースに参加し、シュプレヒコールを上げながら 街中の人々に訴えていきました。 ![]() 「原発いらない!」「電気は足りてる!」 「子どもを守ろう!」「世界を変えよう!」... 所々で、すれ違う方に笑顔で見送られたり、 コールに拍手でテンポをとって同調してくれる方がいたり^^ 天神まで約3時間かけてのデモ行進は、 参加者や団体それぞれで「お疲れ様!」と 清々しい表情で各々をねぎらい合いながら、終わりました。 「原発をなくすためにも、 何か私たちも行動を起こさなきゃ・・・」という思いに駆られ、 この社会を何とか良くしたいと集まった1万5000余りの人々。 学生時代に原発に興味を持ち、様々な事実を知ってから 《知らずに原発容認⇒反対》に変わった私も、その一人です。 それぞれの源には、わが子の健康と幸せのため、わが町の未来のため、 大企業言いなりの原発推進を止めさせるため・・・などなど それぞれ多様に熱い思いがあって集まったわけですが、 集会・デモ行進を通じて、 それぞれの「原発反対・廃炉」を求める気持ちを 一つにすることができたように思います。 もちろん、これで満足して終わらせてはいけません! それぞれの熱い思いと今回の成功を活かして さらに大きな力にしていき、 国民の命を軽視し金儲けに走る原発を この国から抹消しましょう! これからも、私にも・私たちにもできること(社会活動)に 積極的に参加して、「こんな小さな力でも社会を動かせる」という 実践を多く経験したいと思います。 集会宣言 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波によって、東京電力福島第一原子力発電所は大量の放射能を環境中に放出する大事故を引き起こしました。放出された放射能は、放射性セシウム137換算で広島原爆168.5個分とも言われています。大地も水も空気も放射能で汚染され、多くの人々が被曝する事態となったのです。 東北地方太平洋沖地震は天災でした。しかし、福島原発事故は明らかに「人災」です。国土面積が地球上の0.3%しかない日本に、地球の全地震のおよそ1割が発生するこの日本に、54基もの原発が存在するという厳然たる事実の前に、政府や電力会社は原発の過酷事故は起こり得ないと「安全神話」を振りまいてきました。しかし、1979年アメリカのスリーマイル島原発事故、1986年旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は私たちに原発は事故を起こすこと、ひとたび事故を起こせば、その被害は甚大であることを教えました。また日本においても2007年7月、マグニチュード6.8の新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発全7基がすべて運転停止に追い込まれるなど、これまで原発の危険性については十分な警告が出されてきました。そうした警告に耳を貸すこともなく、事故や災害の想定を過小評価し本来とるべき対策を怠ってきたことが、今回の原発事故の最大の原因であるといえます。 こうした状況の中で、多くの市民の「もう原発はやめよう」という切実な声を背景に、私たちは、九州・沖縄・韓国に住み、そこにくらしている市民として、脱原発の一点で一致する人々が声をあげるための集会を準備してきました。この間、各地から賛同と激励の声が寄せられ、大きく運動は広がっています。 この集会の目的は、①現在世論調査などで示されている7割の脱原発の意思をゆるぎのない、継続的なものとすること。②韓国・アジアの人々にも呼びかけながら、日本に住む人々の多数の意志を示し、脱原発の大きなうねりを起こすこと。③幅広く、既存の団体・個人の結集をはかるとともに、これまで原発を容認してきた人々へも参加を呼びかけるなど行動を広げること。④今まで交流のなかった団体・個人が集会を通じて交流する機会とし各団体個人が相互に励まし合い、今後の自らの取り組みの力ともすること。⑤原発推進の政党・政治家は全市民の支持を失うという状況を作り出すことです。 今、九州電力の「やらせメール」問題を契機に、電力会社と立地県・市町村との「緊密な協力」関係や、規制当局であるはずの原子力安全・保安院自らが電力会社を指導し、原発推進の世論形成を推進してきた経緯が明らかになるなど、日本の原子力行政は根底から揺らいでいます。 福島原発事故は未だその原因は不明のままです。原子力安全委員会は事故の教訓をふまえ、安全設計審査指針や耐震設計審査指針、防災指針などを見直すことを決めました。従って、現在行われているストレステストは、テストの前提となる耐震設計の想定自体が根拠を失っており、テストに合格することが再稼働の前提となり得ないことは自明の理です。 二度とふたたび悲惨な原発事故の悲劇を繰り返してはなりません。私たちは今日、ここに集まった1万有余の意思として、すべての原発の廃炉を求めます。 2011年11月13日「さよなら原発!福岡1万人集会」参加者一同 テーマ:原発事故と放射線被曝 - ジャンル:福祉・ボランティア |
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今週火曜日から木曜日までの3日間
「職場体験実習」ということで、近隣の中学校から 2人の中学生が、陶友に実習に来ていました。 2人とも、中学校の特別学級に通っている子です。 言語によるコミュニケーション(受け答え)は可能ですが、 知的障害の程度としては中程度のようでした。 1人の子は、3日間とも食品班にて実習。 初日はリヤカー準備・販売を、先輩である仲間たちと務めました。 仕事に取り組む姿勢にやる気は十分感じられるのですが、 興奮と不安感からなのでしょうか、 初日から仲間や職員に質問の嵐です^^; 「○○さん!一緒にリヤカーの準備をしてもいいですか!?」 「いしばしさん!豆腐を持って行ってもいいですか!?」 ・・・・・ 仲間たちはみな、それに素直に正直に受け答えます。 私は、質問内容によっては情報の取捨選択をしつつ、 必要な情報は答えて伝えようと努めます。 仲間たちはそんな質問の嵐に、 戸惑ったりちょっと嫌になったり・・・ それでもかわいい中学生の子たちに、 「普段慌てたり怒ったりふざけてしまったり、 という姿は見せまい!」 「かっこいい、仕事ができる先輩の姿を見せたい!」 ・・・と思ったかどうかは定かではありませんが、 (いや!思っててほしい!) 仲間たちがそれぞれ、 中学生を、そしてお互いをフォローしながら いつも以上に落ち着いて一日作業に取り組んでいました。w゜o゜w 特に、カゴサン。 彼は、普段は温和でお調子者、とても面倒見の良いおじさん。 でもほぼ毎週の公休日明けはそんな穏やかな面が崩れることがあり、 その日のリヤカーが出発するまで 「(リヤカー販売に)さっさと出るぞ!」 (“準備が遅い”とイライラする。 でも工程時間としてはいつも通りだが・・・) 「○○さん!ちゃんと人の言うたこと守ってくれな困る!」 と気が荒れ、暴言が出たり、 ひどい時には自傷(自分の手を噛んだり、柱に頭突きしたり) が起こることも。 その原因の一つは、カゴサンの週末の過ごし方。 これまでずっと、親御さんや兄弟たちから自分の存在価値を 理解し認めてもらえない家庭環境の中、育ってきたカゴサン。 友人をたくさん作ったり遊びに出かけるという時間も、 家事や親御さんの介護でほとんどないようです。 週末を、そんなお家で過ごしたことによるストレスが一気に溜まり、 陶友に来て、リヤカーで懇意にしているお客さんと関わることで 自分を解放させ、自分の存在意義を再認識します。 そして、いつものカゴサンに元戻り☆ ・・・というサイクルが珍しくないのですが、 そんなふうに気が荒れたり、 「おれが主役!」と出しゃばりたがることが多い 公休日明けの日。 しかし職場体験初日のカゴサンは、 朝の陶友内でのリヤカー準備から最後の終礼まで 始終、一歩引いた落ち着いた姿でした。 リヤカー販売中も矢継ぎ早に質問を投げかける学生さんに、 冷静に穏やかに指導を行います。 「○○くん、 豆腐(お客さんに渡す時)は両手で持つんよ~」 (次は道を曲がるか?どこに行くのか?という質問に、) 「次は右に曲がります、××さんち。^^」 「ビニール袋は、 お客さんや職員が“いる”って言うたときにね(言った時に使ってね)」 文字なのでニュアンスは伝わらないですが^^; でも明らかに、仲間たちだけの販売時とは違った、 「教え育てる立場としての穏やかさ」でした。 そして私自身、 休み明けのタイミングでこんなカゴサンを見られたのは 初めてに等しく・・・ とても珍しく、また心が温かくなる光景でした。 右も左も分からない、はじめての仕事を体験する子と過ごすと、 仲間たちの様子や取り組み方ってこんなに変わるんだ・・・ 広く言えば、 人の力で、仲間たちは自主的にこんなに変わるんだ! という事実を目の当たりにできました。 障害がある人たちの “発達の可能性”というものをずっと諦めきれない私に、 更なる希望を感じさせてくれた3日間☆ 「何か少しでも、日々の支援に生かせればいいなあ・・・」 と心底思いつつ、 職場体験が終わり、いつもの日常に戻った食品班で いつも通りに奮闘するいしばしでした^^; |
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先週、月一の定期検診にかかりつけの内科に行ったときの事です。
ながーい診察までの待ち時間、何か読み物でも・・・と思い周りを見渡してみると、近くに糖尿病に関する情報誌が。 (日本糖尿病協会が月1回発行している、 糖尿病生活を楽しく送るためのノウハウが載っている雑誌です) 表紙の記事見出しを注目すると、 「災害時の糖尿病医療~東日本大震災をうけて」 職業がら被災した障害者に関しての情報を得たり知ろうとする機会は多くとも、被災した糖尿病患者に関して、正直、意識していませんでした・・ そんな自分、見出しを見て「読まなければ!」という衝動に駆られ、 手に取って読んでみました。 内容としては、(大まかですが・・・) ・患者が重症化しないために、対応できる医療機関や治療薬の確保を国レベルで取り組むよう、震災直後から関係団体が国に強く働きかけていたこと (災害時の国との連携について) ・それでも震災直後すぐには、それらを万全に行き渡らせることが難しかったこと (今回の震災対策の課題等) ・今回、特にI型糖尿病患者の災害直後による治療不可能な状態を避けるため、糖尿病協会・糖尿病学会等で全力を挙げて取り組んだこと (注射薬の確保等、評価点) これらの内容についてのシンポジウムの様子が、 4ページにわたって掲載されていました。 糖尿病協会や学会、製薬会社関係者など5名ほどのシンポジストの方々のうち、お二方が 「震災後、まず被災地のI型糖尿病患者のことが気にかかった」 と、真っ先に話されていました。 その理由なのですが・・・ I型糖尿病・・・自己免疫が膵臓のインスリンを出す細胞を破壊し、 インスリンが全く出なくなる(原因は不明で、発症に生活習慣の良し悪しは関係しない) II型糖尿病・・・生活習慣によって膵臓を酷使したり疲弊させたため、 インスリンの分泌量が減る。しかし多かれ少なかれインスリンは出ている その他の型の糖尿病も、発病に至る何らかの原因があり、膵臓からの インスリン分泌が少なかったり極端に減ることで糖尿病の診断が出る という分類のなか、 投薬しないと確実に死のリスクが高くなるのはI型だからなのです。 1日中全く注射をしなければ、早くとも2~3日、遅くとも1週間以内には過度の血糖値上昇で死亡してしまいます。 しかし実際には、糖尿病協会・学会等の方々による迅速な働きかけのおかげで、患者の皆さんへの影響はほとんど無かったようです。 (本当に何よりです・・・) そのあとの管理栄養士の方との栄養指導の時にも、この話題に触れました。 「やはり注射薬のストックは必要で、何か起きた時にすぐ持ち出せる場所に置いてたほうがいい」 (ただ、この薬価格が高いので、ストックできるほど貰えてないのが 現状ですが・・・;_;) 「今回の震災支援で届いた食糧の中には即席のカップ麺も多かったようで、これでは塩分の摂りすぎになるし栄養も偏る。常備できるレトルトや缶詰ものもあったほうがいいわね」 日常的に血糖値が高く尿糖が出やすい糖尿病の人は、それだけ血中の老廃物を濾しだす腎臓にも負担をかけているため、腎臓にも障害が起きやすい。 そんな状態で今回の震災、糖尿病の人たちにとって、やはりカップラーメンばかりの生活を強いられるのはかなり辛いんじゃないかな・・・と感じます。 でも一方で、いざ目の当たりにすれば 「生き残れただけ幸せなんだから、無理は言えない・・・」 と思ってしまいそうな自分。。。 いつもは何気なく受診で待ち合うひと時も、 今回は違い、いろいろと考えさせられました。 自分自身にも深く関係する今回被災した患者さんの事も、 あまりに知らなすぎたし、 それ以前にあまりにも無関心だった自分を恥じてしまいました。 こんな大きな災害に、自分も遭うかもしれないし遭わないかもしれない。 でもどうであれ、知って、身近に考え備えることが、 自分も周りの人たちも救うことに繋がるはずです。 (そして、そんな行動が仲間たちの支援にも繋がっていくはず!) もっと身近にアンテナを伸ばし、 もっと知ることに貪欲にならなければ!! と感じる今日この頃です。^-^; |
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今年度のひかり法人の職員研修では、日本の社会保障や医療について学び、考える。テキストとして『医療・福祉政策のゆくえを読む』(伊藤周平・著)を用いて、この国の社会保障の仕組みや国の方針、そして様々な面での脆弱性を学んでいく。その上で、どうすれば社会的弱者をはじめとする国民が心身豊かに生きれる社会が実現できるのかを考え、その実践力の基礎にしていきたい。第1回目の今回は、第1章の内容(日本における社会保障の機能不全・社会保障政策の課題について)を用いた。
・ヘルパーステーション 男性職員によるレポート「私の生活から見える社会保障」 彼は、ひかりに勤める以前の自身の生活から見た社会保障と、ひかりに勤め福祉を提供する立場から見た社会保障に関してのレポートを発表。ひかりに勤める以前の所謂派遣の仕事に就いていた、生きる事だけで精一杯だった日々の体験と、自分たちを守ってくれる「社会保障」の制度や施策を知る術を知る機会すらなかった現実を明かしていた。 その後第1ひかりに就職後、同法人のヘルパーステーションの責任者に就任。日々の業務の中で、政府や自治体の社会保障に対する消極性を痛感している。 ・あかり作業所 女性支援員によるレポート「子育てをしながら働くわたしの生活を振り返って」 彼女は、労働と子育て、そしてそれを取り巻く社会・制度や職場環境に関してのレポートを発表。母親の立場としての、育児や保育に対する強い不安感、夫の失業時に経験した行政や制度によるサポートの薄さ・不満等を述べていた。 ・テキスト解説 社会保障政策の現況 法人理事による『医療・福祉政策のゆくえを読む』の解説は、「国の新自由主義と社会保障の考え方・政策」を中心に進められた。進められる社会保障の改革・破壊は、すべては「財界の利益を優先」させるべく行っていること、社会保障分野の民営化を推し進め企業に参入させたい意図があること等、国の「福祉で利益を得られる世の中にしたい」思惑が見て取れた。 ・ルポルタージュ「原発頼みは一炊の夢か―福島県双葉町が陥った財政難―」 福島第1原発がある福島県の自治体の、原発マネーに頼った結果の繁栄と衰退、そして脱却・再生の様子を知ることができる内容。自治体やその住民に、危険なものでも“納得させる”国の汚い策略を知ることができた。 今回の法人研に参加して・・・ それぞれの職員からのレポート報告は、若年の労働世代、出産子育て世代の各視点を持った経験談であり、働き始めの自分にとっては未だ経験しておらずなかなか実感することもできない。派遣労働者の生活の実態とその思い、子育て世代の身分・生活保障や保育に対する不安の多さ等は、これからの人生の考え方・行動の仕方に非常に参考になった。また、「私たちに関わる制度を活用するには、どう意識を持ち生活していかなければならないのか」、「制度は“自分たちから使おうとしなければ意味のないモノ”」ということを、両職員の話を聞き、強く感じた。 また、法人理事による「政府・新自由主義と社会保障」の解説は今回第1章部分だけだったが、社会保障分野での国策における数多くの問題点と、その至る部分に見られる財界との癒着を知ることができた。財界の意図を反映した「総合合算制度」の詳しい仕組み、子育て世代(親子)の貧困孤立化などの現実はこの研修に参加するまで知らず、自分の学びに対する好奇心がまだまだ足らないと痛感した。また、これらの国家レベルでの課題も、必ず私たちの生活に直接関係してくる。それを政府に突きつけ改善させるためには、まずはもっと知って深め、それを皆に広げる力にすることが大切だと感じた。 「原発頼みは一炊の夢か」では、読んでいくにつれて、ここでもあからさまな米国や大企業優先の癒着が見て取れた。中でも、税収の少ない弱い自治体に“税収増・原発設置地の固定資産税や電源交付金”等甘い謳い文句を並べて惑わせるという「国策」は、不完全な技術に自信が持てない裏返しなのだと分かった。「このまま国民ばかりコケに扱われてたまるか!」という憤りが、読んでいる自分にこみ上げてきた。 今回の研修を通して、表向きではなくその裏、本質的な部分を見抜く力が、私たちにはまだまだ足りないと思う。この「社会保障と国の思惑」に関する学習を通して、それらを磨いていきたい。 |
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暦の上では、もう秋ですね。
皆さま、残暑お見舞い申し上げますm(__)m 陶友では、仲間たちも夏季休業(お盆休み)に入りました。 お休みに入る前日の11日は仲間たちの作業は午前中のみにして、 お昼ご飯の前に、上半期の反省会を全体で行いました。 仲間たちにこの半年間を振り返ってもらったのですが・・・ 「(上半期の打ち上げで)バーベキューに行った。 初めてバーベキューをしたけど、楽しかった~」 (↑ この打ち上げの様子・内容は、後日追ってアップします!;) 「クラブでパンを焼きに行った(“ナン”焼き体験のこと)のが楽しかった!」 「(これからも)絵付けをいっぱいがんばります!」 仕事に、余暇活動に、イベント事に、と 振り返って思うことも多種多様です。 (でも基本的に、楽しかったことの発表が多かったです。 クラブや打ち上げなど、職員としても皆に楽しんでもらえて何よりです!) 反省会後には、お盆休みの予定を話す仲間たちもいました。 連休中に家族と出かける人や 仲間同士で遊ぶ人、 家事をしなければならず、遊べない人など・・・。 皆が皆、“楽しい連休”とは言えず 悲喜こもごもといった雰囲気のなか、 仲間たちは作業と昼食を終え、帰っていきました。 職員も夏季休業に入り、 県外の実家に帰省する者、福岡にとどまり仕事をする者、 これまた様々です。 私はといえば・・・ 地元に帰り祖母の墓参りをし、本を読んだり、洗車したり、 班の仕事に少し取りかかったり、寝たり・・・ きっと、たなかさんやじきょうさんは 地元の友達と楽しく過ごしているんだろうな~と思うと、 私は休暇のすごし方が貧困だと痛感・・・ (疲れを取るための休暇でもあるので、もちろん有難いものなのですが^^;) そんな余暇貧困な私。 お盆休み明け、きっとあちらこちらから 楽しかったお盆休みの会話の嵐に遭う気がします。笑 でも、仲間たちそれぞれからどんなお土産話が聞けるか とっても楽しみです☆ |
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以前にも書いたのですが、
私はⅠ型糖尿病(インスリン依存型糖尿病)という病気に罹っています。 発症したときからいわゆる末期の糖尿病の状態なので、最初から自己注射、 自己血糖測定・管理をし、それを続けて14年ちかく経ちます。 (生活習慣から罹る人はだいたい、初期や急性期から(無投薬)→(経口薬)→ (自己注射)というように、重症化するごとに治療内容が変わっていきます) とくに自己血糖測定は、食前食後と就寝前にするのが好ましく、 意識が無くなってしまう「低血糖・高血糖」状態を避けるためにも、できるだけ 測って把握し、安心して仕事ができるように心がけています。 最近では、ちょっと血糖値が気になりだした所長の血糖も、何度か測ってます。 (保健師さんみたい?笑) 私の病気は、国により小児慢性疾患に指定されていて 本人がいる世帯の収入に応じて、公費負担により医療費の全額免除か 一部自己負担で、通院(入院)治療を受けられます。(応能負担) しかし、これが少しネックなんです・・・ “小児”と付いてることもあってか、 公費負担は20歳になる誕生日までで打ち切り。 (こうなる以前は、18歳になる誕生日まででした。私が19になる直前、 私の知らない間に20歳までの公費負担の延長が決定・施行されました。) “18歳まで”の時期は、当時定時制の高校に通いながらバイトをし、 延長決定が決まる約1年間、そのバイト代から病院代を払っていました。 (3割負担) また、“20歳以降”では、私が専門学校を卒業し就職したのが23歳になった 翌年の4月なので、3年半は奨学金や訪問・ガイドヘルパーのバイト代から、 毎月医療費を捻出。 (3割負担) そして現在、就職し被扶養者から外れ、健康保険証を新たにもらいました。 (もちろん3割負担) 1か月間、薬に少し余裕を持って体調管理をし 日々過ごすためにかかる私の医療費(診療代・薬代)は、 3割負担で1万5千円/月は確実に超えます。 (糖尿病に係る医療費のみです) ただ、この病気は、現在の日本では すい臓の臓器移植以外は完全治癒はしません・・・ しかも、聞いた話では「すい臓」の移植は拒絶反応が強いらしく・・・ (「すい臓」・・・(少し分かりやすく言うと・・・) 摂取したブドウ糖をエネルギーに変え血糖を下げるホルモンを作る臓器。 ここが侵されてホルモンが出にくくなり、 血糖が下がらず余分な糖が尿に出てくる。 これが「糖尿病」です。) すなわち、一生付き合わなければいけない病気なのです。 先ほどお話ししたように、 小児期に罹ったこのような疾患は成人期になっても治るはずもなく、 月々確実に1万5千円はかかる医療費を(手術しない限り)一生払い続ける・・・ 極端に言えば、「払えなければ死ぬしかない」 ということと同じですよね。 生活保護(医療扶助)もありますが、現役で働ける今の私には現実味がなく・・・ 私に限らず皆さんもそうだと思いますが、 医療費がかかれば病院にもなかなか行きづらくなります。 (もちろんその前に、病気にさせるような現代の「会社の働かせ方」にも 問題があるものですよね・・・) そして、必要最低限の受診しかしなくなり、重症化してから受診する羽目に。 という悪循環の繰り返しです。 また私の場合、治療に使う薬品も、 モノによってはひと月にもらえる数の上限があり、 それ以上もらえば全額負担に・・・ (例えば、自己血糖測定器用の試験紙はひと月に25枚入りを 5つまでしかもらえず、それ以上もらうと1つあたり2400円の全額負担です。 先にも書きましたが、 1日6回は血糖測定をしたいのですが、ひと月保たせるために帳尻を合わせ、 切り詰めています。) 私のような持病がある人たちや体が資本の労働者にとって、 「予防医療」なんて夢のまた夢のような現状です。 もちろん、今の医療制度や健康保険制度では、 労働者だけでなく、子ども、お年寄り、障害のある仲間たちにとっても 「健やかに生きられる国」ではないと思います。 「いまの日本には予防医療を実現する気はないのかな・・・」 「いつか、こんな『健康に生きることもできない世の中』を 何とかできないかなあ・・・」 (「所長の血糖値、下がってほしいなあ・・・」) と、病気と向きあう日々のなか、つねづね思う石橋でした(;_;) |
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ご無沙汰してしまっています;;食品班の石橋です。
とても暑い日が続きますが、皆さん体調など崩されていないでしょうか? 去る7月22日、福岡市天神でヤマト福祉財団主催「障がい者の働く場パワーアップフォーラム」という、障害者作業所職員向けの研修会があり、我が陶友の職員3名で参加してまいりました! ほぼ毎年開催されるこの研修会は、主に“障害のある仲間たちの工賃アップの実現”を軸に、「職員として何をどのように取り組めばいいのか」を考えさせてくれるセミナーです。 そのセミナーの様子をレポートとして報告させていただきます☆ 1.基調講演・・・ヤマト福祉財団理事長による 「稼げる作業所への道―しくみや組織を変えると考え方や行動が変わる―」 講演は、まずはヤマト福祉財団の紹介から。 今回のフォーラムを主催したヤマト福祉財団は、皆さんもご存知のヤマト運輸(株)が母体です。 (恥ずかしながら、今回のフォーラムに参加するまで知りませんでした・・・。) クロネコヤマトの「宅急便」を開発、成功させた当時の社長・小倉昌男氏が、社長・会長と歴任後それを退く際に、個人資産の半分を寄付し作られた財団だそうです。 (2.以降に出てくる「小倉昌男賞」のネーミングは、その功労を称えたことが由来です。) このヤマト福祉財団は、「福祉」と付いてはいますが、「障害者の自立と社会参加」の活動のみに一点集中して支援(障害者の仕事場(パン屋)創設やメール便配達による雇用創出、民間作業所への助成・職員の育成研修、障害者への奨学金事業等)をしています。 それも、ヤマトグループが企業理念の一つに「障がいのある方の自立支援」を掲げていることによるものとのこと。 (なぜ「障害者」に重きを置かれているのか、その所以は知られず仕舞いでした・・・。) そしてお話は、表題にもある「仕組みや組織を変え、意識や行動を変えていく」についての内容に。 理事長によるこのお話は、実際にヤマト運輸の企業の実践を踏まえたものでした。 売上増→工賃増を目指すために・・・ ①まず、思い切って仕組みや組織に目を向け、変えてみる。 (これは、ヤマト運輸が当時、それまで行っていた大口輸送(大企業→大企業)の需要が伸び悩み、小口輸送(個人→個人)に目を向け結果成功に至った実例を元に) ②職員のマインド(意識)が変わる。 ③職員の行動が変わる。 (ヤマトでは、営業所や社員の評価をわかりやすく数値化し全営業所へ通知する仕組みにしたことで、従業員のしっかりせねば!という意欲向上に繋がっているとのこと) ④結果が変わる。 ・・・という流れで、職員が一丸となって行動を起こし取り組んでいくことが重要とのことでした。 これらを実践し実際に売上・工賃共に増加した各地の作業所紹介をしつつ、理事長は「地域に多く存在する大体の作業所は、競争力は強いのに、仕組みの変革・意欲・工夫が足らないんです」と厳しく評価。 加えて「『福祉的就労だからこの程度で・・・』は絶対タブー。また身内や顔見知りだけで繋がっても、初めはもつかも知れないがすぐに飽きられます。」と、広く多角的な視点をしっかり持ち顧客の繋がりを強いものにしていくことが大切だ、とも語られていました。 2.小倉昌男賞受賞者講演「売れる商品やサービスを生み出すしくみ」 講師は、東京・武蔵野市にある作業所の施設長の方。 この施設では現在、ダイレクトメール封入発送作業を主要業務として利用者1人あたり7.5万円の工賃を実現しているそうです。 取引先は主に一般企業ということもあり、「出来ばえはもちろん、納期を厳守することが重要。経済活動は結果がすべてです」としきりに申されていました。そこでこの施設の職員はみな、施設内では利用者の支援、外(取引先や訪問先)では業者としての営業業務に携わっているとのことで、日々二つの顔を持ち働いているということでした。 また、「一般企業に親との連絡帳なんて無い」と、今まで行っていた家庭との連絡帳交換や家族会の運営をやめ“利用者と親御さんとの精神的分離”を促す等、施設内の改革(仕組みや組織を変える)を行うことも辞さなかったからこそ、今の売上高・工賃高が実現できたそうです。 そのような施設運営を伺う中で、利用者や職員の「はたらく」に関する考え方の中に・・・ ・大変なこと、我慢したこと(ストレス)を乗り越えると成長する ・家族でもない、友人でもない第三者と関わることで成長する 私自身、この2つには率直に共感しました。 (自分が未だにできてないからかも知れないですが・・・。) 3.わかりやすい時流講座・・・きょうされん常務理事・藤井克徳氏による 「どう変わる障害者基本法、ポスト自立支援方のゆくえは」 障がい者制度改革推進会議の議長代理を務め、また著書「見えないけれど観えるもの」で有名なきょうされん理事・藤井さんによる、現在の我が国の障害者関連の情勢報告。 障害当事者と国による障害者自立支援法違憲訴訟に伴う基本合意に基づき進められている、障害者基本法の改正や総合福祉法の制定についての評価と残された課題について、その詳細報告がありました。 また情勢報告の中で、先日の東日本大震災で被災した障害者作業所の復興状況や、被災地で暮らす仲間たちの心身の様子等の報告も、写真のスライドつきで行われました。 そしてその後、これまでの講演を振り返り、ヤマトグループの功績や工賃アップ実現に努力する各地の作業所の取り組みを評価した上で、「低賃金の改善はもちろんのことだが、障害の重い仲間たちの労働の保障も忘れてはならない大きな課題」であることを強調されていました。 --------------------------------------------- 今回私は初めて、このような大規模なセミナーに参加しました。 福祉従事者として、なかなか一般企業・経済界に通用する考え方や行動力がついていないこともあり、お話の内容ほとんどが新鮮で勉強になることが多くありました。 例えば、ヤマト福祉財団理事長の“売上増を目指すための「仕組みや組織を変え、意識や行動を変えていく」”という実践について。 障害福祉分野は、それまで積み上げてきた周囲との繋がりや経歴を大切に、そこから新たに発展していこうと模索している施設が多いように思います。 その突破口を開くにはいくらかの思い切り(改革)は必要で、そのためにも一点集中的ではなく、多面的・広角的に現実を捉え変えていく意識を常に持ち続けることも大切だと、改めて知りました。 また、“「仲間が作ってるんだから買ってあげよう」と思わせる売り方や身内だけの繋がりで留めても、すぐに飽きられる”との指摘も、的確だなと感じました。 最初はもちろん保護者の方々や施設を支援いただいている方々のご協力による出発なのですが、そこから周辺地域から広域の方々へ評価・口コミが広がって、お客さんを徐々に定着させることが売上UPには確実だと、私は常に考えています。 この「口コミ」を広げるためにもまずは常連のお客さんを大切にしながら、またそこから新たな繋がりを作っていければと思っています。 そのためには、陶友で一丸となって“陶友=コレ!”というような目玉商品を創出し、新たな魅力を生んでいくことが必要です。 (まだまだ、内容としては漠然としていますが^^;) 一方で、お話を伺う中で気になった点があります。 それは「重い障害のある人」の存在です。 高効率化→高収入という流れは一般的だと思いますが、高収入を狙うのなら、やはり作業工程の飲み込みがよく、様々な変化に柔軟に対応できる利用者(=軽度の障害者)が多くいないと実現は難しいと思います。 今回、売上増・工賃増を実現したとの紹介があった各地の作業所には、重度障害者の存在をあまり感じられませんでした。 もちろん、障害のある人の全般的な社会参加を促すためには、これらのような取り組み方も必要かと思います。 しかし、これが最悪な場合「施設側による利用希望者の取捨選択」が推進められかねないのでは、と率直に思ってしまいました。 《市場経済活動を取り入れ=高効率=売上増》は、やはり私には安易な考え方に見えてなりません・・・。 障害のある仲間を受け入れる作業所ができた歴史的経緯を考えても、重度障害者の社会参加が実現できてこそ、障害者福祉・障害者の就労の発展、ゆくゆくは皆が働きやすく生きやすい社会に繋がると思っています。 先にも述べたのですが、作業所の職員として、まずは売上(工賃)を上げるために必要な取り組みを考え行動していくことは大前提です。 しかし同時に仲間たちの社会参加についての課題を考えたときに、この世の中の仕組みを仲間たちはもちろん《国民みんなが生きやすい》ものに変えていく取り組みも不可欠です。 今回のセミナーで、そんな熱い思いがまた湧いてきた、食品班の石橋でした☆ |
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とある日のこと。
リヤカー引き→カゴさん、ラッパ吹き→トモくん、計算→Hさん、同行・いしばし というメンバーで、リヤカー販売へいざ出発! まだまだ新人の身、いち早く作業や道順、お客さんたちのお顔とお名前を覚えたいHさんと、 先輩として色々教えたい、いいとこを見せたいカゴさん。 そんな2人が組むと、少し異様な空気が流れます。 カゴさん「お豆腐いかがですか~~」 Hさん「揚げ物、お野菜もありますよ~~」 と、互いに大声を出し合い、明らかに競っている二人。 でも、最後まで宣伝する文句は決してかぶらず、互いに補い合っているようにも見えました。 その後も、それぞれのお客さんの目の前で、接客応対にも引けをとらない両者・・・。 私の目には、仕事に負けん気を見せ互いに刺激し合っていてるそんな二人が、可笑しくも素敵な光景に映りました。 カゴさんにライバル出現!? 私なりに、 「きっとカゴさん、自分の仕事のテリトリーが侵されそうで、気が気じゃないんだろうなあ~・・・」 と推察していました。 カゴさんは陶友ではベテランさんです。 学童期や一般就労での苦く辛い経験を経て、鬼瓦所長と出会い、この陶友にやってきました。 (詳しくはタナカさんの記事をご参照ください!) この陶友で「自分らしく働ける場所、自分の得意なおしゃべりを活かせる仕事に出会えた」と、イキイキと働く日々。 もとは大の苦手だった漢字、計算も「いつも買うてくれるお客さんのために・・・」とすすんで練習し、取り組むようになりました、 ただ最近では、還暦を過ぎ、近ごろ家族関係のストレスからか、心身の不調を訴えることが増えてきました。 それでも、 「お客さんが待っとるけん!」 と日々、心と身体を奮い起こし頑張ります。 そんな、大好きな仕事に務めつつ、様々な心身の葛藤に面しているカゴさんの目の前に、 突如現れたHさん・・・ いい意味で、互いに張り合い認め合って、伸ばし合っていける存在になって欲しいものです。 |
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皆さま、ゴールデンウィークは晴天続きでお出かけ日和でしたが、
いかがお過ごしになられたのでしょうか?? 私はと言うと・・・ 今月2日から6日まで丸々5日間、食中毒で寝込んでしまいました(;_;) (念のため、最近騒然となっている“あの食べ物”ではありません^^;) 自分なりにやりたかったことを計画していたのですが、それも出来ず。 また、実家で過ごそうとすると「体調不良」を理由に、姉と姪っ子も同居するその実家にも寄せ付けてもらえず、具合が悪い中独りで過ごす日々・・・汗 とんだGWになってしまいました。 私にとってそんなこんななGWでしたが、かくさんやじきょうさんがアップされているように、私もマルクスについて学び始めました! 特に自分は、学ぶときは必ずと言っていいほど、いつも「自分」と重ね合わせたり照らし合わせたりして、共通点や相違点を探すことから始めます。(結構独特なのかな??) その方が学ぶ内容に対してとても主観的に見れるのと、やっぱり「学びを楽しむ」にはそこを基本にしないと理解して応用するのはなかなか難しいのかな?と、思ってるからかもしれません。 今回は、私もまだまだ学び始めではありますが、「マルクスの生き方」と「自分の生き方」を重ね合わせてレポートを書いてみました! 長々と書いていますが、是非お読みいただければと思います☆ 「マルクスのかじり方(1)を読んで」 私はこの本を読むまで、マルクスについては名前しか覚えておらず、“何をした人物”かも不確かな状態だった。 そんな中この本を読み、一部分ではあるが改めて彼の人生と生きた時代背景、所業を知り、その生き方と研究内容に深く興味を持つことができた。 「マルクスのかじり方」を読み進めて、私なりに節々に感じたことを、大きく3つに分けて書いてみた。 まず、マルクスの革命家としての生き方について。 わずか17歳の若さで「周りが幸せになる働きをしなければ、自分自身も幸せにはなり得ない」との強い志を既に持ち、青年期には政府の圧力で元の目標を断念しながらも自身で道を切り開き、多くの市民の心を動かす活動に魂を込め続けた姿には、心から感銘を受けた。 また活動へのバイタリティに関しても、国の情勢や時代背景が彼を飛躍的に動かしていたのかもしれないが、しかし自分たちのこの時代も生き辛さを感じているし、マルクスの生きた状況下よりも国による活動の制限も無い。 それなのに私たちは・・・と、とても不甲斐なく感じた。 ただ同時に、私のように(無力でも)「この国を何とかしたい」「私が生きやすい(=みんなが生きやすい)世の中にしたい」と思っている人はあまり多く感じられず、「今さえよければ」「自分さえ幸せなら」と生きる人が、この日本にはまだまだ多いのではないかということにも意識が向いた。 活動するにあたり「どうすればそんな人々の心を突き動かせるのだろうか?」という根本的部分に大きな課題があるため、これからも更にマルクスの活動・取り組みの内容を学び深めて、“多くの国民とこの現状を分かち合い、手を取り合っていく手段”の糸口が見つかればと思う。 次に、いまこんな私にできる事について。 私は生きる困難を持つ者として(いしばしの自己紹介を参照ください!)、「自分が生きやすけりゃみんなも少なからず生きやすいはず」と常に思ってしまう。 (私は10才から「Ⅰ型糖尿病」という、現段階では完治せず、一生注射を打ち続けなければ生きていけない病気に罹っていて、今も治療を続けています。) そこでふと「他のⅠ型糖尿の人たちは、この世の中で生き難くないのだろうか」と思い、近いうちに、県内のⅠ型糖尿病児と広く繋がりのある知り合いと“生きづらさ調査”(医療費等経済面、生活面、労働面・・・等、糖尿病があるために困る部分を聞き取り)をしようかと企てていた。 そんな矢先、労働者たちの共感をもとに人々を動かすマルクスの姿と力強い活動を見て、「自分にしかできないことでみんなの幸せに繋がるのなら、できるとこまでとことんやってみよう。」とやる気を奮い立たせることができた。 この本を読んでいくうちに“自分にもできる事に取り組み、少しでも世の中を動かす”可能性が、徐々に増してくるように感じる。 病気を抱えて以来ずっと自分の中に持ち続ける“「何とかなるさ」ではなく「何とかしたい」の気持ち”を大切に、マルクスの情熱を胸に持ちながら、自分にもできる(自分にしかできない)ことを見つけ考え行動していきたい。 そして、学ぶ楽しさについて。 元々、「なぜ世の中は資本主義社会が主流になっているんだろう」と学生時代から疑問に思っていたこともあり、資本主義の詳しい仕組み、長所短所等は気になっていた。 そこで今回このマルクスに出会え、一気に「この世の中の仕組みを知りたい!」と思うようになった。 学びから“知りたいという好奇心や知る楽しみができる喜び”というものは、私なりにでも学校時代に経験してきた。 しかし就職して以降このような気持ちが沸いたのは初めてで、「知ることでこの現状をどうにかできるかもしれない!」という気持ちも生まれてきた。 そんな気持ちを、この場ではもちろん、様々な学びを深める意欲に繋げていきたいと思う。 初めて「マルクス」に関する本を読み、“理解する楽しさ”に改めて触れることができ、またこの本を読むことで“私たちでこの世の中を何とかできるかも!?”という期待や自信が徐々に沸いてくるように感じる。 私は、恥ずかしながら学校を卒業してから今まで、こんなに真剣に本を読んだことが無かった。 今後も、本書を含め「芋づる式」に興味をそそった本を集めてゆっくり何度も熟読し、世の中を動かす力の“基礎”を作っていきたいと思う。 以上です☆ 何だか、とても大それた事を書いてしまいましたが・・・汗 (こんな世の中、実現したいですね^^) 私は、この仕事を知りこの仕事に就いて、学生時代以上に「世の中のこと」に強い興味・関心を持つようになりました。 そうなれたのは、自分の生き方と仲間の生き方にどこか共通点、共感できる部分があったからなのかも知れません。 “自分にも繋がっている”と実感できて、はじめて私の中に「学ぶ楽しさ」が生まれてくるような気がします。 自分はこれからもこの姿勢で、「学び」を深めていこうと思っています! (いしばし) |
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この4月から陶友に通い始めたHさん。
軽度の知的障害のあるHさんは、先月末まで同じ法人内の別の作業所で働いていたのですが、 「もっと厳しい環境の中で、ステップアップしたい!自分を高めたい!」 との希望を常々持っていたようです。 そこで、その作業所の所長さんからの勧めで、この陶友に通うことになりました。 配属は食品班。 担当する仕事としては、現段階ではリヤカー販売に加えて、主に手先の器用さが求められる作業(豆乳のカップ注ぎ)や計算関係(返品する豆腐の計数、売り上げの計算等)を任せています。 当初は失敗や計算間違いももちろんありましたが、それらも減っていき、徐々に「自分の仕事」として自信を持ち始めています。 また、普段から仲間同士のおしゃべりで賑やかな作業風景に、最初は緊張もあってかとても大人しく、たじたじな様子だったHさん。 しかし・・・現在陶友に通いながら、外部の事業所でバイトにも励んでいる彼。 現役で一般就労現場の厳しさを知る故に、作業に慣れてくるにつれてその頭角を現してきたようです。 2週間も経てば・・・ 「○○さん!いま(仕事中に)そのおしゃべりは関係ないでしょう?」 「△△さん、ちゃんと言われた仕事をしてくださいよ!」 と自ら仲間たちに注意する姿が出てきました。 Hさん、「バイト先では、おしゃべりなんて全然できないから・・・」。 確かにその通りです。 そんなHさんからの忠告に、仲間たちも耳を傾けて“シャキっ”と切り替えることもしばしば。 もちろん厳しい面だけではなく、穏やかで楽しい面も持っています。 休憩時間には仲間たちとキャッチボールをしたり、2階で寄り合いつまらない話で談笑するなど、新人ながら仲間との関係作りも頑張っています。 そんなHさんの将来の目標は、 「ひとり暮らしをすること」「結婚すること」「子どもを持つこと」。 ごく普通の当たり前のように感じる“夢”なのですが、生活状況や障害の程度から、そんな夢さえ持つことが難しい仲間たちも少なくありません。 私たちでさえ、経済的な理由から将来のこと(結婚や子育て)にはうしろ向きになりがちなのに、Hさんは堂々とそんな夢を語ってくれます。 なかなか現代を生きていくことに希望が持てない、むしろ絶望すら感じる人が多いこの世の中。 Hさんが強く夢を語る姿は“仲間”はもちろん、“自分たちにとっても”生きやすい社会をつくっていかなければ!という使命感を、私たちに改めて持たせてくれます。 さあ!“夢”実現に向け、 陶友1年目の新人同士として、共に頑張っていきましょう!! |
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みなさま、はじめまして!
この4月から、陶友で食品班担当職員として働かせていただく事になりました、 石橋将裕(いしばし まさひろ)と申します。 どうぞ宜しくお願いします! 人生初のブログアップ・・・(-o-; 長文ですが、読んでいただければ嬉しいです。 まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。 生まれ・・・昭和61年8月(ただ今24歳です)寅年のしし座 出身・・・福岡県遠賀郡の自衛隊がある漁港の町 経歴・・・昨年の4月から今年の3月まで1年間、他所の障害者の作業所で働いていました。 ・・・・・と、治京さんに比べ、そんなに特徴的なモノはないのですが^^; 実は、僕と陶友との繋がりは、今回の採用以前からありました。 その最初の出会いは、学校での障害者施設実習でした。 実習中は、いつも多くを語らず強面の所長に怖気づきながら・・・。笑 それは、楽しかったとか、きつかったとかでは終わらせられない、とても魅力的な12日間でした。 まず、僕が実習で見て感じた陶友の仲間たちは・・・ それぞれができる仕事を見つけ、個々のペースで精一杯取り組んだり、 生産活動や販売を通し「僕らが作ってる商品が売れている!」と実感することで、 社会の一員として「私だって、みんなの役に立っている」と、誇りを持っているようでした。 僕はそんな姿から 、 「働くことって“お金”だけじゃなく、人と繋がる喜び・幸せを感じる営みなんだ」と学び、 「自分は自分。急がず焦らず、人のすることに囚われず自分らしく生きればいいんだ」と教えられました。 この実習以降、何度かボランティア参加を重ねながら、仲間や職員の方々と共に過ごす中で、 僕自身も「働くこと」や主体的に「生きること」の楽しさを感じるようになりました。 また、人生を切り拓いていく難しさと素晴らしさも・・・。 新人として未熟な僕ですが、そんな自分にも大きな夢があります。 僕には不治の持病があり、生活や趣味、そして就労など、色々な面で生きる困難を抱えています。 「この病気さえなければ・・・」と悔しい思いをしたり、絶望を感じる場面もたくさんありました。 そんな経験から、《障害》と《疾病》では大元は違うかも知れないけれど、 同じ「生きる困難」ではないかなと、僕は思っています。 そこで僕は、「生きる困難」のある方々のため・・・何より自分のためにも、 誰もが明るく前向きに、人として豊かに生きられる世の中にしたい!! (すごく当たり前のことかも知れないのですが、 これを実現するのってとても難しいことなんだろうなって思います。) そのためにも、自分の思いや考えを発信し共感してもらい、世の中を動かしていける力をつけていけるよう、 頑張ります! まずは、「文章力を伸ばして、発信する力をつける!」を、この1年の目標に・・・汗 これからも、どうぞ宜しくお願いします! |
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